うまたんジェネリックの人理論。(ニコ生で2024年9月6日うまたん本人に投稿。)

2024年9月6日うまたんのやる気を問う。

注意。この文章は本文。(一応読みなさい。※うまたんの日本語能力の為。(別紙添付。))を読んでから理解してください。

責任とかわからんので各自で判断してください。

一応ネットにはこの文章を欲しいという方がいたので公開のほうしました。

何度も書きますが、本文。(一応読みなさい。※うまたんの日本語能力の為。(別紙添付。))を読んでから理解してください。



課題。

では聞くが、配信者は活舌がいいことは必要で日本語力がある人はわかる。
しかし麻雀を打つ人に活舌がいいことと日本語力を問うのはどういう意図か?

うまたんはコピペのまとめ用として、「努力してジェネリックの人になろうという人」になったほうがいいのではないか?

※うまたんやる気あるの?問題

うまたんが麻雀大会では運ゲーというのは、相手の手組をどれだけ理解したか?などの要素もある

それは多分本当に麻雀大会に出ようという心持のある人しかわからない要素の為,私もわからないとしか言えない。)

(※狙いがない話に、狙いがあるならばわかるをしても無駄である。狙いなどないので話にもならない。)

(うまたんが来るまではニコ生天鳳配信者界隈は平和だった話として、配信者として苦情のため本文含め最後まで見ること!!!)

レジュメ。

まず早めに断っておくけど、麻雀は狙いがあるとわかりやすい。

9pの切順の気づき。
→ピンズの上(7-9)は枚数から切られやすく、またメンツになるのも枚数ゆえにメンツになりにくい。

対面を見ると7p
→ピンズの上(7-9)は枚数から切られやすく、またメンツになるのも枚数ゆえにメンツになりにくい。

連動性も問う。
→対面2打目の1mに視点を合わせるならば23mも切られやすい。しかし切られない。これは1mが端牌の要素もある。



まとめ(レジュメとして追記。あくまでも見やすさ重視の為文章は全部見ること必須。)

そのため(9p)切ったということになるが、残念ながらそれは上家の9p打牌の動機付け程度にしかならいため、(略)

対面7pはつも切りということも評価しないといけない。
つも切りということは相手は単純手組でいらないということであり、少なくても手には6-9pはないということである。→ピンズで傾向がわかった程度である。

(ifケース)(本文から無理やり抜粋しているので本文の前後を見てね。)


(もし)チートイのために残すとなると、たとえばこの手からチートイを組み、後半に9pが自分の家から打牌したとすると、

他家の判断は、一に安パイ残し二に単騎候補となる。

しかも手を狭めて狙うとなると、やはりスピード勝負の聴牌即リーの卓にあわないため、一般に下手の要素となる。愚問とわかるはずである。


(要素としては)


あとは手組で相手が何の役が好きなのかの判断ケースくらいしか要素としてない。

例えばこの手から打5mで赤を出して相手が鳴いたらば下家は染ケースが一番の判断材料になる。

もしばかりの話です申し訳ないけど、下家が万をないて竹を出して、対面が竹で(主にチーで)鳴いたらなどの判断の話になる。

(その場合一手を考えると、多くあるのは5m鳴きのマンズの染でない赤タンヤオなど

語っても無駄な話なので話しても無駄なケースである。)

本来読める読めないには仮想手のバリエーションがあるかどうかが課題でもある。
単に多ければよいわけではなく、それは狙いの為化ける。

(判断材料)


9pの切った理由も判断の遅れとしてわからるのだが、それ以外は切られた牌の位置すらもも分からないのでは判断材料にもならない。
(もし安牌の残し癖があるならば手が進みの癖としてもわかるのだが、今回は相手がランダムの為その判断もできない。
→理牌読みを無理やり使おうとしたときの話。


苦情の件。

(麻雀大会では運ゲーという理論に対して)
うまたんが麻雀大会では運ゲーというのは、こういう相手の手組をどれだけ理解したか?などの要素もあるのだが、それは多分本当に麻雀大会に出ようという心持のある人しかわからない要素の為私もわからないとしか言えない。)

(※狙いがない話に、狙いがあるならばわかるをしても無駄である。狙いなどないので話にもならない。)

(うまたんが来るまではニコ生天鳳配信者界隈は平和だった話として、配信者として苦情)

だが麻雀の語り手ならばこの手の話を一応しなくてはいけないはず。わからない人間をわからせるのは一般に無駄。そのため多くのプロの可能性の話しかできない実情がある。

うまたんはその手の(赤タンヤオで上がるなど)話は、配信でやるほど好きなはずならば
先ほどの私にはわかる話でなく私にはわからなかった(赤タンヤオの)話をする義務はあるはずである。できないならなんでやるのか?

(うまたんやる気あるの?問題)

※夢を語る人は夢を語る価値のある人だから、人はその人の話を聞くのである。

うまたんの話はほかのだれかが語った話をそのままコピーをしただけ、覚えた話をそのまま話しただけ。要はコピーアンドペースト。
残念ながらそれを価値あるものと話すならば、そのコピーアンドペースト元に聞いたほうが早いのではないか?

ならばいっそ自分はそのコピペのまとめ用として努力してジェネリックの人とうまたんはいったほうがいいのではないか?

だが世の中にはジェネリックとして役立った人がいる。ならばジェネリックの人でいいのではないか?それをするにも身分があるのだからきちんとほかの人の意見は聞くべきではないかと思うのだが。(強く苦情とする。)

(あと書いてて気づいたが、この文章、一点の文字で話が変わるためかなり読みにくい。やはり口頭が良いのではと思う。

では聞くが、配信者は活舌がいいことは必要で日本語力がある人はわかる。
しかし麻雀を打つ人に活舌がいいことと日本語力を問うのはどういう意図か?

それは単に都合のいい人を作り出そうとしているのではないか?
そういうこと(活舌、日本語力など)に文句を言うならばまず自分がほかの人の意見を聞く耳の良さを持つべきなのではないか?と思うがどう思う?も問う。)


本文。(一応読みなさい。※うまたんの日本語能力の為。(別紙添付。))


まず早めに断っておくけど、麻雀は狙いがあるとわかりやすい

メンツによる判断もそれだし、たとえばリアル麻雀で男性連れでいる女性で多いのは鳴き三色を狙うケースとかあるとわかりやすいんだけども、

今回は平場で判断材料が相手の狙いがわからず、何切る判断も仮として出さないといけない。そのため平面何切るから拾わないと行けずまーめんどい。がそれをやりたく思う。

まず下家から四打目5p三打目8pから、

556の形が基礎だが、8pがあるということはピンズではメンツ候補はあるとみる。
(形は不明)
58の形だと556pの形を基礎に考える。もちろん完成済みもある。現状は不明。

あとは上家の9pも考える。これは第一に9pの切順の気づき。

対面を見ると7pが出る。

ここの評価で、同順57(8)が消えたためメンツ候補として望み薄の為9pが切られたがわかりやすい。

そうなるとピンズの上(7-9)は枚数から切られやすく、またメンツになるのも枚数ゆえにメンツになりにくい。

問題はそこだけでなく、その連動性も問う。

たとえば対面2打目の1mに視点を合わせるならば23mも切られやすい。しかし切られない。これは1mが端牌の要素もある。

本来読める読めないには仮想手のバリエーションがあるかどうかが課題でもある。
単に多ければよいわけではなく、それは狙いの為化ける。

今回の場は、字牌から切られることが、ネット麻雀特有の場の為化けるとなるのである。(狙いがあるならば読めるが狙いがないため読めない話となる。)

そのため9pの切った理由も判断の遅れとしてわかるのだが、それ以外は切られた牌の位置すらも分からないのでは判断材料にもならない。
(もし安牌の残し癖があるならば手が進みの癖としてもわかるのだが、今回は相手がランダムの為その判断もできない

うまたんが麻雀大会では運ゲーというのは、こういう相手の手組をどれだけ理解したか?などの要素もあるのだが、それは多分本当に麻雀大会に出ようという心持のある人しかわからない要素の為私もわからないとしか言えない。)

あとは今気づいたのだが、対面7pはつも切りということも評価しないといけない。
つも切りということは相手は単純手組でいらないということであり、少なくても手には6-9pはないということである。

そのため切ったということになるが、残念ながらそれは上家の9p打牌の動機付け程度にしかならいため、ピンズで傾向がわかった程度である。

もし仮に自分の手に生かすとなると6-9pは単騎の評価として、残す残さない判断はしやすいとなる。

(チートイは狙いやすいし、あとから切っても良い。)

しかしチートイのために残すとなると、たとえばこの手からチートイを組み、後半に9pが自分の家から打牌したとすると

他家の判断は、一に安パイ残し二に単騎候補となる。

しかも手を狭めて狙うとなると、やはりスピード勝負の聴牌即リーの卓にあわないため、一般に下手の要素となる。愚問とわかるはずである。

あとは手組で相手がに何の役が好きなのかの判断ケースくらいしか要素としてない。

例えばこの手から打5mで赤を出して相手が鳴いたらば下家は染ケースが一番の判断材料になる。

もしばかりの話で申し訳ないけど、下家が万をないて竹を出して、対面が竹で鳴いたらなどの判断の話になる

その場合一手を考えると、多くあるのは5m鳴きのマンズの染でない赤タンヤオなど語っても無駄な話なので、話しても無駄なケースである。

※狙いがない話に、狙いがあるならばわかるをしても無駄である。狙いなどないので話にもならない。

だが麻雀の語り手ならばこの手の話を一応しなくてはいけないはず。わからない人間をわからせるのは一般に無駄。そのため多くのプロの可能性の話しかできない実情がある。

うまたんはその手の(赤タンヤオで上がるなど)話は、配信でやるほど好きなはずならば、先ほどの私にはわかる話でなく私にはわからなかった(赤タンヤオの)話をする義務はあるはずである。できないならなんでやるのか?

夢を語る人は夢を語る価値のある人だから人はその人の話を聞くのである。

うまたんの話はほかのだれかが語った話をそのままコピーをしただけ、覚えた話をそのまま話しただけ。要はコピーアンドペースト。
残念ながらそれを価値あるものと話すならば、そのコピーアンドペースト元に聞いたほうが早いのではないか?

ならばいっそ自分はそのコピペのまとめ用として努力してジェネリックの人とうまたんはいったほうがいいのではないか?

だが世の中にはジェネリックとして役立った人がいる。ならばジェネリックの人でいいのではないか?それをするにも身分があるのだからきちんと人の意見は聞くべきではないかと思うのだが。

あと書いてて気づいたが、この文章、一点の文字で話が変わるためかなり読みにくい。やはり口頭が良いのではと思う。

では聞くが、配信者は活舌がいいことは必要で日本語力がある人はわかる。
しかし麻雀を打つ人に活舌がいいことと日本語力を問うのはどういう意図か?

それは単に都合のいい人を作り出そうとしているのではないか?
そういうこと(活舌、日本語力など)に文句を言うならばまず自分がほかの人の意見を聞く耳の良さを持つべきなのではないか?と思うがどう思う?も問う。