脱プラ農と言ってはみたものの

プラ製品の誘惑

勇ましく脱プラ農と言ってはみたものの、のっけからプラ製品の誘惑に出くわしている。

そろそろ種まきの時期になってきたのだが、ある程度温度がないと発芽しない種(パプリカとか)がある。
そうなるとビニールハウスが要る。
が、ビニールハウスを持っていないので、それに代わるもで代用しようと思って色々探している。

ベランダの限られたスペースで育苗をするので、今あるスチール棚を覆う透明のカバーがあれば簡易の温室になるのだが、そういった製品はほぼほぼ全てビニールだ。
値段は安価で、2千円代からある。
しかし、これは紛れもないプラであり、いきなり壁に行き当たったような気分だ。


プラである理由

ガラスで同じような製品があれば一番良いのだが、ガラスは重く、割れやすいので、こう言った用途の製品はあまり作られていないようだ。
あったとしても、需要があまりないのでかなり高い。

小さめのガラス温室もあり、見た目も美しくそそられるものがあるが、かなりの金額になってしまう。数千円どころか数万円でも足りないし、それなりの広さの設置場所を設けなければならない。
ビニールのカバーのように、不要な時はたたんでしまっておこう、と言うわけにはいかないのだ。

今あるプラ製品は、利便性が最も高いからこそ広く使われているわけで、当たり前だがその存在意義の大きさを実感する。


いろんな思惑

”シングル・ユーズじゃなくて使い回すんだから、別にいいんじゃない?”
”しかし、ビニールだから意外と早く劣化が始まって、それを廃棄することになるわけで、それはリサイクルはされないだろうし…。”
”もういっそ、発芽温度の高い作物はやめて、あったかくなった3月中旬ごろからタネを播ける作物だけを作ろうか…。”
”そもそも、全てのプラを排除しようなんて考えでは、ちょっと強硬すぎるか?”

なんてことをぐるぐる考えあぐねている。

つまるところ、環境問題はこういった日々の選択にかかってくるものなのだろう。

結論は出ない。
が、こう言った迷いや疑念を共有したいので、配信してみることにした。

良いお知恵があれば、教えてください。

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