無機質に恋を歌う-1

「恋を歌う女の子がいるんだ」

そんな話を聞いたのはいつだっただろうか。
巷にはラブソングが溢れ、恋をテーマにした歌なんかいくらでもある。
テレビをつければ愛について語り、ラジオをつければ失恋した心が溢れ出す。
そんな現代において、恋を歌う女の子の話を聞かされたとしてその話を僕が聞き流したことを誰が責められよう。
少なくともその話を聞いてから半年は過ぎていたと思う。
それだけの時間が経ち、今までそんな話を忘れていたこともまた、誰にも責められる謂れはないと思っている。
結論から言えば僕はその少女に出会い、友人の一言を思い出し、その言葉の意味を知ったのだから、結果オーライというものである。
そう、僕は出会ったのだ。
恋を歌う女の子に。

イルミネーションが溢れ出す12月。世間はもうすぐクリスマス。
夜になっても人々は一向に帰宅する気配も見せず、駅前は煌びやかな装飾と人々の喧騒で賑わっていた。
そんな空間にこれ以上、一秒でも留まっていたくなくて、僕は足を早めていた。
一緒に過ごすパートナーもいない僕のような糞野郎にとってはクリスマスなんて何の意味もないものである。
(さむい)
厚手のコートの中で身体を縮めながら器用に人々をかわして駅を目指した。
こんな甘い雰囲気漂う場所から今すぐに離脱したい。その思いが僕の足を動かす。
ようやく辿りついた駅の入口。無機質な光を放つその中へ足を進めようとした刹那、僕の身体は停止する。
(あれ)
歌が聞こえた。
いや、音楽ならさっきから聞こえていた。
店頭から溢れるメロディ。
人々の鼻歌。
爆音で鳴り響く街頭テレビ。
そのどれにも当てはまらない歌が聞こえた。
何の感情も乗らない歌声が。
一度気になってしまうともうその声しか聞こえない。
あんなにも五月蝿かった街中の騒音が一瞬にして消えたような気がした。
きょろきょろと周りを見回してみると、すぐに小さな少女を発見した。
少女は駅前にぽつりと立ち。誰からも認知されていないかのようにそこに居た。
彼女の前で足を止める人は誰も居ず、その姿を目に入れているのも自分だけではないのかと思った。
小さな少女。無造作な黒髪ボブカット。
飛び切りの美人ではないが、決して醜くもない。
何の特徴も感じられないような少女であった。
少女は歌っていた。
身体は微動だにせず、口だけが小さなメロディを紡ぎ出す。
聴いたことのない歌だった。
僕は近寄る。なぜか無視することは出来なかった
「……」
少女の目の前に立つ。
僕が立ち止まると、少女と二人、世界が停止したような錯覚に陥った。
周りを通り過ぎる人々は誰ひとり僕らに気付かないようだ。
僕が無遠慮に目の前に立っても少女は歌っていた。
しばらくそのまま歌を聞く。
何の感情も感じられない歌だった。ただ、歌詞を聞いてみればどうやらそれはラブソングのようだ。
存在を感じさせない少女が感情を乗せずに歌う恋の歌。
そのアンバランスさが酷く魅力的だった。
少女が口を閉じる。
途端に僕たちの世界は無音になった。
歌い終わった少女は、何故か目を伏せた。
「ねぇ、それ何の歌?」
僕はこれまた無遠慮に問いかけた。
少女は伏せた目を上げる。
目の前に立っていたというのに、今初めて、少女は僕を見た。そんな気がした。
「…恋の歌」
少女が喋った。
歌以外の言葉も、また感情が乗っていないように聞こえた。
「それはなんとなく分かったけど。誰の歌?」
「私が作った歌」
少女はそれだけ答えると、一度だけ頭を下げて立ち去ろうとした。
僕は反射的に呼び止める。
「待って」
少女は振り返った。
さっきからにこりともしない。
でも怒っているわけではなさそうだ。
不思議な魅力を感じる少女だった。
「名前は?」
「…さちこ」
それだけ答えて少女は再び歩き出した。
さちこ?名前?本名?
あの若さでさちこ?少し古臭さを感じる名前に僕は首を傾げる。いや、それは偏見なんだろうけど。
入手出来た情報が少なすぎてもう一度会える気が全くしなかった。
しかし、どうしてももう一度会いたかった。また、少女の歌が聞きたかった。
クリスマスが近づく12月。
死んだように生きていた僕に、少しだけ生存理由が出来た。

それは、無機質に恋情を歌う小さな少女の話。

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