見出し画像

これが私の優しさです〜わたしの糖衣Aのはなし〜

窓の外の若葉について考えていいですか
そのむこうの青空について考えても?
永遠と虚無について考えてもいいですか
あなたが死にかけているときに

谷川俊太郎 「これが私の優しさです」


自問自答ファッション講座を受講し半年が経った。半年の間で驚くべきことに「服選び」で悩まなくなった。「服選び」には2つあって、服を購入するときの「服選び」と、毎朝着る服を選ぶ「服選び」だ。

前者の服選びは、やはり試着しかないということを実感した。だから試着してダメなものはダメなのだ(個人の感想です)。そのかわりご褒美として何もかもハマる服が絶対にある。それはきっと自分にしかわからない。自分で納得するための試着なのだ。

ちょっと甘えて妥協してしまうとわたしの輪郭がぼやけてしまうこともわかった。だから以前までのわたしは、どうでもいい人たちと混ざりやすかった。舐められたり(漢字間違いだ、舌の方ではないので安心してください笑)、勝手に優しいイメージを持たれたり、「かぷちさんって俺に気があるんじゃないか?」と勘違いされたり(絶対に気のあるそぶりはしていない)。
全部自分が悪いということでは決してない。けれど自分の輪郭が不鮮明だったから、「受け入れてもらえそう」という雰囲気を出してしまっていたのかもしれない。

自分の納得のいく服だけを着る。それだけで守れるものがたしかにある。ミニスカートでもズボンでも水着でもなんでも。全ての女性が守られますように。
また、守られるということはどこにでも行けれる!ということだと思う。自分で決めた服を着るだけで、わたしもあなたもどこにでも行くことができるのだ。ただし治安が少し不安なところや人の少ないところは気をつけよう。


後者の「服選び」は制服化をすることによって全然悩まなくなった。出かける前のファッションショー(着たい服がない状態)を起こしていない。

そして制服化をするにあたって自分の正露丸と糖衣のバランスを自分で理解を進めることが悩みの解消へとつながっていったように思う。

(というかあきやさんのnoteに今回の記事のわたしの気づきが全部書いてある😂)

自分の正露丸と糖衣Aのちょうどいい比率を知る

わたしは地方に住んでいる。誰がどこに住み、どんな仕事をしていて何の車に乗っていて、既婚か未婚か、果てはだいたいの稼ぎもわかってしまう小さな町。どこどこの誰、という実名の上で成り立つ平和。町は表面上はいつも穏やかなようにみえる。

自問自答ファッション講座を受ける前は、この町で浮きたくない・嫌われたくないという思いから「糖衣100%」の服を着ていた。(ここから「糖衣A」から糖衣の割合表記に移行します)



「糖衣」というよりも「嫌われたくない服」。
カジュアルのなかのカジュアル。普段着のなかの普段着。焚き火して服に火の粉がついても平気。堆肥のにおいがついても平気。褒められても「ワゴンで安かったんです(わたしは質素で倹約家で善良な町民ですよアピール)」そうして心を失くしていった。


自問自答ファッション講座を受けて、「正露丸100%」(なお今のわたしの実力で100%なので将来的には今の100%は正露丸60%くらいになるのではないかと予想)の服をまず作った。

正露丸100%のオンナ


全身黒である。
あきやさん命名「黒鳥コーディネート」だ。
どこにでも行くのに全身黒の正露丸100%で出かけた。
自分の内面と一致した服を着るのはとても嬉しいことだった。なお大自然に黒はあわなく、これがモードは自然とミスマッチ…!と思った(もちろん黒=モードではないけれど)。

しかしその満足のいく制服だと、心がダメージを受ける場面に遭遇する。

地域の集まりの場。それはわたしにとっての糖衣の出番となる。

試行錯誤した結果、黒の割合とわたしの正露丸の割合が一致していることがわかったのでシンプルに黒の割合=正露丸の割合で算出。


正露丸50%つまり糖衣50%のオンナがうまれる


ボトムス黒正露丸50%・トップス白糖衣50%で構成。
靴とバッグはTPOに合わせる。ときにスニーカー、ときに革靴、ときにリュック、ときに黒の皮のハンドバッグ。
アクセサリーはいつもの指輪をはめる。
活動的な場ならボトムスはパンツ、特に活動性がない場合はスカート。


たったこれだけ。


トップスが白いことで顔周りが明るくなり、黒を着ていても黒の印象が和らぐ。
自分自身では自分の視界はボトムスがよく目につくので黒だと安心する。

また自分のなかで、地域や職場の人に50%も自分の正露丸を出せるんだなと気づいたのも大きかった。
そんなに他人って気にしてない。けれど、全身黒だと不穏さが出ちゃうから白い服着て手加減しよう、みたいな。

アクセサリーは強いもののままなのだが、糖衣が必要な相手から尋ねられたら「母からもらいました〜」と受け流している。
本当のことを言ってお互い傷つけあうのはやめにしよう。「(母ちゃんがそんなゴツい指輪送るか?)」と内心思われてもいいのです。そう、「これが私の優しさです」。
自分で自分の境界線を決めていいのだと改めて思う。


糖衣100%のおこだわり

正露丸100%と正露丸50%(糖衣50%)の服でほぼ全ての生活を網羅できた。穏やかである。

糖衣100%の服なんてない、と思ったけど毎日着ていた。それは「仕事着」だ。
よく「服が着たい」、と毎日仕事着を着ているはずなのにぼやいていた。「仕事着」は「糖衣100%」だからわたしの中では「本当に着たい服」ではなかったのだろう。

その仕事着は、完全にその職業人だとわかる服で構成している。「我」をできる限り消して仕事のプロにみせる。
わたしの姿を見て、「あ、あのお店の人だ。最近行ってないから行ってみようかな」と思われるように。
そのため、年中同じシャツとボトムスで、通勤でも勤務中でも着ている。冬はパンツの下に股引(…!)を仕込む。
仕事柄アクセサリーはしていない。どうしても嫌な仕事がある日には通勤中だけアクセサリーをする。


けれど糖衣100%だけだとそれはそれで楽しみポイントがないので、シャツの鈕は好きなのでチャイナ鈕にしているし、ボトムスはわたしの好きかつ似合う色で揃えてある。

わたしはわたしで毎朝服を着るときに楽しくなるように。若干無駄な抵抗とも言えるのだが…、お気に入りポイントがあるのはとても良い。


糖衣100%でも自分が納得する着地地点が選べるのだ。


「これが私の優しさです」

糖衣を着ている自分は自分がないみたいで悲しい気持ちになったこともあるけど、あきやさんは「糖衣は優しさ」と仰っている。

実は糖衣100%の仕事着が精神的に着れなくなってしまった時期があった。
精神的にも弱ってしまって、怪我したし風邪もひいた。

思いきって休んでみてわかったのだが、「優しさ」とは「自立」してこそ成り立つのではないかと考える。
自立していない人の優しさは媚びや依存をはらむ。以前のわたしのように。

正露丸100%で過ごしてファッションで自立しようとしたからこそ、「糖衣」の優しさに気づいたのだと思う。
同じく、冒頭の谷川俊太郎さんの詩も「自立」の詩なのだとわかった。


まだまだわからないことだらけだけど、ファッションから世界をのぞいている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?