見出し画像

40w1d 出産しました。

その後はずっと揺れるイスで陣痛をひたすら逃しました。
朝9時から誘発を始めましたが、陣痛とみなされたのがお昼12時頃でした。
揺れるイスでひたすら耐え夜19時過ぎに子宮口8センチまで来て、分娩室へ移動となりました。分娩室まで来たら終わりが近い!と気分も少し前向きになったように思うものつかの間。
残りの2センチがなかなか開かずそこでも揺れるイスを持ち込まれ、陣痛を逃します。
分娩室に来たら分娩台に上がれるものだと思ってました。

そこから1時間ほどそのまま逃していたけれど頭が下がってこないのもあり後2センチが開きませんでした。
最後の手段という感じで、分娩台に乗り横向きに寝てバーを掴んで陣痛の波に合わせいきんで赤ちゃんを下げます!と言われました。私には衝撃の言葉でした。分娩台に乗ったらもう赤ちゃんを出す為の姿勢になりいきみながら1時間以内に産めるものと。。。
そこから1時間ほど、最大の痛みを夫腰の指圧も無く1人で真っ向から受け止め全力でいきみました。
後先考えず、まずは頭をさげるという今だけを考えていたので夫からは出産後「本当のいきみの時にいきむ体力はないだろう」と思ってたと言われました。

そのかいあって子宮口9センチを超えました。
ここからやっと分娩の用意がされました。
医師の登場は取り上げる直前と噂では聞いていましたが、分娩の開始より前に居て、何かあったら直ぐに帝王切開になるんだと悟りました。

ここから促進剤を更に上げ、いきみます。
いきむと下がって髪の毛が見えると言われますがまだまだ上下しているようです。
呼吸が褒められるほどうまく(この為に15年演奏していたのでしょうか)、赤ちゃんも強かったのでここまで心拍下がらずに来ましたが、疲れもあり酸素マスクをつけられました。何度か続けるうちに、疲れからか陣痛が弱くなってきました。

先生が「ここまで来て帝王切開になるのは辛いだろう。出来たら下から出してあげたい。頑張ろう。」と。陣痛中ずっともう帝王切開でいいから辞めたいと訴え続けてきたけど、分娩台に乗ったらここまで来たのだから下から産みたいと、強く思っていました。

そこから何度かいきみます。しかし陣痛が弱りだし先に進みません。私も疲れて来たのだと思います。タイムリミットが違い事を感じました。それでも下から産むを諦めない私に、促進剤をMaxにしました。もう身体も子宮もこれが限界だろうと感じてました。そして次のいきみでとうとう赤ちゃんの心拍も下がりました。

分娩室に次が最後のいきみだと言う空気と、先生の決心の顔を見ました。でも誰より私が1番決心していたのだと思います。吸引の準備、お腹押しの助産師さんがスタンバイし、次の大きい波を待ちました。私はこの時初めて何も恐くなくなったと思います。やっと出産する事の心構えができたのかもしれません。

この波でいきたい!と思ったこれが最後のいきみです。深くたっぷり息を吸い込みました。
信じられない程の力で穴に指をかけ開かれるのを感じました。(実際そうされてたかはわかりません。)骨が動かされ骨盤がグラっと来るのを感じました。頭が出る。身体で止まったらきっと次のいきみまで体力が無いと直感で思い、いきみ続けました。お腹押し、吸引の力も大きいと思いますが、身体で止まること無く産ませてもらいました。

8/2 50.0㎝ 3132g
男の子を出産しました。

#医師妻 #出産 #出産予定日

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?