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第6期女流桜花

 近代麻雀で連載中のマンガ「泣き虫マーメイド」第5話で、ついに魚谷さんが初タイトルを獲得するのだが、紙面の都合上か、少し駆け足で終わった印象を受ける。

 第6期女流桜花。女流プロのタイトル戦が一般向けに放送されるのはこれが初めてだったと思うが、実は僕はこの試合を10戦全てリアルタイムで見ていた人間である。2022年現在対局の動画は販売されておらず、観戦記も公式には掲載終了となっている。せっかくなので、この対局について語ろうと思う。

 詳細は伏せるが、僕はTwitter経由でこの対局を知り、決勝メンバーの中で魚谷さんに注目していた。最初は「へーうまいじゃんこの人」くらいに思っていた。事件が起きたのは1回戦の東3局だった。

タンピンイーペーコーのイーシャンテン

 14巡目、魚谷さんこの手牌からタンヤオのチーテンを取る。くっつきの周りの牌が切られまくっているのでこれはまだ分かる。次巡、ドラの九万を引く。これは自分で9巡目に切っている牌だ。この九万を魚谷さんは止めたのだ。

9600の放銃を回避!!

 この局は「ゆーみんの現代麻雀が最速で強くなる本」にも取り上げられているのでご存知の方が多いかもしれないが、生で見ていた僕には衝撃的だった。このルール、一発と裏ドラはないがノーテン罰符はある。テンパイ料の価値が巷の赤アリ麻雀とは比較にならないほど高いことは打ったことがなくても容易に分かる。普通は止めない方が得だろう。

 魚谷さんの麻雀はこの日初めて見る。しかし、まぐれで止まったようにも、生粋の守備型だから止まったようにも見えなかった。上家の親のテンパイを察知していた。そう思えてならなかった。

 今でこそ女流最多タイトル獲得者で、実力を極めて高く評価されている魚谷さんだが、この時すでに十分すぎるほど強かったのである。手順の正確さ、俊敏な鳴き判断、堅実な守り。どれをとっても一級品。1回戦を見終わった時に僕は確信した。「この人は、今まで見た女流プロで一番強い」と。

 しかしそれと同時に不安がよぎった。彼女は「打ってはいけない麻雀」を打っていたのだ。

 競技ルールに合わせて調整されているものの、魚谷さんの麻雀のベースは現代麻雀と呼ばれるものだった。現代麻雀の定義自体曖昧ではあるが、当時主流だったのが「先手必勝」の考え方である。人より早くテンパイすることで放銃抽選を避けてアガリ抽選を受ける。そして後手を踏んだら未練を残さず徹底的にオリる。現在は打点の価値が見直されているが、この頃はスピードが最重視されていた。

 しかし、10年前のプロ連盟ではスピード偏重の打ち方は異端とされた。過去に現代的な麻雀で連盟最高峰のタイトルを獲得した若手プロがいたが、彼の麻雀は「作業のような麻雀」と評された。麻雀プロにとってこれ以上の侮辱の言葉があるだろうか。今のプロ連盟では多様な打ち方が選手の個性として認められているが、当時はそうではなかったのだ。

 やはりと言うべきか、懸念した通り魚谷さんの鳴きもまた「腰が軽すぎる」などと放送中たびたび解説から苦言を呈された。ただ、こうなることはもちろん彼女も分かっていたはずだった。―― 魚谷さん、あなたは怖くないのか。

 地位も実績もある灘プロや古川プロであれば、どんな仕掛けをしようが何も言われないだろう。しかし魚谷さんは何の実績も後ろ盾もない3年目の若手プロなのだ。彼女のどこからこの勇気が湧いてくるのか、放送を見ている僕には想像できなかった。

 魚谷さんは展開に恵まれず、トータルポイント最下位で5回戦に入った。東2局1本場。僕はこの局を決して忘れない。といっても魚谷さんが和了を決めた局ではない。むしろ失敗に終わった局だった。

 親番の魚谷さんの手は9巡目にこうなっていた。一通のイーシャンテンであり、もちろんチンイツも狙える。勝負手だ。10巡目に桑原プロからリーチが入る。カンコ使いの五万が切りづらいこともあり、ソーズを切り飛ばしてチンイツでぶつけていく。

 12巡目、安田プロから四万が出る。これを魚谷さんはチーして打南。まずこの仕掛けが批判された。マンズの受け入れが二万七万しかないところから何を引いてもテンパイになるので鳴きの一手に思えるのだが、せっかくマンズのツモの流れが来ているだからシャンテン数の変わらない鳴きをしてはいけないらしい。

 次巡、上家から三万が切られる。鳴くのは決定しているが、待ち取りに選択がある。まずペン七万。一通がついてハネ満になるが、待ちは固定される。変化も見ての八万単騎か、九万単騎か。魚谷さんの決断は、八万を勝負しての九万単騎受けだった。

 しかし、この選択は失敗に終わる。2巡後に八万をツモり、七万もリーチ者にツモ切られる。そして開かれた手牌を見ると二万は通っていた。つまり、唯一あがれない打牌を選んでしまったのだ。

 この一局はこの日最も厳しく批判された。そして解説に同調するように、ニコ生では「こんな麻雀では勝てない」「魚谷はダメだ」「魚谷の優勝だけはない」といったコメントが流れた。こんなことがあっていいのだろうか。麻雀に裏目はつきものである。最善の選択が最悪の結果になるのはままあることだし、そうなったときフォローするのが解説の役目なのではないか。

 魚谷さんがこの勝負を死ぬほど勝ちたい気持ちでいることは画面越しに痛いほど伝わっていた。しかし現状最下位に甘んじていて、視聴者からは格下扱いされていることがやるせなかった。

 僕は今まで女流プロにほとんど興味がなかった。正直言って、女流の打つ麻雀なんて弱くて見る価値がないとさえ思っていた。そんな偏屈な人間が、この日はじめて麻雀を見る女流プロを気付けば全力で応援していた。

 状況は苦しい。1日目を終えて首位とは90ポイント近く離れている。全10回戦とはいえ、魚谷さんが優勝する可能性はもう1割もないだろう。それでも僕はこの人に、どうしても勝って欲しいと思った。誰の打ち方が一番正しくて、誰が一番強いのか。勝ってそれを全員に分からせてやれと。

 2日目に入っても魚谷さんは相変わらず苦しくトップを取れずにいたが、展開は彼女に味方した。優勝へのプレッシャーからか、首位だった安田プロが3連続ラスでプラスを全て溶かしてしまったのだ。トータル首位は清水プロに入れ替わり、残り2回戦で首位との差は36.4ポイントまで詰まっていた。これは十分逆転可能な数字である。

 そして9回戦。魚谷さんはひとつひとつの打点こそ低いものの、コツコツと6回ものアガリを積み重ね待望の初トップを取る。ラスが清水プロだったのでなんとトータル首位に立った。あの点差をたった4回、それもトップ1回で追いつくなんて、本当に信じられなかった。持ち前の粘り強さと勝利への執念は、この時すでに健在だったのだ。

 最終戦。ラス親を迎えて魚谷さんの持ち点は30800点。連盟のルールは沈みウマを採用しているため優勝するためには3万点を割ることができない。12巡目、テンパイ一番乗りを果たした魚谷さんはリーチで勝負を決めに行く。この手牌を、3巡後にツモりあげてみせた。

優勝を決定付ける2000オール

 このアガリで魚谷さんの持ち点は36800点となり、浮きは決定的となる。伏せれば優勝なので、1本場は配牌オリを選択。しかし15巡目、現女流桜花の清水香織がリーチを宣言する。清水プロが逆転に必要なのはハネ満ツモ。この状況でリーチするということは、条件を満たしているということである。

「お願いツモらないで」

 魚谷さんは神様にお願いしていただろう。でもその必要はなかった。彼女の祈りはすでに届いていた。

清水香織のリーチ

 リーチホンイツイーペーコー。清水プロの待ちの三索は、リーチをかけた時すでに残っていなかったのだった。

 最後のツモ牌を切った後、清水プロはがっくりと肩落として俯いていた。テレビ対局では常に威風堂々とした立ち振る舞いをしていた清水香織の、あんなに悔しそうな姿は見たことがなかった。「こんなポンチー食い散らかす小娘に負けるなんて…」と思ったのかどうかは知らない。でも今になって思えばこの日、目の前に座っている新人に女流桜花のタイトルだけでなく実力派女流プロという地位すらも奪い取られたのだった。

 それとは対照的に、魚谷さんは嬉しさの余りに泣いていた。優勝して涙を流すプロは何度か見てきたけれども、ここまでボロ泣きしている姿は見たことがなかった。僕も思わずもらい泣きし、「この世界で生き残ってくれよ、ゆーみさん」そう心の中でつぶやいた。それからの彼女の活躍ぶりは、皆さんの知る通りである。

 たまに知り合いから「なんで魚谷さんの応援なんかしてるの?」とからかわれることもある。もっと可愛い女流プロも、もっと強い男子プロもいるじゃないかと言いたいのだろう。別に否定はしない。でも、僕はただ単に麻雀が強いから魚谷さんのファンになったわけではない。

 あの時代、放送対局で鳴き麻雀を打つことは相当な覚悟がなければできなかった。バッシングを受けるのは確実だったし、今後のプロ活動にどんな影響があるかも分からなかった。それでも自分の信じる麻雀を打ち抜いた彼女の勇気に、僕は心を打たれたのだ。

 10年前のあの日、無名で獲得タイトルもない、永世六段氏の言葉を借りるなら、「まだ何者でもなかった」魚谷侑未。その輝きに人よりも少しだけ早く気づけたこと。それが僕のささやかな自慢なのだから。


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