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魚谷侑未 一瞬の奇跡

 セガサミーフェニックス所属Mリーガー、魚谷侑未の代表局といえば、多くの人は第9回モンド王座のオーラス逆転のハネ満ツモを挙げるだろう。おそらく魚谷さん自身もこの局を選ぶと思う。この一局、この優勝で魚谷さんがスターダムへ駆け上がることになったのは間違いない。

 彼女だからこそアガれた1局という意味では、第16回日本オープンの最終戦で逆転優勝を決めたトイトイ三暗刻を選ぶ人もいるだろうか。このアガリがなければ、もしかすると初年度ドラフト1位でMリーガーに選ばれていなかったかもしれない。

 あるいは、Mリーグから魚谷さんを知ったという方であれば、2019-2020シーズンのファイナル最終戦の南4局を選ぶだろうか。きっと麻雀人生で一番ツモりたかった手牌だろう。

 どれもが視聴者の記憶に残る、印象深い局である。「この局を見てファンになりました」という人もいる。でも、僕が最高の一局として選びたいのはこのいずれでもない。おそらく一般にはほとんど知られていないのではないかと思う一局だ。

 それは2021年3月3日の対局である。この日は「女流プロ麻雀日本シリーズ2021」というタイトル戦の予選最終日だった。出場選手12名のうち成績下位4名は後日行われるプレーオフ戦に進出することはできず、ここで敗退となる。魚谷さんは20回戦と22回戦の2回打つことが決まっていた。

窮地

 この日の魚谷さんは本当に苦しかった。敗退ボーダーの▲30.4ptで開始した20回戦はじわじわと点数を削られてから、闇テンの満貫、それもラス牌をつかんで放銃。親番はハネ満をかぶって大きめのラスを引き、敗退ゾーンに足を踏み入れてしまった。8位の山脇プロとのポイント差は35.9ptで、順位を上げるにには大きなトップが必要になる。

22回戦開始時のポイント

 自身の最終ゲームとなった22回戦も苦しい展開が続く。リーチ後に薄いアタリ牌を掴まされることが立て続けに起こり、ラス目で最後の親番を迎えることなった。しかも自分以外の対戦者3人はポイントに余裕があり、かつ僅差であるため全員が真っすぐアガリに向かってくる場面である。簡単に連荘を許してもらえる状況ではない。それでもプレーオフ進出のためにはとにかくこの親番で稼がなければ話にならない。

 ここで魚谷さんが手にした配牌がこれだった。タンヤオでドラが1枚あり打点は見込めるが、面子が1つもなくて形は悪い。ツモがきかなければ相当苦しい手だ。しかし待てど祈れど、有効牌をまったく引くことができない。忍び寄る敗北の影。1巡、また1巡と経過するごとに影は濃くなっていく。

追い詰められた魚谷侑未

 せめて他家の手も遅ければ・・・と願っていただろう。しかし12巡目に、とうとうこの半荘3着目の亜樹プロからリーチがかかる。この時点で魚谷さんはまだ一面子しかない有様だった。あまりにも苦しい。

 無駄ヅモを2回挟んだ15巡目のツモは八万。本来とても戦える手ではなくても、大トップが必要な最後の親番でオリることはできない。決死の覚悟でリーチに全く通っていない六筒を切り飛ばす。「ロン」の声はかからない。しかしいまだに手牌はリャンシャンテンのままで、チャンスはあとたったの3回しかない。絶望的な状況だ。

あと2巡でテンパイできなければ終了の手牌

 そして運命の16巡目。魚谷さんは七索を引く。これは10巡目に自分で切っている牌だ。有効牌とは言えない。ここで魚谷さんの手が止まる。

寿人「三筒が筋になったよね」
白鳥「いや、そんなこと言ってる場合じゃなくないですか?もう」
寿人「ない!ないけど・・・」

 解説の寿人プロが口を濁らせる。あとツモ番2回でリャンシャンテンの手牌。ノーテンなら負け。もはや一刻の猶予もない。形から判断すれば七索を切るより他にないように見える。しかし、この七索こそが亜樹プロの当たり牌だった。

亜樹プロのリーチは四七索待ちだった

 三筒を切れば1巡は助かるが、もう我慢で打開できるような状況ではない。「魚谷さんがこの状況で延命策のような打牌を選ぶことはないだろう。真っすぐ七索を打ち抜くのではないか」彼女の麻雀を知る者なら誰しもがそう思い、そして終戦を覚悟したと思う。

 20秒弱の思考を経て、魚谷さんが決断する。打てば終わり。もはや助かる道は残されていないように見える。しかし彼女は右端の七索ではなく、手牌の左へと手を伸ばした。

「七索を切らない?じゃあ三筒を切って粘るのか?」

 そのどちらでもなかった。魚谷さんの指は三筒を通り過ぎ、一番左の牌をつまみ上げた。打二索。それが彼女の導き出した結論だった。

予想外の一打

 二索切り。これは思いもよらない打牌である。意図として、今現物になったばかり六索を鳴きたいということは分かる。しかしそれならば三筒切りの方が縦のフォローがある分有利だし、ましてや二索はリーチに全く通っていない牌だ。わざわざ受け入れを狭くして危険な牌から切る。通常考えられない選択である。

 僕の知る限り、この局の思考について魚谷さんが語ったことはないと思う。したがって、ここからは僕の想像の話になる。一体なぜ打二索なのだろうか?

 あとツモ2回でリャンシャンテンのこの手牌。テンパイするには2回連続で有効牌を引く必要があり、打七索としてもっとも広く受けたとしてもテンパイできる可能性は相当低い。話を単純化するため場に捨てられている牌を考慮しないものとして、七索を切って2巡後に自力でテンパイできる確率を計算すると3.45%となる。これははっきり言って絶望的な数字と言わざるをえない。あまりにも分の悪い賭けだ。

高宮プロの視点

 ここで、上家の高宮プロの立場になってこの状況を考えてみよう。まず現状トップ目である以上、亜樹プロに放銃することはできない。リーチの現物を優先することは絶対だ。もちろん可能なら魚谷プロにテンパイを入れさせるような牌は切らないにこしたことはない。しかし亜樹プロも魚谷プロも河がかなり強く、よく見れば共通の現物は非常に少ない。六索が出る可能性は現実的にありえると見ていいだろう。

 仮に六索を高宮プロが切り、鳴けると仮定すれば、テンパイ確率はなんと31.2%まで跳ね上がる。六索が出なかった場合でも2.37%は自力テンパイ可能なので、打二索としたときテンパイできる確率は以下になると考えられる。どうだろう、七索を切るよりも悪くない賭けのように思えてこないだろうか?

 31.2% × (六索を鳴ける確率α) + 2.37%

 こうなると最大の懸念は「果たして上家から六索を鳴けるか」だ。六索を鳴ける確率αは生死を分かつ数字といってよい。ここでもう一度捨て牌をよく見てみよう。

 ベタオリの基本は合わせ打ちである。六索を切ってもらうためには、切り出せる現物牌をこれ以上増やさないことが肝心だ。高宮プロの捨て牌の5巡目の三索と11巡目の一索はツモ切り。二索を持っている可能性はかなり低いと読める。それに対して三筒に関しては、3巡目に一筒が切られているものの端牌であるため、手牌に三筒がないとはいえない。むしろ捨て牌のバランス的にピンズの下は持っていそうな感じもする。たとえばここで三筒を切ったとして、高宮プロが三筒を持っていればすかさず三筒を切ってくるだろう。合わせ打ちできる牌がある限り、持っていたとしても六索は後回しにされてしまうのだ。

 まとめるとこうなる。この手牌は受け入れを最大にしたところで自力テンパイは非常に厳しい。そこで上家がおそらく持っていないであろう二索を切り、手詰まりを誘発することで現物になったばかりの六索を引き出せるのではないか。もう少し正確に高宮プロの手牌を読んでいたかもしれないが、おそらくこれが魚谷さんの考えたことだと思う。

奇跡と、絶望と

 さて、二索切りのあと果たしてこの局はどうなったのだろうか。予想を裏切り、高宮プロは次巡二索を手から切ってくる。魚谷さんの読みは外れていたのか・・・ いや、読み自体は外れてはいなかった。確かに高宮プロは二索を持っていなかった。だが、不運にもリーチ後に二索をツモっていたのだった。さすがにリーチ後にツモってきた牌を読むことは不可能である。

 17巡目。ここで有効牌を引けなければ本当に全てが終わる。魚谷さんは執念で四万を引き込んだ。打七万とする。あと1巡。

 高宮プロが最後の手番を迎えた。手が止まる。慎重に河と手牌を眺めて確認を繰り返す。もちろん親がノーテンならトップ終了なのは当然分かっているのだが、何度見ても、リーチの現物はこれしかない。そう、魚谷さんがどうしても切って欲しかった牌がとうとう場に放たれたのだった。 

「チー」

 奇跡のような最終巡でのテンパイ。ちなみにチーで川原プロに流れたツモ牌は西。六索を鳴けなければノーテン終了だった。またこれも偶然の所産であるが、亜樹プロは16巡目にニ索を引いている。三筒切りを選択していた場合、おそらく三筒→ニ索と切られて封殺されていただろう。結果から辿れば七万切りでもテンパイは取れるが受け入れをさらに減らすだけなのでさすがに選択のしようがない。つまり、魚谷さんが選んだ二索切りこそがたった一つ残された生存ルートだったのだ。

 解説・実況、そして視聴者からも感嘆の声があがる。魚谷侑未は絶対絶命の窮地を凌ぎ切ってみせた。これは奇跡だと。たとえ流れだの何だの信じられなくても、ここから逆転劇が始まることを期待せずにはいられない。

 本来なかったはずの次局。魚谷さんは絶好の配牌を手にし、7巡目に先制リーチをかける。三色は崩れたものの十分な手だ。

 「ついに逆襲が始まるか」と視聴者が期待したのも束の間、すぐに落胆に変わる。この待ちはリーチをかけた時点でもう山に1枚も残っていなかったのだ。当然ポイントの大きく離れた魚谷さんのリーチに立ち向かう者はおらず、1人テンパイで流局する。

 たとえ奇跡的に親を繋いだとしても、彼女の思いに麻雀が応えてくれるとは限らない。悲しいが分かり切ったことである。どこまでいっても麻雀牌は薄情で、ただの無機物でしかないのだから。

 続くニ本場は食いタンであっさりと捌かれてしまい対局終了。結局、魚谷さんは予選敗退となってしまった。

不屈の心

 プロは結果が全て。麻雀は結果が全て。よく聞く台詞である。あの時七索を切って放銃したとしても、テンパイできずノーテンで伏せたとしても、結局敗退に終わっていたことには変わりない。だとすれば、あのオーラスの連荘は無意味だったのだろうか。僕はそうは思わない。

 この対局の観戦記はないし、動画が無料公開されているわけでもないし、販売もされていない。OpenRecの有料会員になることが唯一の視聴方法だ。敗退したことが分かっている以上、今さら過去の動画を見返す人はファンでもそうそういないだろう。でも、僕はこの一局が忘れ去られて欲しくないと思う。

応援してくれる人より先に諦めない

 ファンなら誰もが知る、彼女の座右の銘だ。だからどれだけ劣勢であっても、観戦しているファンは魚谷さんを信じて応援を続ける。しかしあの一局に関しては、対局を見守っていた人たちも皆、諦めてしまっていたのではないだろうか。なぜなら全員の手牌が見える僕たちは、余り牌の七索がリーチのロン牌であることを知っていた。なんなら、急所の三索が山に1枚も残っていないことすら分かっていた。あの状況でなお、逆転を信じて諦めていなかったのは魚谷さんが本当に最後の1人かもしれなかった。

 それは奇跡と呼ぶほど大それたものではなく、壊れた時計の針が一瞬だけ動くような、仮初めの出来事だったのかもしれない。それでも、どんな大物手をあがった局よりも、どんな逆転勝ちをした局よりも僕の心に残っている。魚谷さんの強さ、麻雀への情熱、タイトル戦に懸ける思いがこれほど伝わる局が他にあるだろうか。

 誰よりも負けず嫌いで、粘り強くて、諦めが悪いあなただからこそ見つけ出した突破口。それはまるで、魚谷侑未そのもののような一局だった。
 


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