淡い夏

 皆さんには忘れられない夏の日はあるだろうか。

 僕は中学三年生の夏、受験勉強に励んでいた。サッカー部の引退試合も終わり夏休みを謳歌しながらも、目当ての高校に入るために日々、駅前の個別指導塾に通っていた。

 この頃の僕にとっては塾に通うのも楽しいイベントだった。大学生の講師に勉強を教えてもらいながら、色々な会話をする。夜遅くに授業が終わり、ハンバーガーショップで買い食いをする。暗くなった帰り道、MDウォークマンでお気に入りの音楽を聴きながら自転車のペダルを回す。
 
 すべての瞬間が、どこか自分を大人になったと錯覚させる。

 そんなある日、女子大生の先生が僕の授業を担当してくれた。
 目元の化粧と唇が分厚く、膝上のスカートを履いている妙に色気のある女性だった。夏らしい明るい茶髪がとても魅力的だった。

 僕にとっては未知との遭遇に近い存在だったが、性格も明るく会話が凄く盛り上がる。そんな女性。

 当時僕は、英語が得意で標準レベルの中学校の問題集に載っている問いにはほとんど解答できた。すると、その女子大生の先生は高校レベルの文法の英作文を解いてみないかと提案してくれた。
 僕はその先生に良いところを見せたい一心で、その提案に乗る。

 先生は無邪気な笑顔で嬉しそうに問題を用意してくれた。
 僕も照れながら、その笑顔に釣られるように笑った。

 すると先生は、まだ習っていない単語はこれで調べてくれと私物の電子辞書を僕に渡し、別の生徒の授業の為に席を立った。

 僕はその後ろ姿を眺めながら、優越感に浸った。大人のお姉さんに認められた男子中学生の思考なんて単純なものだ。

問題に取り掛かろうと電子辞書を手にすると、ちょっとしたイタズラ心が芽生える。
 特別変わった感情では無い。思春期の男子にとってはありきたりなもの。  
 すぐに消してしまえば問題ない。そう思いながら、とある単語を調べた。

「penis」と。

 僕は一人でクスッと笑みを浮かべた。
 しかし。その刹那、僕は重大なミスに気が付いた。

 履歴が残るのだ。

 様々な手を尽くしたが、その単語を履歴から消去することが出来ない。冷静であれば可能だったかもしれないが、15歳の初心な男子には、そんな心の余裕は無い。

 クーラーでガンガンに冷えた教室で、僕の汗は止まらない。地元の古着屋で買ったチェックのシャツの襟元は、もうびしょ濡れだ。蛍光灯の光がやけに眩しく感じた。

 高校レベルの英作文は見事解答できたが、もうそんな事はどうだっていい。怒られるのか。軽蔑の視線を送られるのか。先生の反応にしか意識はいかない。
 気付いていたのかどうかは知る由もない。いつも通りに授業が終わる。

 授業が終わり外に出ると、いつもより蒸し暑く感じる夜の風が優しく僕の心を包んだ。


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