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マンション建替物語 番外編

多摩ニュータウンの行方

 昨年、2020年年初より、一時的に引越しが必要になり、近くのUR住宅をネットで探していた。夫婦二人で住む2dk程度の広さで探すと家賃は最低でも7万円はかかる。恐らく年間で百万円程度の出費になるだろう。それならと何気なく中古マンションの購入はどうだろうとネットで見てみると五百万円以下で売り出されている公団住宅も目についた。これなら、転居の期間にもよるが、賃貸よりも中古を買い、転居の際に売却するか、転居後は賃貸に出した方が得だなと考えた。中々の妙案だと思ったが、同時に複雑な心境に陥った。リゾート地の買い手のないマンションやゴルフ場の会員権がただ同然の値段で売り出されている。それでも買い手がないと言う状況に似ていないか。益々老朽化が進めば、多摩ニュータウンのマンションも同様にタダでも買い手が居なくなるのではと不吉な予感もする。その後、引越しの必要はなくなり、興味は薄らいでいた。
 
 最近、再び多摩ニュータウンの中古マンション市場を見てみたが、
+多摩センター駅から徒歩16分、築43年、70.92m2 の5階/5階建の物件が700万円で売りに出ているが目についた。団地の容積率は50%であり、この物件は単純計算で142m2の土地を持ち分として所有していることになる。
+では、この土地の値打ちはどうなのか?国税庁の公示価格をネットで調べてみた。同じ、土地の評価額は分からないが、駅から徒歩18分の団地の公示価格は176万円/m2である。この物件の土地持分は凡そ25百万円の価値があることがわかる。
 建物がある事が逆に価値を大幅に下げている事になる。これは余りにも多摩ニュータウン団地の物件が過小評価されているのではないか。かつては憧れの住まいであったのにもかかわらず。あまりにも寂しい。

 1987年7月に駐在から帰国した時は、子供がいて以前に住んでいた1LDKのマンションには住めず、新しい住処を探さなければならなくなった。バブルの真っ盛りの時期だった。バブルで都心のマンションはとても買える価格ではなかったが、田舎育ちの私にはそもそも都心で子育てをすると言う事が全く想像できなかった。子供はどうして小学校に通うのだろうか?買い物はどこですれば良いのだろうか?等々全くイメージできなかった。また、東京の街並みは都心を除けば道路も狭く、家が建ち込み強い圧迫感があり、好きにはなれなかった。そんな時、知ったのがニュータウンの街並みだった。広い道路に余裕のある建築物。日本の未来が感じられ、一眼で惚れ込んだ。幸い、住宅公団がマンションや戸建てを比較的安い価格で分譲しており、倍率はとてつもなく高かったが、必死になって申し込んだ。漸く、バブルの最終期に抽選で当選し、多摩ニュウータウンで最後に開発が始まった稲城地区のマンションを購入でき、1989年3月に稲城地区の最初の住民の一人になった。専有面積は3LDKで100m2が基準のマンションは当時でも広くて自慢であった。港区の会社まで1時間以上かかり、夏の通勤は少し苦痛だったが、家族がのびのび過ごしているのを見るのがうれしくて、痛勤も我慢ができた。私が住んでいる稲城地区は未だ若い住民が多く小さな子供たちの賑やかな声が聞こえる。しかし、将来は多摩地区と同じ様に寂れてゆくのであろうか?

 今はコロナ禍で生活習慣が大きく変化し、在宅ワークが増えた事より通勤時間が増えてもそれが大きな障害にはならず、また、在宅ワークの為に自宅により広いスペースが必要になった。また、時間的な余裕から家族で過ごす時間が増え家族との過ごし方がより大きな関心事になって来たのではないだろうか。このような環境の変化より都心から郊外に住居を移す動きも出てきたと聞く。コロナ後も同様の傾向が続くかどうか分からない。しかし、何が何でも都心もしくは都心近くに住まなければならないと言う考え方は少し変わるかもしれない。となれば、多摩ニュータウンが生まれ変わる日が来るだろうか?容積率が50%の広大な土地と言う恵まれた住宅環境は日本でそれ程多くある訳ではない。稲城のある地区のマンション群は空地に恵まれ、空地が公園になっている。と言うよりむしろ公園の中にマンションが立っているという印象だ。

 しかし、最初に開発された永山、多摩センター地区では築4−50年のマンションがほとんどで老朽化が進んでいる。旧耐震基準のマンションが殆どで単純な個別のリノベーションではこの問題は解決しない。また、専有面積も40m2−60m2台が中心でファミリータイプとしては十分ではない。エレベーターがついていない5階建の建物が多く、住民の高齢化に伴い空き家が増える可能性がある。等々の事情を考えれば単純な手法では再生は困難であろう。どうすれば、この団地群の再生が出来るのだろうか?

 恵まれた容積率を利用した団地の建替はその一つの方法であろう。2013年に東京建物が事業協力者として諏訪2丁目住宅の建替えが竣工している。容積率が50%から150%になり専有面積が3倍になったが、5階建ての団地が11−14階建てのマンション群に生まれ変わった為、恵まれた空地の率はほとんど変わらず、豊かな共有施設も設けられ、住環境はより良くなった様だ。その後は民間企業による団地建替が進んでいないのは残念だが、コロナ禍における住宅需要の変化が団地建替を促すきっかけにはならないだろうか?

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(諏訪2丁目住宅)

  リモートワークの普及は個人の住環境に影響を与えるだけではない。企業の本社機能にも大きな変化をもたらしつつある。淡路島に本社を移転する企業もある。米国に駐在していた時、アメリカの大企業が都市郊外に本社を置いているのに驚いた。広大な土地の緑豊かな環境の中にゆったりとした本社があり、社員はほとんどが車通勤だ。これは決して珍しい光景ではなく、当たり前の仕事環境だった。日本でも東京郊外に本社を移そうと考える企業がいれば、多摩ニュータウンはその有力な候補になるのではないだろうか?いくつかの団地を集約して建替を行い、空いた広大な敷地に事務所を建設できる。そうなれば、職住接近の恵まれた住環境になる。多摩センターからリニア新幹線の橋本駅までは電車で10分もかからない。また、小田急線では大手町まで直通で行ける。京王線を使えば新宿、渋谷にも便利だ。

 我々は今コロナとかつて経験した事のない、辛い戦いを長期に渡り強いられている。この戦いの後、以前と同じ平穏な日々が帰ってくるだけではあまりにも戦いの甲斐がない。コロナ禍で芽生えた新しい生活様式や文化が定着し、新しい世界を生み出してほしい。それが、多摩ニュータウンの団地再生に結びつくものであればと夢見ている。シェアーオフィス、シェアーハウスの建設もいい。若い世代が多く集まり活気に満ちた街。そして高齢者にも優しい街等々。



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