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ブリリアタワー浜離宮の誕生物語(2)

第一章 事業協力者の選考まで

1. 2012年11月−2014年11月
 理事として『イトーピア浜離宮』再生への関わり

1)管理組合理事会活動への参加

 2010年6月に定年退職となり、自由気ままな生活を楽しんでいたが、何か物足りなさも感じていた。そんな時、イトーピア浜離宮管理組合の理事募集を目にし、これからは人の役に立つことをやろうと理事に応募。2012年の11月の総会で承認を得て理事としての活動を始める。このマンションには1979年の竣工から1981年2月の海外駐在赴任までのわずか一年と数か月の間過ごしただけだった。帰国時には、結婚し、子供がいたため1LDKのこのマンションの部屋には住むことができなかった。しかし、小生にとっては20代の最後の時期を過ごし、大変思い入れ深いマンションだった。また、何より長きにわたり管理組合の仕事を先輩諸氏に任せ、何もしてこなかった後ろめたさもあった。更に2011年の東日本大震災はそれまでの自然災害の概念を根本的に変えることになり、大切な資産を災害から守りたいと言う思いも理事としての活動を始める動機となった。

2)地震対策としてのマンション再生方法の模索

 2012年当時は過去の建替え推進決議が有効であったにも関わらず、建替え問題は管理組合理事会の関心事ではなくなっていた。その理由はマンション再生検討委員会の依頼を受け、2010年3月にNF社(デヴェロッパー以後デヴェと略)より出された建替提案で、(総合設計制度を利用して容積割増を受ける為には部屋面積が最低25m2以上あることが必要条件であり)20m2のワンルームの場合、25m2に増床するには平均856万円の費用が掛かるとされ、再生問題検討委員会はこれでは区分所有者の賛同を得ることは困難と判断、経済情勢が好転するまで建替え推進を保留することを決定していたためである(建替費用として現在ではそれほど高額とは思えぬが、当時の市況ではイトーピア浜離宮のワンルームの中古物件が買えるぐらいの金額であったのではなかろうか。)。とは言え、耐震性に大きな問題を抱えるイトーピア浜離宮にとっては、耐震性の改善を目的としたマンション再生は緊急の課題であった。また、マンションに接する首都高速道路は都の条例により災害時緊急輸送道路に指定されており、イトーピア浜離宮は地震対策を義務付けられていた。従い、2013年の理事会の活動はK理事長のリーダーシップの下、耐震補強、免震改修を中心にしたマンション再生問題への取り組みであった。
 行政やディヴェロッパー主催のセミナーに参加したり、施行例を見るための建設現場の見学会等を通して見識を深めていった。南北両面がバルコニーになっているイトーピア浜離宮では、補強のため、開口部に斜めの梁が入る耐震補強は外観及び採光に与える影響が大きく適切では無いと言う事が理事会の共通認識であった。一方、免震改修は費用が過大であるとの認識があった(耐震診断を担当したユニバーサル設計によれば、耐震補強は約8.3億円、免震改修では23億円の費用見積もりであった。)。かかる状況下、マンション再生問題は出口が見えず閉塞感に包まれていた。しかし、都が主催した免震改修の施工例の見学のため、訪れた都心部のマンションでMS社(ゼネコン)と話をする機会があり、イトーピア浜離宮の免震改修の提案を受ける機会に恵まれた。2013年4月に提出されたMS社(ゼネコン)の提案は、素人目には精度が高く完成度の高い提案と思われた。また、費用もこれまでの認識に反し、耐震補強の費用に近い10億円強であった。これによりようやくマンション再生問題も出口が見えて来たと思われた。しかし、MS社(ゼネコン)の提案を受け、区分所有者に免震改修を提議するためには、他社よりも同様の提案を受け、比較検討の上、施工会社を選択すべきであるとの判断より、S社(ゼネコン)、K社(ゼネコン)等にも川崎理事長より免震補強工事の提案の依頼が出された。

3)マンション建替提案

 しかし、免震改修工事に関心を持つ建設会社は少なく、S社(ゼネコン)よりは建替えを勧められ、同年6月にその検討のためT社(コンサルタント、以後コンサルと略)と言うコンサルタント会社を紹介された。T社(コンサル)が提案したコンサルタント契約は下記の様な骨子であった。建替推進が挫折した場合でも経済的には管理組合が失うものは何もない。また、T社(コンサル)が手掛けた建替え事業の現場を訪問し、その管理組合理事の話を聴き、T社(コンサル)が信用の於ける会社であると判断できたので、建替え事業のコンサルとして契約を結んだ。

『契約の骨子』
(1)T社(コンサル)は建物設計、経済条件を含んだ建替え事業の提案を作成し、T社(コンサル)が作成した費用見積もりに基づき事業協力者としてのデヴェロッパーを公募する。
(2)T社(コンサル)に支払う、コンサルタント費用は後に契約するデヴェロッパー負担とし、イトーピア浜離宮管理組合はその費用を一切負担しない。
(3)建替決議が承認されず、T社(コンサル)の推進する建替事業が成立しない場合もコンサル費用はT社(コンサル)の自己負担として、管理組合は一切負担しない。
(4)建設会社はS社(ゼネコン)とする。

 契約締結後、T社(コンサル)より2014年2月に提案書が提出されたが、最初から非常に具体的な提案書の様に見えた。各住戸の従前資産評価が表示され、かつ、建替後の従後資産評価も表示され、各区分所有者が建替後のある住戸を希望する場合その追加費用が一目瞭然に分かるようになっていた。還元率は85%で20m2より25m2への増床費用は平均で700万円程度とされた。また、引越し費用の負担、家賃半額負担も提案された。2013年9月に2020年開催の東京オリンピック招致に成功し、不動産市況も湾岸部を中心として回復基調が顕著になってきた時期であった。

 同時期、比較のため、NF社(デヴェ)にも同様の提案を依頼したが、主に工事費の高騰を理由として経済環境は2010年の第一次提案書作成時よりも悪化しているとして、前回と同条件で20m2-25m2への転換費用として1,060万円との回答があった。(前回の提案では同費用は856万円であった。)しかしながら、回答書をよく見れば、工事費の上昇は販売価格の上昇で十分にカヴァーされており、大きな変動要因は消費税の5%から10%への増加であった。結論として、これまで同様、しばし様子を見ることを提案された。しかし、建替の本来の目的が地震対策である以上、いたずらに時を浪費することは賢明な策ではなかった。

 NF社(デヴェ)以外の他社よりは提案が出ず、2者の比較になった。詳細な提案条件が同一では無く、単純な比較は出来ないが、表面的な費用比較ではT社(コンサル)の優位性は明らかであった。とは言え、2010年に受けたNF社(デヴェ)の第一次提案と比較しても飛びつくほどの魅力ある建替え提案とは言えなかった。2011年の東北大震災を経験し、イトーピア浜離宮の脆弱性を認識する管理組合としては耐震性の向上は放置する事のできないテーマであった。また、オリンピックの誘致も決まり、不動産市況が上昇を始めた時期であり、再建後の新築マンションの分譲価格が大幅に上昇していたことから費用負担額が相対的に小さく見えた。

 かかる状況下で、マンション再生主要3手法のワンルームの最小面積である20m2当たりの費用を2014年当時の見積もりで比較すると下記のようになる。
単位は百万円。(25m2への増床費用は含まず。)
           耐震補強   免震改修    建替    
工事費        147    234     204
大規模修繕費用     86     86       0
総費用        233    320     204

 建替えの場合は上記の他に、20m2→25m2の増床費用、引越し、仮住まい費用もしくは家賃収入の損失等の費用を考慮せねばならず、実質費用は最も大きくなるが、建替え後の生活の質や資産価値の向上を考慮すれば、費用面での建替えの優位性は明らかであり、理事会として組合員に建替えを提案する方向に舵を切ることになった。

 しかし、理事会ではT社(コンサル)の提案には下記の様な不信感、不安感を持つ理事もいた。
(1)T社(コンサル)と言う会社は信頼できるのか。デヴェロッパーが公募に応じなかった場合は自力で事業を推進する力があるか?
(2)保留床(余剰床でデヴェロッパーが取得し、分譲販売する。)の販売価格が410万円/坪と市場価格に比較し高額すぎる。実現性に疑問。
(3)NF社(デヴェ)提案に比較し、負担費用がかなり安いが、採算性に問題はないか?実現性はあるか?
確かに(1)の不安については当たっているだろう。公募に応じる会社がなければ、コンサルであるT社に資金負担能力は無く、その時点で建替え推進は中止なる。とは言え、そうなっても管理組合に費用負担が発生するわけではない。しかし、(2)、(3)については理論やデータを分析した上でのもので無く、漠然とした感覚的な不安や疑問であり、これらの疑問を解明すべく、T社(コンサル)提案の信頼性を検証してみる必要があった。

4)T社(コンサル)の提案の検証

 上記(2)の販売価格に関しては410万円/坪と言う平均単価は当時売り出し中の湾岸タワーマンションの価格と比較しても突出して割高であるが、この坪単価は17階以上の高層階の坪単価であり、売り出し中の全棟売りの新築マンションのそれとは単純に比較できない。
 従い、3-16階の販売価格を一般に販売した場合の価格に修正し、プレミアム住居を除く全棟一般販売と仮定した場合の平均坪単価は384万円となる。384万円/坪と言う販売価格はこれでもまだかなり高い様に見受けられるが、17階以上では北面を除き眺望を妨げる建物が無く、非常に眺望に優れたマンションであること、またこの価格は品川タワーレジデンスと同水準にあり、東京オリンピック開催決定後に売り出しとなったマンションの販売価格が大幅に上昇していることや恵まれた立地条件を考慮すれば、T社(コンサル)提案の販売価格も決して非現実的と言う水準ではないと思われる。NF社(デヴェ)もその提案書でT社(コンサル)と同じ価格を適用しており、その妥当性を認めているものと考えられる。
 上記(3)の実現性の問題であるが、T社(コンサル)とNF社(デヴェ)の提案で区分所有者の負担費用額の差の最も大きな要因は建替えに伴う転出率(建替後のマンションを取得せずに権利を売却して転出する権利者の割合)の読みであると理解できる。イトーピア浜離宮の専有面積は合計8,669.96m2であり、両者の建替提案における権利床(権利者が取得する床)の専有面積はそれぞれ、6,884m2と8,840.33m2となっており、現占有面積比較79.13%、101.61%となっている。ワンルームの増床が必要である為、実質的な転出率はこれよりも大幅に大きくなる。転出率が大きければ大きいほど、保留床面積(デヴェロッパーが買取、分譲販売できる床)が大きくなり、それだけデヴェロッパーの採算は良くなる。これが、両社の負担金の提案の差になっていることが理解できる。

 従い、採算的には危惧すべき問題はないと判断された。問題は、実際に転出率が想定より小さかった場合、建替え事業の採算は悪化する事になるが、その場合でも、デヴェロッパーの負担によりそれを吸収し、区分所有者への負担としないと言う前提で、T社(コンサル)提案の斬新さを評価した。ただし、この時点では、T社(コンサル)より区分所有者の負担増は無いとの確約を得ていた訳ではなかったが、後に改正されると予想されていた建築基準法でのエレベーターの容積率不算入や駐車場の要件緩和が容積率の実質的な増加となり、採算悪化を防ぐ緩衝材になるとT社(コンサル)は考えていたと推測された。
 以上の検証よりT社(コンサル)提案の実現性にはある程度の信頼が持てる様になった。

5)建替提案説明会と建替推進決議

 その後、2014年6-7月に区分所有者への建替え提案説明会を開催し、T社(コンサル)提案を区分所有者に説明した。同時に、2017年に予定されていた大規模修繕に関する説明会も開催した。修繕積立費に関しては多くの区分所有者が誤解をしていた。イトーピア浜離宮の現在の修繕積立金が非常に安く(25円/m2)、建替後には修繕積立金が大幅に上昇することを恐れていた。しかし、本来、イトーピア浜離宮でも修繕積立金は早い段階で上方修正する必要があったのだが、かつては屋上の広告塔収入があり、この収入で修繕費用が賄え、かつ、当時も4億円以上の修繕積立金としても繰越金があった。また、駐車場の空きを外部に貸し出すことにより駐車場収入を得ていたこともこのように低額な修繕積立金を維持することができた理由であった。しかし、本来、2017年に予定していた大規模修繕でこの貯金は底をつき、以後は、修繕積立金を現在の14倍に増やさなければやっていけないという事実は認識されていなかった。

 説明会の後、アンケートによる区分所有者の意向調査を行った。主な結果は区分所有者ベースで
回答率 : 81.52%
再生手法の選択:建替 70%、耐震+修繕 15%、免震+修繕 5%、その他 10%
建替に対する支持は70%で2010年の建替え推進決議の結果からも想定の範囲内と思われた。

 この結果を受け、T社(コンサル)の勧めにより同年11月の総会に建替推進決議を3/4の賛成を必要とする特別決議として上程した。(規約上は過半数の賛成で可決される普通決議で上程できる。)しかし、区分所有者ベースで議決権行使率はアンケート調査の回答率よりわずかに増えた84%と振るわず、結果は残念ながら、議決権総数の中では賛成67%と承認には至らなかった。議決権行使した区分所有者の中では80%に近い賛成を得ていた事から、16%もの区分所有者が議決権を行使しなかった事が承認を得るに十分な賛成を得られなかった最大の原因であった。意向調査の後、建替賛成を増やすための活動、総会の議決権行使を100%に近づけるための活動が不足していた事は基本的な反省点であるが、その他にも多くの反省点があった。

6)建替推進決議否決の反省

(1)2010年総会で承認された建替推進決議が有効であるにも拘わらず、大きなリスクをとり特別決議として上程した背景にはT社(コンサル)の自信の無さと同時に自信の表れがあったと思われる。
 T社(コンサル)がなぜ、75%の賛成に拘ったか?デヴェロッパーの公募に際し、自らの影響力に自信が無く、80%に近い区分所有者の賛同があることを示し、デヴェロッパーに建替決議は容易であると信用させたかったのであろうと想像される。また、自信は回答者が増えれば、賛成が増えると信じた事である。
(2)実際に、回答者の中で見れば賛成は80%近くに上昇したが、無関心層を引っ張り出す事は出来なかった。海外、地方を含む外部居住者である無関心層への働きかけには多くのマンパワーが必要である。これがイトーピア浜離宮の合意形成における最大の問題点である。ここから賛成を1%増やすには非常に大きな労力を必要とするのである。しかし、理事会、管理組合にはこのようなマンパワーは無く、これはコンサルの役割であることは理事会とT社(コンサル)の共通認識であった。にも、拘わらず、T社(コンサル)は担当者以外のマンパワーを提供できず、十分な対応ができなかった。これは当時、理事会として認識できていなかったT社(コンサル)の弱点であろう。
(3)T社(コンサル)に対する不安・不信
区分所有者から見れば、T社(コンサル)に対する不安・不信があった。いきなり、無名の会社がこれほどの大事業の提案をしてきた事に戸惑いがあったのではないだろうか。確かに、具体的な提案に至るまでに勉強会や意向調査もなく、唐突な提案であった印象は否めない。T社(コンサル)と言う会社に対する不信感より感情的な反対も少なからずあったように思われた。ならば、T社(コンサル)という会社と提案の周知にもう少し時間を掛けるべきであっただろう。

7)T社(コンサル)提案の評価

 次にT社(コンサル)の提案の評価を行いたい。無論、当時は理事会には彼らの提案をNF社(デヴェ)の提案と単純比較するしか能力は無く、下記の評価は、建替推進決議否決の後に今後の方針を考える中で思い浮かんだ事である。
(1)T社(コンサル)提案において、経済条件の優位性は転出率の想定の高さに依る事はすでに述べたが、転出率が想定以下になった場合にも提案の経済条件が維持されるかどうかについては明確なT社(コンサル)の言質をとってはいなかった。経済条件維持の保証がなければ、転出率の変化に伴う経済条件の変更のシミュレーションを作成すべきであった。
(2)他社提案との比較も同じ転出率を使用して経済条件を出し、比較すべきであったが、前提条件の異なる提案を比較していた。従い、T社(コンサル)、NF社(デヴェ)提案の比較は無意味であった。
(3)競争の欠如。T社(コンサル)はデヴェロッパーを公募する事で競争原理が働くとしたが、T社(コンサル)の作成した提案を受けるデヴェロッパーを募集すると言う事で実際にはT社(コンサル)の提案以上の条件が出る訳ではなかった。また、裏でT社(コンサル)、デヴェロッパーが手を組めば我々は知らない内にT社(コンサル)の言いなりになる恐れもあった。当時、T社(コンサル)はデヴェロッパーから提案を受けるとデヴェロッパーの利益率が高くなり、権利者に有利な提案を得られない。T社(コンサル)はデヴェロッパーの採算を熟知しており、デヴェロッパーにとってはギリギリの採算で権利者に有利な提案を作れると主張しており、この主張を受け入れていたのだが。
(4)更に、建設会社がS社(ゼネコン)で最初から決まっておれば、競争原理は全く働かず、最悪、S社(ゼネコン)の手の内で全てが決まる可能性もあった。


 建替推進決議は否決された。当時は少なからず落胆したが、この一年でT社(コンサル)の建替提案を受け、次のステップに進むために多くの事を学ぶ事が出来た事は大きな収穫であった。この挫折がイトーピア浜離宮の建替の成功の最大の要因となった。

<参考>2014年11月以前のマンション再生の動き

 さらに話を進める前に、K前理事長の指導の下、推進されてきたマンション再生の運動につきその経緯を振り返ってみたい。
1)2005年に各種セミナーに参加し、情報収集と研鑽を行われた。
2)2006年港区の助成により耐震診断を実施。6月に区分所有者に対し、説明会を開催し、結果を報告。
3)2007年には理事会にマンション再生勉強会を設置。9月にK社(建設)による建替提案説明会を実施。この提案には必要となる費用等は含まれておらず、議論の進展はなかったが、説明会の後で実施されたアンケート調査では回答者の85%がマンション再生の一環として、建替の検討を進めるべきだと答えた。
4)2008年11月の総会でマンション再生専門委員会が設立され、修繕と建替の両方向性について検討を進める。
5)2009年NF社(デヴェ)を共同作業者に選考し、マンション再生共同委員会を設立。12月に再生プロジェクトの中間報告として区分所有者に報告。また、アンケート調査も実施。
6)2010年3月再生検討委員会の最終答申(建替提案)が出されたが、建替コストが高く区分所有者の賛同を得ることは困難として、経済情勢の好転があるまで建替推進を保留することを決定。2008年9月のリーマンショックの後であり、マンション市況もどん底の時代だった。

以上


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