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2.大学時代

・大学2年:まぐろはえなわ漁船「八戸耕漁丸」に乗る
 

大学を休学して手伝っていた(有)東興業をやめたのが12月だった。翌年4月復学するまでの3ヶ月間を、かねてよりあこがれていた船乗りの経験をしたいと思い、一緒に仕事をしていた気仙沼出身の左官職人 小関さんに「八戸耕漁丸」を紹介してもらった。

「八戸耕漁丸」は近海はえなわ漁船で乗組員16名、47tという小さな木造船だった。私にとって海は2番目の兄が海上自衛隊に入っていた事もあり、憧れだった。しかし、外洋については全く知らないし、まして漁をするという事についての知識も皆無だった。それにもかかわらず不安を持たなかったのは若さのせいもあるだろうが、「他の人がやっている事だからなんとかなる」という安易な考えからだった。

一航海60日、一度出港すると2ヶ月間海の上にいなければならず、どんなに帰りたくても帰れないのである。1月中旬、出港を前に雨カッパや長靴、お菓子、たばこ等を仕込む。食事は全て船で出るが、それ以外の物は全部自費で用意するのだ、7万円近くかかった。

同じ船に乗る機関長に進められ栄養剤も買った。おもしろいのは布団で、幅が60cm位しかない。船のベッドは肩幅よりちょっと広いだけなので十分なのである。うなぎの寝床といわれるようなものだった。

1m位の通路をはさんで両側に6人ずつベッドが並んでいる、隣とのしきりは、カーテン1枚である。全ての準備が終わって1月中旬の午後2時、「八戸耕漁丸」は景気良く都はるみの演歌を流しながら気仙沼港を出港した。乗組員は家族とか、恋人とかとテープを持って岸壁を離れて行くのだが、私を見送ってくれたのは、世話になった、小関さん夫婦だけだった。

船の別れは、近くにいるうちは、照れくさくて手も触れないが、顔がみえにくくなる位になると、自分の気持ちに素直になれ、大きく手を振ったりするのだった。気仙沼港は入り組んだ湾の中に有り、波のない静かな水面を「八戸耕漁丸」は気持ち良く走っていた。港のほうを振り返って見ると、それまで見えなかった山々が雪をかぶり眩しく見えた。

揺れのない船室で早めの夕食をとり、うなぎの寝床に入った。エンジン音やその振動はさして気にもならずあっという間に眠りにおちた。後で感じるのだが、ここまでは、天国だったのだ。人は天国にいる時は気づかないものだと思う。翌朝、目をさました瞬間から、それまで経験した事のない、大変な55日間だった。

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・大学2年 「あけぼの運送」の社長なる

お正月の休み明け。東京に住む、ガソリンスタンドの所長をしている兄より、安い2tトラックがあるからいらないかとの電話が入った。車検が1年近くあり2万円だとの話。今から30年前、その頃の2万円の価値といえば、1ヶ月の下宿代1万5千円、小使い5千円で十分生活ができていたので、現在の10万~15万円位に相当するかもしれない。トラックを買うお金だが、家から私への仕送りは、1年分を1回に送って来ていたので、4月までの生活費はまだ少し残っていた。

買う事を決断し、引き取りに行ってアパートの前庭にトラックを持って来た。この時は、まだ使い道は決まっていないがわくわくした気持ちが自然に湧いてくる。あけぼの荘という4帖半のアパートで一人寝る前にトラックの使い道を考える。思い出したのが1ヶ月前の友達の引っ越しだった。運送屋に頼んだら2tトラックで1時間位で終わったのにかかわらず、6500円も請求されたのだった。

私がやるんだったったら3500円ももらえれば十分できる、こんなことを考え始めると、夜中になっても目がさえ、眠れなくなってしまうのだった。引っ越しの営業はどうすれば良いか?受付は?もちろん電話等学生が持っているはずもないので受付はどうするのか等いろいろ考え、朝まで眠らずに計画をたてた。

結論は営業チラシを作り、学生のアパートや学生寮に張る。電話がなければ連絡がとれないので、私の4月分の生活費7万を使って電話を入れる事にする。チラシのコピーは学校のコピーを無断拝借してやり、即実行できる準備を進める。


その頃、ちょくちょく顔を出していたアパートの大家さんに電話を入れる事や、引っ越屋開業の話をした。すると、「資金はどのくらいかかるのか?貸してあげるぞ」と言われ、私は「車と電話とその他全部で11万です」と答えた。

なぜアパートの1住人である私にそんな話しをしてくれたのか?その時は考えもしなかったが、直ぐ返せる自信があったのでありがたく11万円借りたのだった。アパートの一室に電話も引いた。私が留守の時の為に隣の部屋に住む千葉君の部屋へも切り替えて使える様にし、引っ越し受付用のメモ用ノートを1冊おいてもらった。

2月中旬チラシをコピーし30枚位アパートの入り口等へ貼ったチラシの内容は、「引っ越し引き受けます。2t車持参、仙台市内一律3500円県外も引き受けます。北海道、沖縄は行きません。――あけぼの運送 志賀忠重(東北工大学生)」
あけぼの運送とはアパートの名前「あけぼの荘」からとった。チラシを貼った翌日から毎日のように電話が入り、予想以上に繁盛した。一番多い時は、仙台市内で1日8軒の引っ越しをこなした。

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当時、1日3500円×8軒=28000円の収入はかなり大きい金額だった。2月は市内の引っ越しが多かったが3月に入ると卒業して実家へ戻る学生のために秋田、山形、福島、と東北6県はもちろん、東京までも引っ越しの依頼がきた。河内さんに借りた11万円は1ヶ月かからずに返す事ができ、驚かれた。

その後、あけぼの運送は知人の紹介で2つの会社より仕事を頼まれ、私が卒業するまで、毎月10万円以上の収入をもたらしてくれた。アパートの私の部屋のドアに「社長室」とプラスチックのプレートが貼られたのはこの頃だった。


・大学2年:2年生から4年生へ

「八戸耕漁丸」をおりて学校へ復学する。休学する前、2年から3年へ進級するのに必要な単位が足りなかった私は復学してもまた2年生に入る事になる。同時に入学した友達は4年生になっていた。

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この事実は私にとってはプレッシャーであり、また、居直って考えるしかないものでもあった。高校受験を失敗してすでに1年、遅れをとっているので、このまま行くと合わせて3年遅れてしまう事になる。今になって考えるとこの頃、私がした寄り道はその後の人生にとって、貴重な経験となったのだが、その頃の気持ちは、やりたい事をしているうちに、みんなに置いてきぼりをくったような心境だったのである。

真剣に進級する事を考えると道はあるもので「特別進級」という制度があった。「特進」とは、2年生としての単位と3年生の単位をとれば2年生から4年生に一気に進級できるものである、しかし、同時に単位を取るには、一週間の時間割りの中で、どんなにうまく組んでも同時に違う教科に出席しなければならない時間があった。体は一つしかないのに、2つの授業を同時に受けなくてはならない。

私は、担当教授の所へ行って、こう頼んだ。「進級する為には、先生の単位をなんとか取らなければなりません。しかし授業が重なってしまい先生の授業を受ける事が出来ません。去年一度は先生の授業は受けています、今年は自分で勉強しますのでなんとか試験だけは受けさせてもらえないでしょうか?」 こうして授業を受けずにテストを受けさせてもらえる事になった。

思い切ってあたった事で特進の可能性が出てきた、嬉しかった。試験が近付くと同じアパートに住む真面目な同級生に傾向と対策を聞き、集中学習をした。同級生といっても年令は2つも下なので、素直に教えを乞うと丁寧に教えてくれた。

こうして、1年間いかに単位をとるかを真剣に考え努力した、結果はすれすれながらも単位を満たし、2年生から4年生への進級ができたのだった。


・大学4年:先生、卒業だけはさせて下さい

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大学も4年になると、希望の研究室を選ぶ事になる。「構造力学・田中研究室」を選んだ。田中先生は変わった人で、いつもゴム長靴を愛用していた。研究室コンパの時の事、仙台の1番の繁華街、一番町での飲み会にもゴム長靴をはいてきた。若いながらも、この時すでに助教授で学者だなぁーと感じさせられる雰囲気だった。

先生とは妙に馬があい、自分を素直に出す事が出来た。船に乗っていた事、引っ越し屋を始めた事等を話すと、喜んで聞いてくれた。

「卒業だけはさせて下さい!図面描いたり、計算したりするのが苦手なので、得意な人を雇って社長になりますので、なんとか卒業だけしたいのです。」

そう言うと、田中先生は笑って聞いてくれた。先生からはいろいろな事を頼まれた、ある時は、実験用の100tジャッキを何台か調達したり、ある時実験に使った鉄筋の廃材を私のトラックで、スクラップ屋に売りに持って行ったりした。田中先生は学者なので、もちろん免許は持っていなかった。ある時、秋田から奥様の両親が出て来る事になった。

先生より、「両親に金華山を見せてあげたいので車を用意してドライブに連れて行ってくれないか」と頼まれた。私は2つ返事で引き受けた。これが、私の卒業試験かと思うくらい張り切って準備をした。

こうして田中先生のお陰で無事卒業できたのだ。卒業して何年かは、卒業できないで悩んでいる夢を何度かみたものだった。今でも、田中先生は元気でつい最近お会いしたら、学生時代を振り返り、「志賀君みたいな学生はその後はいない。あの頃の志賀君は、なにか考えつくともったいなくて寝てられない、早く朝が来ないかと楽しみなんだと言ってたよ」と語った。先生と話していると気持ちが学生時代に戻ってしまう気がした。

――田中先生ありがとうございます、卒業できたのは先生のお陰です。


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