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19.ウィスキーで乾杯

・河野さんの北極点到達

河野さんの北極点到達は、予想を超えるスピードでやってきた。5月2日午後、テリーさんのダイニングルームに現地サポーターの真木さんが、コピー紙を持って飛び込んできた。見ると左上に小さな数字が並んでいた。

89.999N

これが北極点到達を示すアルゴスデータだ。すぐにファーストエアー社へ河野さんのスタッフは急いだ。テリーさんの所の無線機では、北極点からの声は入らない。気がつくと今まで「やった、やった」「予想してないうちに着いてしまった」「早かったね」と言った声がなくなり、テリーさん、ピーターさんを含めた関係者が出て行った後のダイニングに私は何か取り残されたようなさびしい気持だけが残る空間だった。

一人でガレージ2階の無線室へ入ると、無線機から大西君、真木さん、テリーさん、ピーターさんたちの北極点へ到達した河野さんへ向けての喜びの声が続々入ってくる。河野さんの声は入らない。4~5日前の河野さんのサポートチームの苦しい心情を知っている私にとっては、悔しさよりも素直に「よかったな」と思える気持が湧き上がる瞬間だった。

大場さんは、4月18日、北極点まで19.4㎞のところまで迫りながら、悪天候に阻まれ4月25日には北極点から109㎞の所まで流されている。あの時点でもう1日天気がよければ北極点に到達できたのになという気持ちが頭をよぎった。河野さんが到達した5月2日の大場さんのアルゴスデータでは大場さんは北緯89度44分34秒、北極点まで28.703㎞の所にいた。

よし、大場さんは明日到着だ。補給物資の再点検を始めた。無線機が5月3日夜には届くので、4日には大場さんへの北極点補給ができる。スムーズに行けばユーレイカ1泊なしで5月4日夕方には、大場さんに補給品が届けられる。抜け落ちのないように再度補給品のチェックをした。

河野さんチームは、5月3日早朝レゾリュートを発ち、ユーレイカで燃料補給後、3日夕刻に北極点で河野さんをピックアップして、とんぼ返りで3日夜ユーレイカに1泊、5月4日の午後1時半にはレゾリュートに帰ってくる予定。河野さんのスタッフは、長時間(往復14時間)のつらいフライトを考えながらも、3ヶ月に及ぶサポートも終わりに近づく喜びが表情に見える。

大西君は私に言った。「大場さんと河野さんは出発点も違うし、出発日も別なので勝ち負けはないが、早く肩の荷が下りたという事では、私が勝ったね。」
私も同感だった。


・大場さんの現在地

5月3日、河野さんチームが出発した後、大場さんのアルゴスデータを待つ。5月3日7時15分、北緯89度57分10秒8、北極点まで5.249kmに近づく。予想通りだ。この後のデータがなかなか日本から入らない。気をもむ。小アルゴスが発信されてもいない。これがなければ補給機を飛ばす決断はできない。故障しているのかと心配になる。

5月4日0時6分、アルゴスデータがFAXで入る。せっかく近づいていた位置が6.813kmと北極点より離れている。不安がよぎる。前回と同じように流され始まったのか?それともリード(氷の割れ目)があって迂回しているのか?判断のしようがない。テリーさんもFAXを届ける度に顔が曇ってくるのを感じる。

既に河野さんは、北極点でピックアップされ、ユーレイカに着く時間。ピックアップに飛んだパイロットからの無線連絡では、北極点付近は天候が悪化しているようで、着陸も難しかったらしい。着陸地点だけ300m位ポッカリ晴れていたという。河野さんは400m位離れたところから歩いてピックアップ機まで来たことをピーターさんから聞くと、心配は大きくなる。

日が変わり、5月4日9時22分、大場さんの位置は北極点から26.246kmと大きく西の方へ移動している。もう全く何がなんだかわからない。昼過ぎ、河野さんのチャーター機が着くというので、ファーストエアー社へ迎えに出る。北極点付近の天候、氷の状態を確認するためだ。

チャーター機を降りてくる河野さんは元気だった。河野さんは目をやられていてサングラスを外せない。ホワイトアウトの中をラストスパートして歩き通したためらしい。大西君からこのチャーター機の副操縦士が、大場さんの1回目補給に行ったことを聞き、すぐに話を聞きに行く。ここで初めて大場さんに直接会った人の話を聞くことになったが、聞いて驚いた。かなりの凍傷のようだった。落ち着かないままテリーハウスに戻り、日本からの情報を待つ事にする。

15時10分、ファーストエアー社より電話が入り、次の2つより一つを選んでくれとの話。フライトスケジュールが混んでいるのだ。

1.5月4日夕方、レゾリュートを出発。5日北極点へ補給機を飛ばす。

2. キャンセルの場合、5月11日まではフライトスケジュールは取れない。


私は迷った。凍傷のことを聞いた直後でもあり、また北極点付近の悪天候のこともあり、いろいろ悪い方のことを考えてしまう。電話を伝えてくれたピーターさんも、「本当に難しい判断だね」と言ってくれた。16時まで時間をもらった。約40分、精一杯考える事にした。結局フライト予約をキャンセルし、待つ事に決断。

理由は
1.補給要請のスモールアルゴスが発信されていない。
2.食料(31日分)燃料(40日分)を4月23日に空中より投下し、補給しているので、まだ24日分が十分にある。
3.凍傷(鼻)は心配だが、4月3日から4月23日の前回補給まで20日間経った前回補給時点での確認だが、トランシーバーでの質問に、大場さんより「空腹以外は問題ない」と、力強い返事があった。


ピーターさんは、ファーストエアー社にフライト予約をキャンセルする事を伝える。5月4日夕食後、河野さんが大場さんの位置を聞きに来る。大場さんのアルゴスデータでの位置を書き込んだ。地図を見て、「これはワードハント島を目指しているのではないか」と発言。そう言われると、大場さんはすでに北極点を越えて、カナダ側へ向かっているのが感じられた。私たち補給する側が、北極点での補給要請信号があるものと思っていただけなのかと考えた。ピーターさん、テリーさんも同意見だった。

我々は、スモーキングルーム(ガレージ内台所)でささやかなパーティを始めた。古川君が日本から持ってきてくれたウィスキーを開け、河野さんチームのサポーター、オランダチーム、ピーターさん等と大場さんの北極点到達・通過を祝った。大場チームが手作りで作成している大場さんのルートマップにお祝いのサインをもらった。河野さん、テリーさん、ピーターさん等の喜んでくれる顔を見て、私の一抹の不安も消し飛んだ。

大場さんは、北極点へ到達し、大場さんの本来の目的のワーズハンド島へ北極海単独横断を目指し、再び歩き出したんだ。

河野さんの到達、そして大場さんの到達はあっけなかった。それは実際に歩いている人のいろいろな感情とは別に、私にとっては本当にあっけなくやって来たのだった。私は過ぎていく時間の中で喜びを噛みしめていた。

5月6日11時13分、大場さんの位置は、北緯89度11分38秒4・東経74度25分15秒6、北極点より90.018kmのところをひたすら歩いている。この座標を見て河野さんは、次のように助言してくれた。

次回補給時、お菓子・果物・肉などがうれしいだろう。又カロリーも大事だが、腹いっぱい食べるのが自分にとっては大事だった。カナダ側は、北緯88度付近までは良いが、それ以南は非常にきついので、3回くらいの補給を考え、荷を軽くしてやるのがいいのでは。それと、スリーピングバックの交換、着替えの用意、無線機の必要性等…いろいろ細かい事まで助言してくれた。

また、大場さんをこんな表現で賞賛してくれた。

「やった人以外は、いろいろな事を批判するべきではない。北極はそれだけ大変なところだ。そこを4回もやるというのは、大馬鹿だと最初は思った。でも思い返すと、それはすごい精神力だね。」

私はすごくうれしかった。

「ただ、もう少し準備に時間と労力をかけられたらよかったのにね」とも言ってくれた。

また、アルゴスデータが、北極点に5.249kmに近づいたところまでしか確認されていない。「これで北極点到達と言えますか」と私が言うと河野さんは「それは十分北極点到達と考えるべき事であり、誰にでもそう話してあげられるよ」と言ってくれた。北極点到達を成し遂げた人のやさしさと大きさが感じられた。

それから私に対する助言もししてくれた。
「大場さんに頑張れと言ってはだめだ。それは大場さんにとって大変なことなんだ。」

私は大場さんがいつやめてもいいし、又継続したい時に100パーセントの補給ができればいいと思って、準備している事を河野さんに話した。河野さんと話した時間はそんなに長い時間ではなかったが・・・・・
すごく河野さんの心にふれることができたような気がした。

5月6日、夜になっても全く暗くならない1日が終わる。

      レゾリュートベースキャンプにて 5月6日23:20 志賀忠重

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