「危なかった」釣り体験記 最終便
つづり続けて八日目
ようやくここまでたどり着いた
少しお尻のオデキが痛い
でも心地よい
ひとりで千葉県の館山へ行った時の事。
館山湾は広く、ボートを借りれば良い釣果が望めるという話を聞いて、早速ボートを貸してもらえる釣具店を訪ねると、主人は少し困惑した様子だった。
「ボートは貸せないことはないんだが、ウチではやってないので知り合いを頼んでお世話しましょう」
ボート一隻借りるにしてはちょっと大げさな感じ。
どうしたんだろう、という感じだったが主人はすでにその知り合いとやらへ電話を掛けている。
すると、程無くしてトラックに古い木製の手漕ぎの舟を積んだ中年の兄弟が姿を現した。
その舟はよく夏の浜辺で見かける手漕ぎボートととはまるで違った。
宮本武蔵が佐々木小次郎との果たし合いの時に乗り込んだ舟そのもので、船尾に舟を漕ぐ櫓が付いている。
その兄弟と共に市場でエサになるハゼを仕入れて来た。
「マゴチが釣れるから」
と言う。
『マゴチ』は『ネゴチ』を巨大にした魚だと思えばよい。大体四・五十センチのものが普通の型だ。
なにやら相手のペースのまま、言われるままに舟に乗り込み、湾内の自衛隊の管理区域の近くへ舟が漕ぎ出した。
私ともう一人の親父が釣り糸を垂れる。
釣り方は至って簡単で、ナツメ型の通しオモリの先に三センチほどハリスを延ばしハゼを付けて底を引きずるだけのつりなのだが、これがまたなかなか風情がある。
テレビで時々紹介される細川たかしの
「矢切の渡し」の情景を思い起こせばよい。
後ろの親父がゆっくり櫓を漕ぐ。私たちはその古い木舟の中で釣り糸を垂れている。
舟がゆっくり進まなければエサのハゼがマゴチにとって魅力的なご馳走に見えないのだろう。
「ギーコ、ギーコ」
と懐かしい櫓を漕ぐ音。
実にこんな釣りもあったのだ。
そしてまたマゴチが次々と掛かるのだ。
時には中型のヒラメも混じる。
私もマゴチを五~六匹掛けた後、根掛かりを起こしてしまった。と思ったが竿が勝手にグイグイ引かれる。
「おっそりゃでっけぇヒラメだ。無理に引き上げるな、ガマンしろ!」
船頭役の親父が怒鳴った。
その言葉とは裏腹に慌てた私は目一杯竿をあおった。
短い竿全体が真ん丸にしなった。
掛かっている魚が少し浮き上がったみたい…… と思った瞬間『プッツリ』切れたのだ。
リーダーが石廊崎沖で展開した『一人漫才』とは違う本当に地球のように重いヒラメめの感触だったのだが…
そんな私に船頭の親父の怒ること怒ること。
何だか金を払って怒られるのも妙なものだが、その親父の悔しい気持ちも大いに伝わったし、その後も釣り上げて型の揃ったマゴチとヒラメを合わせて十二・三匹を手にした。
帰りにこの不思議な釣りの料金を聞くと、
「普通は一万円だが今日は八千円でいい」
この作り方自体も面白かったし、釣果もあってそれだけの価値はあった。
今振り返っても、兄弟のあの親父たちがずいぶん風変わりな人たちに思えてならない。
もう二度と乗ることはないだろうあの舟に私は『兄弟舟』と名付けてある。
海釣りでは面白いことにじつによく出くわす。
私はあの頃から現在も大したものを釣り上げていない。
このままずっとそうかもしれない。
しかし釣りをやめることはないだろう。
釣りをしていると通りがかりの人が話しかけてくる。
「私はね、夜海の中にエサを入れたかごを投げ込んでおくんだけど、朝引き当てみると大小様々な魚が沢山入っているんだ」
効率よく魚を捕える法を伝えたいのだろう。
しかし私たち釣り人がそんな話を聞いたとしてもせいぜい
「ふーん、そうですか」
とうなづくぐらいだろう。
竿で釣らなければデカくても沢山捕れても意味がないのだ。
海に向き合うと釣りを通して教えられることが多い。
海はあくまで自然であり、私たち人間の都合に合わせてくれたりはしない。
私たちは数々の無茶を繰り返してきたのだが、決してほめられたものではない。
今、私は郷里青森にいる。もちろん釣りの人生を楽しんでいる。
ゴムボートで釣に出てもウネリや風が強くなれば無理をしない。
私のゴムボートの目の前五メートル程を背びれだけを見せてイルカらしき存在がゆっくり通り過ぎて行ったことがある。
サメかも知れないが私にはイルカにしか思えなかった。
その表情までもが見えた訳ではなかったが、穏やかで易しい雰囲気を感じた。
人間の物差しで測れない、海の奥深さや味わいはいつも私たちに新しい体験を与えてくれる。
様々な体験を通して海での事故に巻き込まれない秘訣のようなものを覚えたかも知れない。
海・自然に対する恐れ・畏敬の念を決してなくしてはならない。
海の機嫌を損ねない事。
海は微笑んでいる時もあれば、私たちを叱っているような時もある。
どうか皆さんも無茶だけはしないで下さい。
まだまだ魚より馬鹿な私はこれからも魚たちに笑われながら、あちこちで大騒ぎをしながら、深い海の愛の中で遊び続けていくことだろう。
海よ ありがとう これからもヨロシクお願いします
御拝読頂きました皆様。誠にありがとうございました。
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