「危なかった」釣り体験記 4

 こうした数多くの見当違い・失敗を重ねながら、多少ながら釣果もあった。
 しかし釣り雑誌に紹介されているような羨ましいほどの大物に出会ったことはほとんどなかったのだが、数少ない釣果のうち、リーダーの的確な判断から四十センチに迫るカサゴを物にした会員がいた。
 そのころは石廊崎方面へ出ることが多くなっていた。
 言わば魅せられてしまったのである。
 石廊崎は伊豆半島の南端に位置している。海はあくまで青。奇岩が海面から様々な
形容を現し、バナナ等が茂る植物園もある。
 早春の頃から冬間近に迫る頃まで夏の雰囲気が空の雲や海の色や木々の緑に感じられた。
 東京を車で発って四時間。下田を越えて石廊崎から仲木に入ると、ラジオやテレビの電波も届かなくなる。セブンイレブンのような
気の利いた店は全く無くなり、一軒の商店にわずかな日用品・食糧などが置いてあるだけで、訪れる観光客もほとんどない。
 その割りに釣り人の姿を多く見掛ける。おそらくはイシダイや幻の大魚と言われるモロコなどを狙うであろう磯釣り師達が登山のような装備で、岩場を伝いながら半島の突端の方面へ二・三人組みで坦々と進んで行く光景をよく目にする。十~十五キロクラスのモロコを自慢げに片手にぶら下げた釣り師と行き交うことがある。
 実は私たちが狙っているのはあのような大魚なのだ。

 ある時私が一人で仲木へ出掛けた時のこと。手こぎボートを借りたくて漁師の家を訪ね、少し耳の遠い老人に事情を話していると、この家の嫁らしい女性が奥から出てきて、何やら
「この人にボートを海に出してあげなさい」
 と老人に言い付けているらしいのだが、方言がキツくて二人のやりとりが全くと言っていいほど私には聞き取れなかった。普通のボート屋では前金で二~三千円の料金を求めて来るのだが、老人はまず私を乗せたボートを水際へ押し出した。どうやら料金は後払いらしい。
 入江の辺りは穏やかだが、外洋へはとても漕ぎ出す気にはなるなかった。なので入り江の中で流し釣りを試してみた。しかし、時々小魚が食い付くだけで良い型が上がらない。休息のため小さな岩礁にボートをくくり付けた。
 釣れない…
 こんな時の海の中はどうなっているのだろう。シュノーケルとメガネを付けて潜ってみた。わずか二~三メートルの浅場にはウマヅラやベラなどの良形が群れていた。
「何だよ、魚がこんなにいるのにどうして私のエサには食い付こないんだ」
 釣りはそこから始まると言ってよい。人間と魚の知恵比べだ。自分が魚の身になってみれば、美味しそうなエサに不用意に飛び付いて針が口に掛かってしまえば、それは死を意味することになる。
 魚の習性・特性・食性・棲家・食事の時間帯・水温等海の状況。あらゆる情報を的確に判断しなければ、魚の方も易々と釣られたりはしない。
 例えばどこかの防波堤で釣りをしたとする。オキアミやイソメのエサを針に付けて静かに海中に降ろす。すぐに竿先が振れてアタリが来た。 
 道糸を巻き上げて針を見ると、付けたエサはきれいに針の先の部分までかじり取られていて、針の本体まで食い付かない。同じ仕掛けで続けていても、たいがいはそれ以降も同じことの繰り返し。その日はボウズで帰宅するはめとなる。魚との知恵比べはとても奥がふかいのだ。
 結局その日は早々に釣りをあきらめて、岩礁につないであるボートに乗り込もうとロープを引き寄せた。
 なんとイカリを下げずにロープ一本で岩礁にくくり付けてあったボートは打ち寄せる波で何度も岩礁に叩き付けられ、舳先の方がかなり砕けてしまった。弁償ものである。
 まずいまずいと思いながら、ボートを貸してくれた漁師の家を訪ねて
「どうもボートを返しに来ました。こんにちは」
 と、何度か声を掛けたが、先ほどのお爺さんもお嫁さんも出掛けたのか姿を見せない。仕方なく、これ幸いと、(仕方なく?これ幸いと?どっちなんだ!)ポケットの中の千円札一枚を床の上に置いて逃げるように立ち去った。

 そうだ、四十センチのカサゴに話を戻さなければ。
 この仲木ではキャンピングをして何度か夜釣りを体験した。夏が近いある日に三人で仲木に出掛けた。この日もゴムボートによる釣りだった。
 三人が一度に小さなボートに乗るのは窮屈だからと、私は一人で漁港の付近をブラブラしていた。
 岸辺を歩いていると色々なゴミや貝殻、魚の死骸、流木などが打ち上げられている。どこの海岸でも見られる光景なのだが、そんな中に混じって、見慣れないものがそこいら中に散乱していた。
 それはすでに干からびていて、白っぽいコブシ大の丸い形の下に細く長いヒモが付いている。この中の二本が特に長い。
「なんだろう?」
 と拾い上げてみたが、特になんと言うこてもなくてそのまま捨てた。少しして、尿意を覚え、用を足した時、先っぽをつまんでいた指がピリピリ痛み出した。
 刃物で切ったように痛いのである。リーダーも同じような体験をしたと後で語っていた。
 商店で買い物をしながら、
「あれはなんですか」
 と聞いてみたところ、店の奥さんの言うことには
「デンキクラゲ(デンキクラゲ=カツオノエボシ)よ。この前、海水浴をしていた娘さんがあのクラゲに巻き付かれて救急車で病院に運ばれたの。あなた達も気を付けてね」
 私たちが触ったのは指先でつまんだ程度だったが、痛みは丸一日ほども続いた。海釣りをしていて毒のある魚や歯やヒレの鋭い危険な魚にも結構沢山出会っている。
 ウツボ・ゴンズイ・ミノカサゴ・ダツ・スズキ・フグ等、他にも危険な魚は結構多い。見慣れない魚は不用意に触らず食さず、身の安全を考えて対応しましょう。

 さて、彼らが沖へ出て三時間ほども経っただろうか、ゴムボートが漁船に帰った。恐らくはカワハギや小さなカサゴ、釣れてもサバやシイラぐらいと予想していたが、たった一匹キンメダイのように鮮やかな赤い魚がクーラーボックスに収まっていた。
 大きい! 四十センチに近いカサゴだった。その日はキャンピングの予定なので食事の支度をしながら、この大物を仕留めた時の様子を語ってもらった。
 カサゴは根魚である。海の底に身を潜め、付近を通り掛かる小魚に飛び掛かる習性を持っている。
 それが三人の中の一人である『ヨシノクン』のイソメに食い付いたのだ。大きなアタリにすかさず合わせたがビクとも動かない。恐らく岩と岩のすき間に潜り込んでしまったのだ。
 私たちの初心者なら、いや、多少の経験者でも、遮二無二竿を煽って無理に引き上げようとしてハリスが切れておしまいとなるところである。
 だが、いつになく正確なアドバイスがリーダーから発信された。
「糸を張ったままで魚が動き出すまで待ってみよう」
 それから待ち続けて三十分。リーダーの読みが見事に的中🎯して、根負けしたカサゴが根を離れ、竿に強いアタリを伝えてきた。一瞬でも力を緩めればまた根に潜られてしまう。
 力いっぱい巻き上げて遂に手にした深紅の巨大カサゴ。釣り同好会始まって以来の大拍手である。

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