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アルパインクライミング


アルパインクライミングとは? 

字のごとく本場ヨーロッパアルプスの高峰で行われるようなクライミングを指す。氷河や万年雪をたずさえ厳かにそびえ立つ頂上、無機質な岩と氷と雪だけの(中世では魔物の住処と呼ばれた)冷徹な世界。

氷河を渡り、険しい岩と氷を超えた先に頂上がある。アルプスで培われた近代登山では必然的にクライミング技術が必要だった。実は、アルパインクライミングはマニアックな狭いジャンルではなく、登山の本質を司るものでもある。(大きな氷河の無い日本ではどうなのか。長い登山の伝統を誇るイギリスでは、母国の冬期岩壁登攀を「ウインタークライミング」と言ってアルパインとは区別している。個人的には、日本の冬期山岳クライミングはアルパインクライミングと呼ぶに値する厳しさと美しさがあると感じている。)
 「アルパインスタイル」という言葉もある。これはヒマラヤでの登山方法を指す。「アルプス登山的に、ライトでシンプルにマラヤの高峰を登る」こと。具体的には、〝登山活動中にバックアップやサポートを受けない。自分が背負う事のできる範囲の装備や食料、燃料をバックパックに詰め込み、フィックスロープなどの他人の設置物に頼らず、最初から最後まで一貫して独力でルートを切り開いてゆくこと〟となるだろうか。第3の極地と呼ばれた頃の大プロジェクト的な組織遠征を否定し、極めて個人的な自己満足型登山への原点回帰をうたっていると(私は)解釈している。アルパインスタイル=シンプル・イズ・ベストの精神だ。

アルパインクライミングは冒険。(私はそう確信している。)言わばとってもロマンチックな行為でもある。

そこで振りだしに戻すように「冒険とは何か?」 そういう必然的な問いかけを常に大切にしたいとも思っている。アルパインクライマーはそもそも論から逃れられない(逃げない)存在なのだろう。根本から自分の思考を積み上げたり下ろしたり.....。これはなかなかにしんどいことだがなんとも遣り甲斐のあることだ。 

ヒマラヤの大岩壁にギャラリーなんていないし、審判もいない。誰かに定義されたルールやスタイルなど時々ナンセンスに思えてくるほど。(良心や良識を逸してはいけないが)プレイヤー自らがルールからつくりあげる快感と重み、アルパインクライミングの魅力はそこにある。厳しくも圧倒的な自由感。自分で己の行為の意味付けをしていく作業は、答えの出ない難問に挑み続けるようなもので挫折と狂喜は紙一重、それがたまらなく魅力的なのだ。

好きな山に行き、自由にルートを決めて登ることが私の理想。究極的な自己満足を追い求める欲張り者なのだろう。しんどくも素晴らしきアルパインクライミング、いかがだろうか。

(*本原稿は、The North Face Summit 機関誌向けに寄稿したものを転載しています)


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