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許すということ

大喧嘩という意識は無いが、言い合いになった。それぞれの持論で平行線なので、お互い自分の立場の正しさはひっこめないまま終わった。

多分これからもそんなに会うこともないし、なんならもう会わないようにしてもいいと思ったくらいだった。そこには長らくの私の怒りと軽い絶望も横たわっていて、簡単には引っ込められない。相手が何か言ってきてても、それは当て擦りで、スルー出来るし、謝るなんて一欠片も思っていなかった。

自分のホロスコープをいくつか購読しているのだが、最近の私は怒りをぶちまけたら、自分を含め誰も得をしないくらいのマグマを持っている様子だった。その週 しいたけ.さんの書いていた「謝るが勝ち」というキーワードが引っかかっていた。あのことだと思ったが、気が重く何も出来ていなかった。

そうしているうちに、以前アドバイスをもらっていた案件が、採択された。このきっかけを使って、報告とそのお礼と、以前の言動の理由を添えて、謝った。

すぐに返事が帰ってきて、違う流れになった。このターンは想定内で、収まってよかったという話でなく、自分の張り付いていた怒りがぺりっと剥がれたのが、思いもしていなかった現象だった。「許す」という行為が、びっくりするくらい自分に返ってくるのを知った。
この謝罪のプロセスに邪心がなかったワケでもないし、全ての怒りが流れたわけでもないのだか、確実に私は軽くなった。

今更ながらではあるが、こうやって何歳になっても、自分のダメさを知り、それをどうしていくかを決めていくのを繰り返すのだ。周回遅れのものがあろうがなかろうが、取り組んでいくしか無いのだなと実感している。

コーチとして学ぶための書籍の購入と、noteの有料記事の購読にあてたいと思っています。