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冥王星天秤座世代と関わって、じぶんの冥王星蠍座性をみつめる

19時をまわっても陽が落ちない、
夏至目前の今日この頃。

この時期の太陽のエネルギーの強さは、自分のいちばん奥深く、暗いところまでも照らして炙り出すかのような、そんな感覚を毎年感じている気がする。


外のギラギラとした太陽とは対照的に
自分の奥深く、見つめていなかったナニカが訴えてくる。
それも普段は光が当たらないほどの深いところだから、モヤがかかってなかなか掴めない。

牡牛座の太陽と蠍座の冥王星をオポジションで持つ私は、自分の肉体の奥深く深くを感じ取ろうとする時、冥王星を使っている感覚がある。

内なる目はしつこく執念深い。

冥王星は、自分に対する嘘を許してくれないのだ。


最近の私のキーワードは
蠍座冥王星世代のわたしたちのこと
そして、ひとつ前の天秤座世代のことだ。


冥王星という星は、個人天体ではないので、その人のキャラクターや性質を“直接に”表現することはないけれど、やはり「価値観」のようなものとして、“あたりまえ”のようにその世代、世代の人たちが体現しているのだなあと感じることがある。


私がいま仕事で作業を共にしている仲間は主に5人いるのだが、その5人すべてが冥王星天秤座の世代だ。

歳は5歳〜10歳上。
私は昔から年上から可愛がられやすく、また私も末っ子気質からか、居心地も悪くない。


けれど、たまに、その世代の違いをうっすらと感じることがある。
そんなとき、特に異を唱える発言をするわけではないのだけれど、内心「あーそういう風に捉えるんだなあ…。」なんて密かに感じていたりする。(これも蠍座っぽい?)


たとえば、先日「退職代行」の話が話題にのぼった際も、あまり肯定的な意見がでてこずに、私は内心驚いた。

もちろんみんなの言いたいことはわかる。
そして私も退職代行はできれば使わず自分で伝えられるような自分でありたいと思う。

でも私は、退職代行を利用する人の内的問題は自分の中にもないとは言い切れないとも思った。


自分の口から辞めると伝えることもできない、その心理状態や労働環境を思えば、退職代行は「命を救う」ことすらあるのでは、と思うと同時に、さらに次の射手座世代の子たちにとっては「話してもわからないような相手に時間を割くことが無駄」なんて。強気な意見が出てきそうなものである。


「退職代行」を必要とするのはおそらく、わたしたち蠍座冥王星世代と、その後に生まれた若い世代だろう。


私から見る冥王星天秤座世代は、やっぱりコミュニケーションが上手だ。「この世代の人たちは社会に出て人と働く、ということに関してはあまり深く悩むことはないのではないだろうか?」とすら勝手に思う。

だから、みんながみんなそうではないのかもしれないが、「他者との間で中立的に考える」ことはあまりに当たり前で、でもそのことばかりが優先されると、それは時に私からすれば、
「この人は本心で言っているのか?それとも耳馴染みの良い正解っぽいものか?」という感覚があるのだ。



この感想を抱くこと自体が、冥王星蠍座なのだろうか。


蠍座という星は、「偏ってなんぼ」な星座だと思う。とりわけ、この世代って「自分の本当の本当のところ」を自分で認めたり、表現したりできないと、人生にストップがかかったり、病んだり、悩む世代なのではないだろうか。


そして蠍座の“隠されたところ”を掘り当てること自体もたぶん、並大抵のことではない。


最近うっすらと感じていたモヤは、職場の空気感の中で、知らず知らずのうちに天秤座性にすこし寄っていたところにあるのだろう。


別にその「違い」を否定したいわけではない。
自分を肯定するために他者を否定する必要はない、というのは私の大切な信条のひとつだ。

けれど、夏至に向けて、私自身、もう一歩、自分を認めてあげる必要を感じている。
私は世間一般にいう「一般社会」のようなものに強くないし、ホロスコープ上でも、そういう星を全てすっとばして個人のハウスと11ハウスにしか星がないことに若干の否定的な思いがあることに気づいた。


でももう、まるっと認めてあげないと、せっかく生まれ持った星を生かしきれないのかもな、と思っている。
自分の星を全て使って生きることを伝えるために、まずは自分がやらないと。生きづらいのなら、生きやすくする。自分でやるしかないのだ。

いまの社会のスタンダードがどうであれ、
未来をつくるのは私たちひとりひとりの生きかたによるのだ
…という、よくありそうな文言が、私のうちから湧き上がった。


沙紬




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