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子どもの為?私の為?

毎朝の大事な習慣であるnoteの記事チェックで見つけた宝物のような記事。

嬉しかった。この記事に出会えて。
子どもたちが幼い頃、私は子どものことが心配でたまらなかった。
たとえば、通学路で危ないめに遭いはしないかという考えが、頭を離れない時期もあった。

そんなある日、「その心配は、誰の為か?誰のものか?」という言葉が脳裏に閃いた。
私自身が作り出した、私自身の持ち物ではないのか。
それを、「あなたの為!」という言葉で誤魔化していることは、依存ではないのか?

もちろん、一気に心配が消えたわけではない。

でも、それ以後、
誰の為の心配か?その心配は誰の持ち物か?
ということは、ひとつの物差しになった。

母親として子どもについての心配は尽きることがないし、子どもの喜ぶのを見るのは嬉しい。
誰のための行いであるかを考えて見極めて、そのうえで自分で気持ちの落としどころを見つけるしかないんだな…。

だから、その後数年して、「通学時の子どもの安全のために!」という一大ムーブメントが起きたときには、「これまではこの人たち、安全であるのが当たり前だと信じ切っていたんだなぁ…」とびっくりした。
心配は心配として、それを子どもたちに伝染させて巻き込むのは、親としての覚悟はどうなんだろう?
自分が付き添いたければ付き添えばいい。
私がそうしたいからよ!と言えばいい。
自分の意思と自分の責任において。
だけど、誰かから、「これこれこのようにしておけば絶対安心安全です」というお墨付きを与えてもらうことや、万人からの「あなたは絶対に、いい親・正しい親です」という称賛を求めるのは違うんじゃない?


なみささんと同じく私も

「あなたの為よ」

と言われるのがいやだった。おためごかしだから嫌い。醜いから。誤魔化しだから。依存だから。
幼くとも、親や教員がほんとうに私の為を思って言っているのかどうかはなんとなく伝わるからわかる。


韓国ドラマの、『夫婦の世界』を今放送しているので録画して観ている。
韓国ドラマは俳優さんたちの演技が上手で。
でも、『夫婦の世界』は、あまり真剣には見ていない。濃すぎるから。さらっと流し見する程度にしないと疲れる。
このドラマ、私は、ヒロインであるらしいチ・ソヌさんが嫌いなんだ。だから、観るのは人間関係をはじめとしたドラマの世界を眺めるため。
特に、母親としてのソヌさんは大嫌い(女としても嫌いかな…)。

ソヌさんは、自分自身が不安になったり、自尊心を傷つけられたりすると、「ジュニョン!!」と、ひとり息子の名を呼び探し求める。
なにかというと、「ジュニョン!!」。
肩を抱き、撫でまわし、「ケンチャナ?!」と微笑みかける。
思春期の男子に対するスキンシップとしてはやり過ぎだと感じる。
セクハラとすら感じられてしまう。
もしかしたら国が違えば文化も違うということなのかもしれない。
文化の違い、価値観の違い、感じ方の違いを知ることは、韓国ドラマを観る楽しみのひとつ。
でもやっぱり、
「ソヌさん、それは息子さんの為ではなくてあなたの為でしょう?」
と、訊きたくなる。
「それはあなた自身の心を慰めるための依存ですよね?」
と、直接尋ねたくなる。
ソヌさんは、その美しい顔をゆがめ、目を見開いて、私に平手打ちをくらわすかもしれないけど。



なみささん、記事を書いてくださって、読ませてくださって、そのことについてあらためて考える機会を私に下さって、どうもありがとうございました。



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