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憲法記念日に首相が改憲への意欲を語るとき、それでもこの社会に生きていて思うこと

私の両親は戦前生まれの80代で、田舎に住んでいる。
限界集落と呼ばれるようなところだから、現在では生活にマイカーが必要で、返納などとんでもない。
以前は公共交通機関としてバスがあり、多少は不便でも、それなりに不自由なく落ち着いた生活ができていた。
それが、今ではバスは予約が必要になったらしい。需要がないなら走らさないということだろうか。バスと呼ばれるバンが走っているのを見かけた。

医療機関も人手不足になり、診療科が次第に減っていった。週一回の漢方内科が廃止され、信頼している医師にも会えなくなったとわかったとき、父は、地元を離れる決心をした。
このままでは、じわじわと生活に不可欠なインフラがなくなり、どうしようもなく不便になったときに何歳になっていることか。
子ども達の近くに、移住したいから物件を探してほしいと母から連絡がきた。3人のきょうだいは、皆、県庁所在地ではないがそれなりの規模の地方都市に住んでいる。

そのとき私は、故郷の地域包括支援センターと連絡を取ろうと考えていたところだった。両親はずっと故郷を離れる気はないと言っていたから。それなら、地域で生活できるように環境を整えておかなければと。
青天の霹靂の連絡を受けて、目的を移住の準備に切り替えて数日帰省して話を聴いた。

両親・弟妹と連絡を取り合い、今は移住の準備中。
物件探しや具体的なあれこれを相談している。
そんな中で気になり始めたのは、親が目に見えて主体性を放棄し私達3人きょうだいにいろいろなことを委ねようとし始めたこと。
考えるのがめんどくさくなったかのように。
希望やヴィジョンを訊いても「全て委せた」と言い、それではと決めようとすると、委せたとは言うものの異議がないわけではないことがわかる。
しかし、自分でも調べたりシミュレーションしたりするわけではない。
思い描いている形はあるらしいが、はっきり言葉に言い表すわけではなく、察して全て取り計らってほしいと言いたい雰囲気が伝わってくる。
特に母が。
では父は主体性があるのかといえば、なんとなくの投げかけを母にむかってしており、それを受けて母は息子や娘になんとなくの投げかけをしてくる。

「自分はどうしたいの!」
「お母さんではなくてあなたのことなのよ!」

と言ったその口で、
「よそは子どもが全て取り計らってくれるらしい」
と、羨ましげに思わせぶりに言う。

「よそはよそ!うちはうち!」
「よその家がいいなら、よその子になりなさい」
と言ってその正当性で私達の口を閉じさせた人が、パソコン操作を説明する弟に対して、
「よそは子どもが全部やってくれるんだって…」
と恨めしげ・悲しげにぼやくらしい。
SNS投稿で遊びたくてパソコンが使いたいのは母なのだが。
書き込みがしたいなら、全てお膳立てしてもらって無責任に書き散らすのではなく、ある程度は使い方を習得したほうがいいと思うのだが。

そして、母の言動の内容が少しずつ少しずつ変わってきた。
曰く、移住は自分達の為ではなく、子ども達の為だ。子ども達が長距離の帰省をするのがたいへんだからと決めたことだ、と。

まあ、予測はしていたことだ。
じわりじわりと、話の組み立てを動かしながら私達に言い聞かせ、同意を求める。相手が(根負けして)何もいわなければそれを事実として定着させる。
「来てくれと言うから来てあげたのに」
と、言うことは予測がついていた。



この世代の女性に多い口癖は、
「私は、自分のことはどうでもいいのよ。」 
「みんなが幸せなら私は幸せ。」
「みんなの為を思って…。私さえ我慢すれば済むことなら。」
等であると日々感じる。
それならほんとうに、みんなの幸せの為だけを念頭に黙っているかといえば、実によく自己主張なさる。私はみんなさえよければそれでいいのよ、私さえ我慢すれば済むことならば、と。彼女らがそれを言い聞かせる相手は、娘とか、嫁とか、年少者とか、まあそのあたりの、『自分より下の立場』と彼女たちが認識している立場の者だ。

彼女たちの夫によく見られる態度は、これまた彼らが『自分より下の立場』と見做した、妻や部下に代表される者達に対して、
「これこれのようにしたらどうかな…?」
「これこれのようにしてくれても良い。」
と言い渡して、あとは良きようにせよ、と、鷹揚に振る舞う。
「したらどうかな」「してくれても良い」だから、考えが違えば「しなくても良い」のかと言えばさにあらず。
望みどおりに妻や部下がやってのけるまでは繰り返し繰り返し言い続ける。しつこいのだこれが。

彼らは、彼らが自分より上だと認識する権威には従順で、検証を尽くす前に従う。
しかし、彼らが自分より下だと認識する者どもには一見優しげでも一皮むけば横柄で、だから厄介ごとは、下へ下へとリレーして運ばれるらしい。


つい、書きすぎてしまった。
世代で一括りにして一方的に決めつけていて、失礼な振る舞いであり、申し訳ない。

しかし、主体性と責任感を持って生きる姿勢を示していただきたいのだ。
わかっているはずなのに人のせいにして自分の責任を回避し、相手が言い返さない(せない)から良し、とするのは、見ていて悲しくもどかしいのだ。

上からのお達しに従順で、マスクやワクチンを無批判に受容するのではなく、みずからの価値観に照らして、みずからの責任に於いて決める姿を示してほしいのだが…。
「『○○ちゃんが言ったから』って…!それなら、○○ちゃんが『死ね』って言ったらあんたは死ぬの?!」
と、幼い我が子を叱り諭したあなたがた先輩に。


特に今、盛んに『上』が『改憲(『改正』という言葉は使わないよ私は。『正』ではないから。)』をあおり立てるこのときに、投票権を持つ成人の中でも特に人数の多いあなたがたの世代に、投げやりな姿勢で流されて行動しないでと頼みたいのだ。


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