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新しい眼鏡をかけて過ごす日々

『現状、こういうことになっているから』 で動いている事象がとても多い。

(私)「それで納得できているの?」(相手)「とにかく、今はそういう方向で動いているんだから」(私)「いやそういうことじゃなくてね」…。虚しくなるからこれ以上話すのはやめようと諦める。今まで、こんなに話が平行線になる相手だとは思わなかったと気づく。核心に近づこうとするとつるりと振り出しに戻ってしまう。ネジをしめようとして時々そういう目にあうのと似た感覚を覚える。「とにかく、今そういう方向なんだから!いやだというんなら勝手にすれば⁈結局自分のことだけが大事なんだね!」あ…、怒らせちゃった💦?そういうことを言ってるんじゃないんだけど。それにあなたはほんとうに自分の為だけじゃなくて他の人の幸せを優先して考えてそう言ってるの?だとしたら敢えて見落とすことに決めていることがいくつもあるよね?それを言っても火にガソリンだから言わないけど。

一方で、これまでは存在すら知らなかったんだなぁ、なんと勿体ない!と思うような人と知り合えている。新たな貴重な出会いもあったし、これまでそういう角度からは見ていなかったけどたしかにこの人とはずっと手をつないでいたのだとあらためて知った再発見・再会もいくつもあった。その人自身の中から出てくる言葉を話す人。せせら笑ったり揶揄したりしない人。損得で測らない、ある意味不器用かも。「今そういうことになっているから」を知っているけれどそれを丸呑みして他人の声で話すことはしない。見えていてかつ、これは見過ごせない大切なことだと感じることを自分の損得で見えていないことにはしない。そういうふうにしか生きられない人。

違いは、何をするかではなく、なぜそうするかであるような気がする。

もうすぐ2年になろうかとしている非日常である日常。それ以前の日常のままではそれを知る機会はなかっただろう。今まで慣れていたのと違う新しい眼鏡をいきなり与えられたような日々。この新しい眼鏡だと、遠近感や見える姿がまるで違うことがある。

人生に、乗り越えられない試練はないというけれど、世界中巻き込まれて連れてこられてしまったこのパラレルワールドは、果たして乗り越えられる試練なのか?それぞれが乗り越えられるようにしか各自対応しないということか?



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