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小説: 虹ヶ丘3丁目 『青空保育園』日記

(1)
また朝が来た。今日も晴れだと沢野幸枝はため息をつく。子どもが産まれてから晴れが憂鬱になった。もちろん洗濯物がからりと乾くのは大歓迎なのだけど。息子の真幸を産んでから雨の日になると頭痛に悩まされるようになった。けれども。
「朝10時の恐怖」がなければねえ」
ため息と一緒に思わず声に出た。
「おはよう。いい天気だなあ」
ニコニコしている夫の敬に、ほんとは笑顔で返事をするべきなのだ。なのに、おはよー…と、ため息につながってしまう。
まあ、今日はOL時代仲の良かった岡田美和子が遊びにくる。里帰り出産後、首が座るまで実家にいて、もうすぐ帰るのでそれまでにもう一度会おうということになったのだ。真幸がかまって欲しがるのをいなしながら掃除を大急ぎで済ませるのは戦場だが、美和子が来てくれれば楽しみだ。


「3ヶ月の赤ちゃんってこんなに軽かったのよねえ」
幸枝にとっては久しぶりの3ヶ月児を抱き上げる。眉の秀でた男の子だ。産毛のような髪の毛から、なんとも言えないやわらかな香りがたちのぼる。心なしか髪の香りは男の子の方がかぐわしいような気がする。
いつも12kgの2歳児を抱き慣れているので、スカッと勢いよく持ち上げてしまいそうだ。
「そうお?重いわよ。もう肩凝って。頭も痛くって。」
「そのうちもっと重くなるのよ。小さい頃は軽かったんだなぁ。それにしても、パパ似だねぇ、創君は」
「はじめくん、まさきのプーさんかしてあげる」
「ね、あれきれいね」
1階の幸枝の家は、柵までの間に庭とは呼べないがほんのわずかばかり土の部分がある。そこにチロリアンランプが赤い花を付けていた。
「もらって挿し木にしたらうまく根付いたの。美和子も植えてみる?分けようか?」
「いいの?ほしい。あれ、ねえ、あの子誰なの?」
時計を見ればわかった。10時30分だ。また来てるんだ。ちらりと視線をやると、柵に顔をくっつけてじっと覗き込んでいる、長い髪をもつれさせた女の子がいた。やっぱり…!
「目を合わせない方がいいわよ。取り憑かれるから」
「なにそれ?」
「おばちゃん!その赤ちゃんなに?あやかちゃん遊んであげる!あのね、あやかちゃんね、お花のボタンの服なの。見せに行ってあげようか」
「あやかちゃん」
真幸が言ったが幸枝は構わず、
「ごめんね!赤ちゃんが来てて今からねんねするから!今日は帰って」
と、テラス窓を、子どもの手を挟まないようにだけは気をつけながら閉める。ほんとうは、ピシャン‼︎とやりたいところだ。

ピンポ〜ン!
ドアチャイムが鳴った。ピンポンピンポ〜ン!
「おばちゃん!お花のボタンのお洋服見せてあげる。あやかちゃんね、赤ちゃんにお花のボタンのお洋服見せてあげるの!」
ドアの外で叫んでいる。
「毎日なのよ。毎日くるの。今日みたいに天気がいいと特にわいてくるのよ。大雨が降れば来ないんだけど、晴れるといつもなのよ」
言うと幸枝は玄関にまわり、ドアチェーンをかけてからドアを開けて言った。
「赤ちゃん起きちゃうでしょ!大事なお客さん来てるんだから帰ってちょうだいね!またね」

外からは、大声でアニメの主題歌『マジックパラダイス』を歌う声が聞こえてきた。

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