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小説: 虹ヶ丘3丁目 『青空保育園』日記④

せっかく来てくれた久しぶりの美和子を思い切り愚痴に付き合わさせてしまった。もうすぐ里帰りを終えて自宅に戻る彼女を、疲れさせてしまったかもしれない(きっと疲れさせた)。でも一旦喋り始めてしまうと、堰を切ったように言葉がほとばしり出てしまった。真幸の外遊びのついでならたくさんの子どもたちはいい刺激になるだろうが、最近では、「真幸くんはあっち行って!」と押しのけられ、あやかちゃんや沙絵良ちゃんが幸枝の顔をひたと覗き込み、「おばちゃんあのね」と、内容のない話を長々としゃべるのだ。彼女たちの望みは、真幸に成り代わることなのだ。でも、当然だが同じ内容のない話なら、幸枝は、真幸の話を聞いていたい。真幸の黒目がちな目を見つめて真幸のひとことひとことを頷きながら聴きたかった。それが、最近は思うに任せない。夕方になって家に帰ってもやらなければならないことは山積みだ。洗濯物を取り込んで、真幸にかき回されながら畳んで片付け、夕食の支度、入浴、食べさせてから寝かしつけ。食べさせた後に入浴させては真幸の目が冴えてしまうので入浴と夕食の順番は変えられない。夫の敬が会社から帰ってくるのは23時を過ぎるのが普通だ。それからまた夕食の給仕。以前疲れて起きられなかったら用意した食事には手をつけずにカップ麺を食べていたから。「愛情がない」という言葉とともに。姑が何時になっても敬の帰宅に対応したというのは、自分の息子だからだとひそかに思う。姑自身もそう言っていた。「敬はマイペースだからねぇ…。どれほど大変だったか」と。姑にとっては敬が幾つになっても、かぐわしい香りをたちのぼらせる赤ん坊なのだ。幸枝にとって真幸がそうであるように。
真幸の欠点と言いたいのが寝付きの悪さで、何時になっても目をぱっちり開いている。寝たと思ったら敬が帰ってきて、その瞬間真幸がぱっちりと目を見開いてニコッと笑ったときは、心底ゾッとした。妊娠中のこともあり、疲れてしまって、真幸が話しかけてくるのが煩わしい。苛立ってしまって、
「あっち行ってよ!」
「お母さんは忙しいの!」
と怒鳴りつけてしまうこともしばしばだった。

真幸のためによくない。結局誰のためにもなっていない。幸枝自身苦しいだけだし、あやかちゃんや沙絵良ちゃんたち青空保育園グループの親たちは自分の子がどういう様子かなんて知りゃしない。あやかちゃんの親に至っては、見たことすらない。あの子達が欲しがっているのは、自分だけを見てくれ、自分の話だけ聴いてくれる母親ではないのか。青空保育園グループは真幸を押しのけて自分こそが幸枝の子どもになることを望んでいるのだ。親切にしたところで真幸の兄姉代りになってくれる子など、いはしない。ばかばかしくて泣けてくる。イサムくんの母親が演説をぶっていた『地域の子どもたちの自然なコミュニティ』など、あるはずがないではないか。あるのは、単なる群れでしかない。真幸に怒鳴るのは、本当は青空保育園グループの母子に怒鳴りたいことだ。それなのに幸枝は、一番小さい真幸を身代わりにしている。真幸が幸枝に頼るしかないのを知った上でしているのだ。妊娠して体調がつらいのだって、真幸に本当の弟か妹をつくってやりたかったからだ。それなのにどういうことだろう。

息苦しくなってテラス窓を開けると、一面夕焼けでオレンジ色に染まっていた。

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