時には決めつけられたい

自分と言う人間を、他人に決めつけられるのが好きな人は少ないと思う。

私は、赤の他人はもちろんのこと、教師、親、恋人、友人など
自分のことを比較的よく知ってる人にすら決めつけられるのが好きではない。

あなたって怒りっぽいよね
あなたってメンタル弱いよね
あなたってまじめだよね
あなたって優しいよね

ネガティブなことはもちろん、ポジティブなことでも決めつけられたくない。

あなた、私の何を知ってるの?
わかったふりをしないでよ。

そんな気持ちでいっぱいになる。

ずっと私はそうだった。

でも、本当は、誰かにちゃんと決めつけられたかったのかもしれない。

私をわかったふりをしないでよ。

ちゃんと私をわかってよ。

の裏返しだった。

それに気づいたのは、
1か月ほど前、今までの人生で最も心が弱りきったとき。

どうしようもなくなって、このままでは自分が壊れると思って
ごちゃごちゃ考えている暇もなく、その時研修を受けていた先輩に相談した。その人は私の直属の上司ではなかったし、私との関わりも1日数時間の研修を3週間ほどしただけ。相談相手としては最も適切な人ではなかったかもしれない。でも、今ここで言わなきゃいけない、そういう直感がはたらいた。

その方は話を聞いてくれて、そして優しく言った

あなたは、不安をまわりに見せなかったね
本当は不安で辛くても
いつも明るく振る舞ってくれたね
あなたは、優しいんだよ、そしてまじめなんだよ
勇気を出して打ち明けてくれたんだね

そう言われたとき
たった3週間、仕事の付き合いをしただけなのに
私の何がわかるっていうの
とは、全く思わなかった。

代わりに涙が溢れてきた。

私がつらかったこと、がんばってきたこと
ちゃんとわかってくれている

そう思ったら、急に安心して
涙が止まらなくなった。

あんなに嫌だった、「あなたって…だよね」の決めつけが
こんなに温かい気持ちにさせてくれた。

そのことが不思議で
自分自身のことも不思議だった。

私は誰かにちゃんとわかってほしかったんだ。
そして、私に教えてほしかった、私はちゃんとがんばってるってことを。

元気なときなら、いつもなら、
自分を一番わかるのは自分だ。

がんばってること、得意なこと、苦手なこと
自分で自分に教えてあげられる
自分とうまく付き合える

だけど、心が弱ったとき
自分では自分がわからない

私はがんばってるの?
私が弱いからこんなに苦しいの?
がんばりが足りないの?
こんなのって甘え?

その答えを必死に求めるようになる。

だから、誰かに言ってほしいんだ。
決めつけるくらい強引に、私に教えてほしいんだ。

あなたはがんばってるよ。
苦しいって言っていいんだよ。

時には決めつけられたい。
決めつけられることも必要なのかもしれない。

私から、今自分がわからないあなたへ。
誰かに答えを言ってほしいあなたへ。

あなたはとてもがんばっています。
苦しいって言っていいんだよ。

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