中島岳志さんの動画メモ( ..)φ))【自分用】

波頭亮さんの考えに触れたくて、波頭さんが出演している動画を観ていく中で出会った政治学者・中島岳志さんにハマっている。

保守主義を名乗る中島さんは、フェミニズムと同様にSNS等での誤用乱用が目立ち誤解されやすい保守主義について、成り立ちから本来の定義を整理して丁寧に説明してくれるのだが、これが共感と納得の嵐。とにかく話がわかりやすく、深い話になっていっても置き去りにされることなく理解できる。


◆保守とはリベラルであるしかない


◆日本共産党と保守主義は相性がいい

◆民主(生者の驕り)は立憲(死者の英知)によって制約されるべき

◆理念の二重構造「統制的理念」と「構成的理念」
実現が容易ではない目標(統制的理念)を掲げた上で、そこに向かって現状を良くするための現実的な社会設計(構成的理念)を進めていくべき。お花畑と揶揄されるような「統制的理念」の重要性。
日本は、目的のための手段でしかなかったものが、いつの間にか目的そのものになってしまいがちな印象がある。その原因を「構成的理念」しか見てないからだと考えると、「統制的理念」を馬鹿にする風潮も含めて納得いく気がする。


◆自民党の政治傾向の推移
中島さんが政治の方向性を分析するときに使う表は、財政についての考え方を「リスクの社会化⇔リスクの個人化」、価値観についての考え方を「リベラル(保守主義含む)⇔パターナル(家父長主義)」という対立軸で可視化している。この対立軸がとってもわかりやすい!
この動画ではその表を利用して、田中角栄以降の自民党の政治傾向の変化を解説している。そして現状、自分の望む政治とは対極にあることがはっきり解るし、このままだとそれが悪化していくことも容易く想像できる。


◆「利己的な利他主義」という考え方は結局ただの利己主義。では利他とはどうあるべきものか
親鸞やキリストの話が多め。歎異抄を読んですっきりしなかった部分があったが中島さんの解釈に納得した。

動画内では「自分がコロナウイルスを移されないために人にも移さないようにしよう」という話を取り上げて「それはシンプルな利己主義でしかない」と論じていて、それはその通りだと思う。
では「情けは人の為ならず」の考え方になるとどうなのだろう。規模が大きすぎて具体的でないから、もはや統制的理念のようになって利己とも違ってくる気がするのだけど。

◆あなたのことを愛そうと思って愛したのではない。あなたへの愛がやってきたんだ
ヒンディー語では主語として「主格(○○は~)」の他に、自分の意思でコントロールの及ばない現象について語るとき「与格(○○に~)」を使用するということを取っ掛かりにした話がかなり腑に落ちた。

例えば、「私はうれしい」と言う場合、ヒンディー語では「私にうれしさが留まっている」という言い方をします。「風邪をひいた」も同様で、「私に風邪が留まっている」という言い方をします。この「~に」で始める構文を「与格構文」と言います。

中島岳志「利他的であること」第8回 与格-ふいに その1


この動画内の対話は、私自身「必要以上に構えていなくても、必要なものとはわりと必要な時に出会うものだ」という実感が生まれてから情報に対する欲がだいぶなくなったので、とても理解しやすい内容だった。とはいえ自分は独善的だったり我欲の塊みたいなところがあるので実行するのは簡単ではない。それでもまずは意識することから。
それにしても「あなたのことを愛そうと思って愛したのではない。あなたへの愛がやってきたんだ。」って言い回しは、受け取り方によっては恐怖しか感じない気がするので難しい(笑)



人との出会いなんかが何よりも運とタイミングってのはもちろんだけど、ものづくりに関してもそう思う。そして運の良さが自分の一番の才能だという想いがずっとある。
「こういう形にしてやる」という自分の意識よりも、遠くの方にある「こうあるべき完成形」みたいなものに辿り着けるかどうか(ヒンディー語的に解釈すると「こうあるべき完成形」が降りてきて留まってくれるかどうか?)という感覚があり、そこに向かって伸びている道に上手く乗れた時はそれまで制作中に思い浮かんでバラバラに点在していた色んな要素が嘘みたいに噛み合っていき、そこで初めて「今作っているものはそういうことだったのか!」と気付く。この奇跡みたいな体験を味わってしまうとものづくりから足を洗えなくなる。
だから、その瞬間がいつ来てもいいように、ひたすら地味な工夫を繰り返し思考し続けて準備をする。

過去に、長い期間にわたり休日返上して試行錯誤を繰り返し準備を積み重ねながら運が向くのを待っていて、ようやくじわじわとその奇跡の瞬間が近づいている感覚がしてきたところで無理矢理仕上げないといけなくなったことがあったが本当にしんどかった。親とはぐれた幼子が手の届くところにいるのに見て見ぬふりして蓋をする感じ。出来上がった作品が褒められる度に心臓が締め付けられた。まぁ傍から見たらいつまでも完成させないこっちが100%悪いんだけど(笑)
自分で早い時期に締め切りを設定して、その中でできることしかしようとしない人と共同作業した時も苦しかった。その時は自分の作業範囲もかなり限定されてしまったけど、自分の手が出せる範囲内では出来る限り想定範囲外の思い付きやエラーを呼び寄せて飛躍できるように必死で足掻いてぼろぼろになった。完成してから出た雑誌で、常々つまらないと思っていた文筆家?から、納得いってなくても口が出せずに切り捨てるしかなくなった自分の発案した部分を酷評されて風呂場で叫び散したりした(やば)
運も才能のうち、というより自分のすがれる才能が運しかないと思っていたので、そういう時は運に見放された自分の無能さや人徳の無さに原因があると思いつつ、突き抜けて面白くなりようがない平均点のものを作らないといけない状況を呪い、悔しさで気が狂いそうになった。パワハラまがいの八つ当たりもたくさんしたと思う。当時付き合いのあったクリエーターの皆さん、マジでごめんね☆
憑依型だからなかなか難しいとはいえ、もっと言葉を尽くして丁寧に説明して妥協点を探るべきだった。

でもみんな損得とか建前とか締切みたいなわかりやすい目先のものに気を取られすぎって今でも思う。ものづくりが絡むと一気に性格が悪くなる悪癖はなかなか治らない。




ところで、最後の動画のコメント欄に「胡散臭いお二人😂」という投稿があるけど、匿名でyoutubeにコメントしてるだけの輩に胡散臭いなどと言われるの本当に気の毒。

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