まんまみーまMBTI心理機能定義書 - Ni「弁証」
はじめに
以下参照。
定義(Definition)
内向的直観(Ni) = 弁証(Apology)
副次的解釈:
抽出、統合、約数、潜在性、霊性、ノンデュアリティ、スピリット、思い込み(偏見)、透過性、要点、共通性
概要(Overview)
主観的な直観であるということは、個人によってのみ完結する直観であるということ。つまり、客観性があってはいけない。直観とは「未だ無いもの」を認識する機能であることを考慮すると、在り得るという認識ではいけないことがわかります。
あり得るというのは、客観性を保つことを意味します。在り得るか在り得ないかの議論は、論理によって説明が可能な時点で、あり得るという結論にしかならないためです。在り得ないことを説明できることは、在り得る内容を同時に担保します。つまり、「在り得る=客観的」な直観であるため、それは外向的な直観であるということです。
これらを踏まえると、在り得るか在り得ないかではなく、在るか無いかという視方が内向的直観に必要な概念ということになります。
在るか無いかと言い切るためには、何が必要であるか。
想定範囲を限定することがその方法でしょう。世界の要素がアルファベットしかなかったすると、
A、B、Cにおいてのみ、
①未だ無い事(視認不可能な存在する何か)を指しながら
②確実に在るか無いか
を言えばいい。
とすると、A、B、C全てに対して言い切れ、無い物と言えば、A’、B’、C’を唱えることを意味します。
そうすると、Aであり、Bであり、Cであること担保し、未だ無い事であるA’、B’、C’を作るので、AとBとCの中にある共通項を見つけます。
A、B、Cそのものを意味しないが、それぞれの一部であり、共有していることがA’、B’、C’である。すごくシンプルです。
これは、政治で有名な弁証法や、数学の約数と同じです。何かしらの存在から性質を抽出し、別のものを同じものとして捉え、別の物で代用する。
その過程には強い論理が伴っています。
このノンデュアリティ(二律背反性の排除)な意識過程を”弁証”と定義します。
小噺「Niは存在を扱えない」
内向的感覚の定義書完成次第更新。
最後に
随時更新。