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トキメク何も変わらない誕生日前

来週の5月14日はわたしの誕生日です。
例え誰からも祝われないかもしれなくても、楽しみな誕生日はあるぞ!と、当日まで一週間切った本日、叫んでみました。

でも、過去には誕生日を楽しみどころか、すっかり忘れていたときもありました。そのお話もせっかく思い出したので書いちゃいます。ガハハ。(書き終えた後に見返したら文量だけむしろこっちの話が多くの割合を占めてしまいました。ナンテコッタ)

高校2年生のころ、6月に控えている体育祭の責任者だった生徒会役員のわたしは、誕生日の3日前まで誕生日の存在を忘れ、5月14日のスケジュールは体育委員会の予定とやるべき作業しか頭に一切ありませんでした。高校2年生の誕生日って、おそらく高校時代の中で最も華やいだイベントのはずなのに、資料の作成に多くの打ち合わせ、関係各所への連絡と交渉、部活じゃありません。正に「仕事」という言葉がピッタリ当てはまる活動内容でした。
高校生のわたしは慣れない「仕事」に文字通りてんてこ舞いで、5月14日も貴重な「業務時間」だったのです。中間テストはともかく、GWですら心底邪魔だと思ってましたから。

誕生日が迫っていることに気がついた瞬間を今でも覚えています。生徒会室でスケジュール帳とにらめっこしているときに、ふとその存在に気がつき、我ながら呆れました。
でも、同時にそんなわたしの状態が「オイシイ」とも思っちゃうんです。華のJK2、一生に1年しかないセブンティーンになる誕生日。仲の良い友達からプレゼントやイベントを催してもらうことに期待するであろう時期に仕事のことしか考えてないだなんて!しかも、その状態を好ましく思ってしまえるもんですから、どうしようもないんです。

そんな、腹の底から愉快で笑っちゃうJK2の誕生日。

そして、ここからようやく、冒頭にあった楽しみな誕生日の話にようやく入ります。えへ。

今年はちゃんと誕生日の存在を覚えています。先月の出勤シフトを出す際にもちゃーんと、意識しました。
誕生日だからって、1日だけ外出自粛しなくていいとか、その日に使ったお金は全額リセットされるだとか、素敵な恋人から何万円ものプレゼントをもらうだとか、そんな素敵なオプションはありません。普通に出勤、ケーキは誕生日に近い土日に、プレゼントは自腹で買う予定の大好きなお店の焼き菓子1000円分です。
友達からのお祝いの言葉も、もしかするとないかもしれません。

それでもやっぱり、誕生日が近づいていると思うと、ちょっぴりときめきます。老いていく恐怖、いわゆる「賞味期限」への恐怖もゼロではありません。でも今年はそれよりも、のっぺりとして実体のない毎日に、誕生日という時間の流れを意識せざるを得ないイベントによって与えられる、その精神的刺激を歓迎する思いの方が大きいのです。

明日は焼き菓子屋さんに取り置きの予約電話かけます。
誰にもなんにも言われなくても、もうすぐわたしの誕生日。ふふ、へへ、楽しみ。


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