批判論が公開されるまでの舞台裏ーとあるM氏の懺悔録ー

※このノートは完全にネタです。先日公開した批判論(「自己表現における捉え返しと消し去りーー「「マイナス内包」としての性自認の構成」批判」)が完成するまでにどんなやり取りがあったか興味がある人だけご覧ください。

【登場人物】
・M氏→世にもまれな令和の義侠心を持ち合わせた男。此度の戦犯。
・T氏→同じく令和の義侠心を持つ男。聖人でもあり、此度の被害者。


M氏「クソッ、これではあんまりではないか!」

M氏が憂いていたのは、T氏についてである。T氏は自分の論文を火種にして、Twitterで大炎上を起こすことに成功していた。しかしせっかく炎上したのに、T氏が攻撃されるのは彼のマナーや論文のテーマばかり。肝心の論文の内容についてのコメントは、ほんの数えるほどしかない。これでは、せっかくの論文が浮かばれないではないか。

M氏「そうだ!誰も論文の内容を刺さないなら、僕が刺せばいいじゃないか。そうすればきっと、他の人だって内容にもブスブス攻撃しだすだろう!」

M氏は世にもまれな令和の義侠心を持ち合わせた男だったので、先ずは自分が攻撃してあげるのが筋だと考えた。また、どうせ攻撃するなら、それをT氏に直接見せてから世間に公開するのがいいと気づいたのである。

こうしてM氏は、論文の内容への批判をガッツリまとめて、T氏の家に持ち込んだ。T氏もまた、令和の義侠心を持つ数少ない男の一人だったので、「自分を攻撃してきた人は丁重にもてなさねば」と、ラム肉ステーキとカレーでM氏を歓迎した。以前M氏から風邪をうつされたときも、「おのれどうしてくれようか!」と、風邪をおしてM氏を招待し、渾身の手料理パスタをふるまうくらい義理人情に厚い男なのである。(ところでM氏も、T氏の家にお邪魔するたびに、酒・タバコ・レアなステッカーなどをお土産に持参するくらいの良識があることは、氏の名誉のためにも言い添えておく。)

さて、そんなこんなでM氏の批判論を読みだしたT氏だが、しばらく目を通した後に、苦しそうな顔をして頭を抱えだした。そんなに批判が鋭かったのだろうか。或いは逆に、批判がショボすぎて読むのが苦痛になったのだろうか。否、そのどちらでもない、というかそれ以前の話だった。

T氏「バカな、この私が!日本トップクラスの読解力を持つこの私が、何が書かれてあるかサッパリ分からないだと!!」

それは全く奇妙な話であった。一つ一つの文章におかしな文法はないし、一文だけなら意味も分かる。しかし、幾つか文章を続けて読むと、途端に何を言っているのか分からなくなるのだ。

かつてM氏も同じような経験をしたことがあった。彼が大学で初めてとった哲学の授業で、ヘーゲルの『精神現象学』(樫山訳)を読んだときである。一応彼の得意科目は現代文だったので、これまでの受験勉強でも、(実際に点が取れたかはさておき)「何書いてんだかサッパリ分からん!」となることは一度もなかった。ところが、初めて『精神現象学』を読んだときは、一文一文は確かに有意味な日本語で書かれているのに、ある程度読み通してみると、そこで言われている内容がサッパリ頭に入ってこないのだ。M氏にとって、この経験は実に衝撃的であった。

一方T氏は、M氏と違ってガチで現代文が得意だった。なので、受験に限らず、様々な哲学書を読んだ際も、必ずその文脈は辿ることが出来た。およそ死ぬまで、読めないという実感がわくことはないと思われたT氏が、M氏の批判論で「何書いてんだかサッパリ分からん!」と、生涯で初めて思ったのだ。ときに人と人の出会いは、幸や不幸でははかれない、衝撃的な体験を引き起こす。プライスレス!

何故そうなったかはすぐに分かった。なんとM氏、自分が考えたことをそのまま順序だてて文章に起こしていた。つまりそこには初めて読む人への配慮が皆無、あらゆる読み手が自分と同じ様に考えて同じ様な言葉を使うだろうという、現代では考えられない程の読み手への信頼が、文章に込められていたのである。何とまあ純真無垢なことか。T氏という聖人が、自然とM氏という無垢を呼び寄せたのだ。ハレルヤ!(ところで、この話がM氏の今までの知り合いにバレたら、「キサマ、あれだけ文章を注意されてきたのに、またやらかしていたのか!」と怒られること必至である。その様な最悪の事態を防ぐために、M氏とボカした表記をしていること、どうか読者諸賢におかれましてはご配慮いただきたい。)

T氏「Mさん、こっからここまで何の話をしてます?」
M氏「こうで、こうで、こういう話ですね……」
T氏「あ、なるほどそういうことか。…………って、いきなりこれ読んでそんなの分かるかあ!」

こうしたT氏のツッコミはいつまでも続いた。なんせ炎上元のT氏の論文が精々一万字強なのに対して、M氏の批判論は三万字強。M氏のT氏の論文に対する過剰な攻撃は、予想とは全く異なるかたちでT氏を苦しめた。三万字強の文字数に繰り出されるT氏の「いきなりこれ読んでそんなの分かるかあ!」のツッコミの天丼。状況は地獄なのに、ツッコミは天まで届きそうである。

ツッコミは、夜をまたぎ、次の日の昼まで行われた。そして……

M氏「やったよ、Tさん!ついに最後まで、初めて読んだ人でも理解できるようになったよ(読みやすいとは言っていない)。僕はこういう話でTさんを刺していたんですよ!」

T氏「おお、ようやく分かりましたよMさん!君はこんな風に私の論文を刺してくれていたんだね。…………って、はじめっからそうやって書けやあ!」

幾度となく繰り返された聖人T氏のツッコミは遂に天まで届いた。

(完)


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