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海外に出て分かったこと ~オーストラリア・ウルルとインド編~

新型コロナウイルスの流行が始まってから日本を旅することも増えたが、以前は海外を年1~2回訪れていた。

海外でいろんなものを見たり、新しい人と出会うと、自分が日々生活している場所での価値観や考え方と大きく違うことがあり、時には大きなショックを受ける。

しかし、そのような強烈なインパクトのある経験は、自分の考えを変え、自分を成長させるきっかけになると思っている。

今回は、私の海外旅の中でも特に、“人との交流”から学んだ経験を2つ書いてみる。

参加型のコミュニケーションの仕方を学んだ話

日本人は私たち3人だけだった、オーストラリア2泊3日の英語ツアー

学生時代、留学先のオーストラリアで旅行をした。

その内、先住民アボリジニの聖地であるウルルを訪れる際は、2泊3日の英語ツアーに参加した。

日本人参加者は私たち3人だけで、ほかはヨーロッパから6組と地元オーストラリアから1組の参加者だった。ドライバー兼ガイドも、オーストラリア人のツアーリーダーとオランダ人の助手の計2名だった。


目の当たりにした、他国のツアー客との違い

そのツアーではウルルのほか、キングスキャニオンやカタジュタといった他の景勝地も訪れるのだが、オーストラリア人ガイドによる説明がよく入る。

アボリジニにとってこの地は何を意味するのか、彼らがどのようにこの地で生活をしていたか、アボリジニアートの説明、他にも地質学についてや、この地の気候について、などだ。

その説明に対し、私は「なるほど~」「へぇ~」で完結してしまうのだが、他のツアー客は、誰かが必ず質問をする。質問がない場合もガイドの話に対し、笑ったり相槌を打ったり、とにかく何かしら反応するのだ。

すると、ガイドもノッてきて話が盛り上がり、質問から派生した話にまでつながっていったりする。他のツアー客は、ガイドの話に「真の意味で」参加しているのだなと感じた。

なぜ、その場で質問が湧いてくるのだろう?と不思議に思った。
ー普段から受けている教育の違い?
ー下調べしてきたから?

一点目の「教育の違い」というのはあるかもしれない。日本の学校では、先生の話を聞き、板書をノートに写し、当てられたら答えるという授業が一般的である。「知識を得るための」授業スタイルである。

それが何となく染み付いているから、ガイドから初めて得る知識に「なるほど~」「へぇ~」と完結してしまう。

しかし海外では、知識をベースに、授業中生徒が自分の意見を述べたり、質問したりする。その違いは有るかもしれない。

二点目の下調べは、明確な根拠はないのだが、おそらく違うと思う。質問の内容は、直前にガイドが話したことに対する質問だった。

下調べをしてきたのではなく、自然とガイドの話す内容を脳内でイメージしながら聞き、質問が湧いてきたのだと思う。

どうする、私?

他のツアー客がちゃんと話に「参加している」ので、私はとりあえず相槌だけは打つことにした。ガイドへの質問が後から出てきたときは、チャンスをうかがいガイドを捕まえ、質問してみたりした。

1対1で質問すると、答えの説明だけでなく、友人との世間話のような会話も生まれる。それもまた楽しかった。

ガイドを含む私たちツアーグループ一行全体が、だんだん良き友人同士のようになっていく。ツアーが終了したのは夕方だったが、その後ガイドからの提案で希望者だけで近くのバーに食事に行くことになった。

ヘトヘトだったので、どうしようか迷ったが、こんな機会もまたとないので、行くことにした。ほとんど全員参加だった。

バーでは料理とお酒を楽しみながら、みんなでたくさん話した。最後にツアーガイドと話した際、彼から「今回のツアーメンバーはみんな特によかった」「僕自身もとっても楽しかったよ」と言ってくれた。

ツアー中、キャンプファイヤーを待つツアーメンバーの様子

海外の人のコミュニケーション術をどう取り入れるか?

社会人になってから人前で話すようになると、このように、反応がある有難さをとても感じる。

例えば人前でプレゼンをするとき、聞き手から何か反応があった方が話をしやすい。分からないことは「分からない」という反応を示してくれた方が、やりやすい。

私が聞き手のときは、相槌を打ったり、にっこりしたり、時には質問したり、日本でやっても浮かない程度に(笑)取り入れているつもりである。

日本で見ないレベルの貧富の差を見て、自分にできることは何か?と考えた話

働く子供たち

インドを訪れたことがある。そこでいまだに印象に残っているのが、貧富の差だ。

インドの空港では、赤、白、緑など色鮮やかな絹の衣類を来て、光り輝く装飾品をつけた、いかにも「金持ち」そうな家族がたくさんいた。

一方、街中では、冬だと言うのに、ぼろぼろの半袖シャツ1枚・ひざ丈のズボンを来て、裸足で歩き回る子供たちを見た。

その子たちは、様々な方法で働いていた。

私たちは旅中、外国人向けのレストランやホテルを利用することが多かったが、一度だけ現地の人が行くレストランに連れて行ってもらった。

蠅がブンブン飛ぶ店内のテーブルを、ボロいバスタオルのような布で子供が台拭きしていた。

また、移動していた車の中から、道路を修繕している子供たちも見た。舗装されていない道路には、雨などで穴があちこち空いている。

その穴に大人が泥のような土を流し込み、子供たちがそれを上から手でペタペタとならしていたのだ。

「道路の修繕ってそれ!?(笑)」と、子供が働いていることよりも、そちらが気になることもあった。インドを旅すると脳の中が忙しい。(笑)

己の無力さを思い知る

そうしてでも働いていたらまだ良いのだが、物乞いされたこともある。

観光客がたくさん訪れる仏跡やレストランの周りには、物乞いの人もたくさんいて、中には子供もいる。

足が片方ない子供や1~2歳の子供を抱えながら追いかけて来る8歳くらいの子供。そんな子たちが、私たちが移動する車を下りる度に、次々と追いかけて来る。

可哀想だという気持ち、初めて経験することへの恐怖、親やインド社会に対する怒りなど、様々な感情が湧いてくる。

この子たちは、今後どうやって生きていくのだろうか・・・?そんな疑問も湧いてきた。

見るのが辛くて、しんどいなと思った日もあるし、逃げるように建物に入ったこともある。

何度か彼らにお金を渡してみたが、キリがなく、途中であげるのを止めてしまった。日本では見ないレベルの貧富の差を目の当たりにするのにはとても疲れたし、ショックだった。

そして自分がいかに恵まれていたかを感じるとともに、彼らに対し何もできない自分に、嫌悪感もあった。

インドの街中の様子

時を経て自分の中に芽生えた゛私でもできること”

その後、カンボジアで、日本人オーナーが経営するクッキー屋を訪れたことがある。たまたま外観が目に留まって入ったのだが、そこはカンボジア人に仕事する場を提供し、収入を確保させるという目的もあって立ち上げられたお店だった。

その理念に共感して、相場は少し高めだったのだが、お土産を多めに購入した。

またつい最近、同様の他のブランドの存在も知り、商品を購入した。このお店のラインナップは、オリジナルのカバンやストール、ジュエリーなどである。

商品は、バングラデシュなど途上国の職人に現地の素材を使って高品質なものを作ってもらい、日本で販売している。このブランドの代表取締役も日本人で、自身がデザイナーを兼務している。

アフリカでもこうした活動をしている日本人がいると聞く。

お金は一度あげたらそれで終わり。貧しい人が延々と人にお金をもらい続けて生きていくのではなく、自分の力でお金を稼ぎ生活することを支援する。そうした活動をしている日本人がたくさんいることを知り、その商品を買うことも、自分にできることの一つではないだろうかと今考えている。

いろんな国を旅して思うこと

こうした考えは、オーストラリアとインドに行っていなければ私の中に生まれなかったと思う。これまで、他にもいろんな国を訪れ、様々な経験をさせてもらった。

だが、まだまだ興味は尽きない。このご時世、日本国内を旅行することが増えたが、また気軽に海外へ行けるようになったら、ぜひ新しい経験を求めて訪れたい。

私にとっての旅の醍醐味は、普段と違う価値観に触れ、自分の人生観を豊かに広げられることである。

旅は、人を育てる。


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