【ブログお引越し】まんじゅうがにはよく「生活感がある」という言葉で諸々を評価したがるが、それは何故か

ほい、まんじゅうがにっきの方を捨ててノートを始めました。
こっちでも似たようなことをやっていきたいと思います。

まんじゅうがにっきとは何ぞや、という方のために向こうで書いてた記事の一例をあげていきます。

・凄十をはじめてのみました
凄十という精力剤のレビューです。テンションがキモいです。
・アビス映画見てきました
メイドインアビスの映画レビューです。字数のわりに書いてあることが薄いです。
・デュエマ最新話感想
はい。
・愛車タンピンウラハチ看病記
自転車パンク修理実況です。これ結構評価されてるんですが、文字媒体で実況って意味不明ですよね。あと、修理実況のために載せる写真をとるペースに計画性がまるでないです。まじで分かりにくいです。
・アフターダークとかバックホーンの話
タイトルから想像できるかもですが僕の音楽観のはなしです。この記事はアメブロランキングでかなり上位にいきました。もちろん閲覧数も他の記事より多いですし、僕もこの記事の内容かなり好きです。
読んでもらえる自分語り記事が奇跡的に生まれた瞬間です。
・たまに読むモテキ4.5巻
これは読んでもらえないタイプの自分語り記事です。
・卒論の息抜きに自作短編小説しばき
手慰みに書いてた小説をブログにぶち込んだやつです。この小説自体はかなり好きですし、閲覧数もアフターダークとバックホーンの話の次くらいにあります。これはそのうちnoteの方にもあげたいです。
・有象無象のハースデッキ解説記事 
いろいろ記事書いてる風ですが基本はこれです。ハースの使用デッキにお気持ち表明する場が欲しくてブログやってました。

ざっとまとめると「ツイッターに書くには字数が多いような内容をぶち込むためのブログであり、基本はツイッターの延長」という感じです。
noteの方もそんな感じで使っていきます。アメブロよりnoteの方が使いやすそうなので移ってきただけです。


ほい、では本題です。
『まんじゅうがにはよく「生活感がある」という言葉で諸々を評価したがるが、それは何故か』

これを一発目の記事に持ってきた理由は言い訳でしかありません。
まんじゅうがにという生き物は、音楽やら本やら、果ては対人評価においてもよく「生活感があるから良い」みたいなことをしきりに口にします。
これはべつに「これさえ言っておけばそれっぽくなるから」というわけではなく、きちんと僕の中の諸々の評価基準に則った結果、最終的にこの言葉に還元されてるというだけです。

そして、これからは主に「アフターダークとかバックホーンの話」みたいな記事をあげてこうと思っているんですが、そこでは絶対「生活感があるから良い」というような言い方をします。

そうした記事を書く前に、今回の記事を書いておいて「生活感がある」という表現を多用する事の言い訳にしていきたいと思います。


■まんじゅうがにの好みって何?
まず、僕の音楽とか本の好みとして、「普通に過ごしていたら見過ごしてしまうような諸々に気づかせてくれるものが好き」というのがあります。
これは何も、
新しい知識によってものの見方が変わるのが好き
というわけではなく、
今までなんとなくでしか考えてこなかったものを考え直させてくれるような体験ができる作品が好き、ということです。

例えば、
イースタンユースさんの「夏の日の午後」でいえば、
夏の日の午後のあの得体のしれない寂しさというか物悲しさというか郷愁というかの諸々のマイナス感情について見つめなおすための曲のように感じますし、そうした効果を狙って書かれた曲だろうな、というのも随所から伝わってくるので好きです。


最近ドハマりしてるハヌマーンさんの曲なんかはそうした日常の小さな違和感に気づかせてくれる曲ばかりで本当にたまりません。
「アパルトの中の恋人達」だと特にすごいです。夜の信号機をみて、情けない自分と重ねる男と、ああいうみじめな姿にはなりたくないと思う女、こうした日常の切り抜き方をして二人のきもちの違いを際立たせます。なんなら信号機以外にももう少し例を挙げて二人のきもちを対比します。
そして最後には、気持ちが伝わりあっていると錯覚したい男女というのについてしっかりとまとめて曲は終わります。
その上でタイトルの「アパルトの中の恋人達」について考えた時、これは特別などこかで起こっている異常ではなく、ありふれたアパートの一室で起こっている日常の一コマについて書いた曲であると解釈しました。そんな、生活の中に潜んでいるけれども見過ごしてきた小さな違和感について気付かせてくれたので好きです。
(公式であげてる音源がなかったので貼りませんでしたが、探せばどっかでは聞けると思うので是非聞いてください)

どっちの曲についてもそのうちもっと詳しく書きます。

くどくど書きましたが、考え方のアップデートを促してくれるのが好き、くらいのニュアンスで捉えてもらえればそんなに間違いはないです。
(考え方をアップデートしたいならインヤホホで両耳塞いで音楽聞くよりも哲学書でも読めよ、というもっともな意見もあるとは思います。それについては気になったものからちょいちょい読んでるので心配ご無用です)


■だから生活感ってなんで大事なのよ
考え方のアップデートと生活感ってなんの関係があるのかと言いますと、
新しい考え方を示してくれた時にその描写に生活感があると説得力が増すんですよね。

アパルトの中の恋人達を例にします。
この曲ではカップルの気持ちのすれ違いについて書かれています。
これを書く時に「どうせ伝わらない気持ちが云々、それでも好きなんだ云々」と直接的に書かれると、このありふれた書き方のせいで聞いたことのある話だと感じ、僕はついつい聞き流してしまいます。
(もちろん直接的な書き方をした方が感情が伝わりやすいので気持ちを込めたいとこをそういう風に書いてもらえると、でかでか感情が直に伝わってきてそれはそれで好きなんですが)

アパルトでは日常の一コマで曲が始まり、見過ごしがちな疑問にフォーカスしていき、曲が終わるころには気持ちのすれ違いについてしっかりと聞き手に届けきっています。

何か伝えたいことがあるときに、ただそれを声高に主張するのではなく、しっかりと相手に聞いてもらえるように、相手にとって身近なものから例えていき少しずつ丁寧に説得しているように感じます。

これが説得力が増すことの正体です。
生活感、つまり僕たちの生活ととても身近なものを書いたうえで、その中にある疑問に気付かせることをとっかかりとした意見主張、僕はそういうものについつい耳を傾けてしまいがちなんです。

正直な話をすると、終始作者の気持ちが書かれているだけのものってポエムみたいでしんどいですよね(このブログとか)(ポエムがしんどいというあれではなく、辛うじてポエムと言えなくもないようなまとまりのない文の集まりをこう表現してるだけです)

僕は音楽とか本は元気がないときによく読みます。
そんな時にいきなり手前のお気持ちだけ聞かされてもしんどいです。
まずはこっちの話を聞いてほしいというか、少なくともこっちの調子に合わせた所から話をしてほしいです。
だから多分こういう音楽が好きなんだと思います。

あと、場景の描写からはじまってだんだんとそのキャラクターの内面に移っていくというのがそもそも小説的でかなり馴染みがあるというのもあります。
というか小説の醍醐味って、キャラクターのセリフだけではなく場面とその中でも特に焦点をあてて書かれているモノを通して、直接的な描写を書かずとも表現したい内容を伝えることにあると思っています。
そういう意味でも生活感のあるあれこれはかなり好きです(逆に「」でそれっぽい単語を囲ってセリフメインで話を進める活字媒体があまり得意ではないというか、セリフなんて最低限でいいとさえ思っているとかなんとか)

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はい、言い訳が終わったのでこれからは気兼ねなく「生活感があるから好き~!!」って使っていこうかと思います。
今書き終えて読み返したんですけどこれあれですね、今回と全く同じ内容で「アパルトの中の恋人達解説」とかってタイトルに変えて投稿してもそんなに違和感ないですね。
いやそれならもっと書きたいことはあるんですが。

生活感の話をするためにまあまあの紙幅を割きましたし、後半なんて言い訳説明に託けて謎のお気持ち表明が始まるとかいうド派手な脱線劇を繰り広げてしまいました。が、太字だけ読んでもらえれば大丈夫です。太字以外はあんまり大きい声で言いたくないようなもんがメインです。

感想が欲しいです。
終わりです。

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