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韓国の旅 #6

「チャングム・ツアー」 2005年


 翌日は、旅のハイライトである「チャングム・ツアー」の日だった。ホテルの出発は朝の9時半。ツアーの参加者は、私たち夫婦と、東京から来た、我々と同年配の夫婦の計4人だった。その後の「チャングム」人気を考えれば、とても少ない。まあ、我々は流行の最先端にいたのかも知れない。ツアーを引率するのは、無口でちょっとおっかない長身の中年運転手と、若い韓国人女性ガイドだった。この総勢6名で、まずは南をめざして出発した。

 最初の目的地はソウルから車で1時間半ほどのところにある水原(スウォン)という街だった。車は快調に高速道路をひた走ったと書きたいところだが、実際は、渋滞のために、所々ではノロノロと進んだ。仕方なく、窓外の景色を見る。今回の旅で気づいたことだが、ソウル市の外縁部や近郊には実に高層団地が多い。日本では見られないぐらい、超高層のアパート群が密集して林立しているのだ。なにしろ、ソウル市の人口は1千万人を越えていて、国民の4人に1人が住んでいるのである。(注:1千万人を越えているというのは、周辺の都市圏も含めてのことである。2020年時点では、地価の高騰などもあって、ソウル市の人口は減少気味らしい。)これではいくら住宅があっても足りない。ガイドさんの話では、アパートにも普通のと高級のと2種類あって、かなり家賃は違うそうだ。韓国の高級アパートは、日本のマンションより広くて、100平米以上が普通だという話をどこかで聞いたことがある。韓国ドラマに出てくるようなアパート(マンション)は確かに広々しているように見える。

 車は水原の街に入った。世界遺産の城郭の石垣が見えてきた。しかし、車は城郭を無視してどんどん街中に入って行く。目的地はどうやらここではなかったようだ。しばらく街中を走ってから、車はようやく停まった。目の前に色鮮やかな朱色の神社のような建物が立っていた。「華城行宮」と書いた看板や横断幕などが目に入った。どうやら、ここが最初の目的地らしかった。さて、「華城行宮」(ファソン・ヘングム)とはいったい何か?こんな時にはインターネットで調べるのがてっとり早い。近頃は調べ物がとても便利になった。さて、調査の結果。まず、水原華城(スウォン・ファソン)というのがあった。李氏朝鮮王朝第22代正祖王が造営を指示した。18世紀末の事だから、チャングムの時代にはまだ存在しなかった。(チャングムは16世紀の人物。)中国や朝鮮で城と言えば街のことである。周囲を城壁で囲まれた城塞都市だ。その一部の城壁や砦などの遺構がいま世界遺産に指定されている。華城行宮は、水原華城の中に建設された王の別荘であった。ただし、正祖は水原華城に首都を移したいと考えていたようなので、この別荘は正式な王宮なみに豪華につくられた。(実際には遷都は行われなかった。その前に、王様が死んでしまったからである。)さて、ここでまたもや日本が登場する。日本の植民地政府は、この行宮を破壊して跡地に病院(だったと思う。)を建ててしまった。というわけで、現在、華城行宮は復元工事の真っ最中である。(最終的な完成予定は2010年)つまり、ここでも景福宮とそっくりな状況が進行しているわけだ。ま、映画のオープンセット状態ですね。(それを日本人が言ってはいけないのだった。)で、ドラマ「チャングムの誓い(原題:大長今)」は、この華城行宮でも、エピソードのいくつかが撮影されることになった。(例えば、ここでは第3、4話で、幼い頃のチャングムが料理の修業に励むシーンとか、第8話の料理大会のシーンなどが撮影されている。)以上が、今回の「チャングム」ツアーの最初の訪問地に、この「華城行宮」が選ばれた理由なのであった。

 行宮内には、地元韓国の観光客だけではなく、中国語をしゃべる団体や、我々のような日本人の団体らがいて、(西洋人の姿は見えなかった。)それなりに、国際的な観光地になりつつあるようだった。「チャングム」のお陰かもしれない。行宮の一角にイ・ヨンエの等身大写真パネルが飾られ、液晶大画面テレビで、ここで撮影された「チャングム」のシーンが上映されていた。昨日、景福宮を歩き回っていた僕たちにはさして感動はなかったが、ここでは、ドラマの実際の撮影地だという感激はあった。昔のオンドルの仕組みなど、なかなか興味深かった。本音を言えば、撮影用のセットのような、ここよりも、本物の、世界遺産の城郭の部分をじっくり見物したかった。

 ここで余談。「チョン・ヤギョンなんて知らない」という小説にも書いたことだが、私は、大学の東洋史学科の出身で、卒業論文には、朝鮮の実学をとりあげた。実学というのは、日本では蘭学にあたる近代思想である。その思想が花開いた中心は、まさに正祖王の時代であって、この水原城を設計した丁若鱅(チョン・ヤギョン)は正祖王に仕え、後に朝鮮実学の集大成をした大学者であり、私の論文でも一章を割いた人物だったのだが、この旅行の時点では、すっかり忘却の彼方にあって、せっかく水原城に来たのに、ただ、ガイドの説明をふんふんと聞いているだけだった。私がこのことに気づいたのは、「チャングム」の後に放送された韓国歴史ドラマ「イ・サン」を見た時である。イ・サンとは、正祖王その人のことだった。

 水原市内で昼食をとった。日本人の観光客ばかりが集まる店だ。メニューは石焼きビビンパ。僕たちは、これにチヂミとウーロン茶を追加注文した。(本当はビールを頼みたかったのだが。)料理の味は、日本の韓国料理屋で食べるのとほとんど違わない。チヂミは美味しかったが、ちょっと値段が高すぎるだろう。日本人料金か。それはともかく、昼食を終えた我々は、今度は北をめざして、午後のツアーに出発した。目的地は「大長今テーマパーク」。ソウル市を通り越した北郊の町、揚州にある。ここから車で、2時間半はかかるということだった。途中、また雨が降ってきた。でも、今回のツアーはついている。雨が降る時は車の中で、見物に外に出たら、雨は上がっているのである。長いドライブを経て、私たちが「大長今テーマパーク」に着いた時、空は青かった。

 「大長今テーマパーク」は、狭い田舎道の向こうにいきなり現れた。ここはMBCテレビの撮影所である。「大長今」のオープンセットは、この撮影所の一角に建設された。撮影終了後、放映された「大長今」は国際的な人気を集めた。ロケ地を訪れたいという声が多くMBCに寄せられた。そして、MBCはオープンセットを「大長今テーマパーク」として公開することにした。テレビ局の副収入にもなるだろうから。まあ、たぶんこういう経緯で、このテーマパークはオープンした。昨年(2004年)12月のことである。ドラマのセットがテーマパークになるのは、韓国でもはじめてのことだそうだ。なにしろ、このドラマは、50%を越える、韓国ドラマ史上最大の視聴率を記録した国民的ドラマだったのだから無理もない。いまや、ここは韓国の新名所である。私たちのように、わざわざ海外から訪れる観光客も増えてきた。中国人が多い。そういえば私たちは、昨夏、富良野で「北の国から」ツアーをしている。おまけに妻は1月に「冬ソナ」ツアーにも来ているのだった。いやはや、なんともミーハーな中年夫婦である。

 ここのオープンセットの王宮は、撮影の便を考えて、実際よりもコンパクトに造ってある。だから、景福宮や華城行宮を隅々まで見て歩けばかなり疲れるが、ここなら疲れない。それに、今までに書いたような事情で、本物もセットもあまり違わないと言えなくもないのだった。私たちは、大いにセット見物を楽しんだ。建物のあちこちに飾られているドラマのシーンの写真とセットを見比べては、子供のように歓声をあげながら、記念写真を撮りまくった。特に、調理場のセットには、私も感激した。そして、大好きなハン尚宮さんの写真と並んで記念写真におさまった。

 でも、どちらかと言うと、私よりも家内の方がより高揚していたと思う。それには理由があった。ここで思いがけない人物に出会ったからである。「チャングム」に出演している(た)本物の役者だ。その役者の名前は、李高源。ほんの数回端役で出ただけだが、印象に残る男優だった。ここから中継したNHKの「チャングム大事典」で門を開けた人だ。どうやらこのテーマパークに常駐しているらしい。その意味では、思いがけない出会いではなかったわけだが、我々にとっては予期しない邂逅だった。家内と同行の奥さんは、彼と並んで座り、握手をし、サインをもらって、とても喜んでいた。土産にマウスパッドまでくれたそうだ。(彼は、かなり日本語を理解するという。)

 その高揚感が続いていたのだろう。家内は貸衣装のコーナーで迷わず尚宮(サングン)さまの衣装を身にまとった。そして、セットを背景にポーズをとった。1月の時のように、女友達数人で来ていたら、もっと盛り上がっていただろう。恥ずかしがり屋の私は、自分では扮装をせず、もっぱらカメラマンに徹した。(同行のもう一組の夫婦の奥さんも、扮装はしなかった。)

 テーマパークには、王宮のセットの他に、一般家屋のセットもあった。そこには、チャングムの育ての親であるカン・ドックの酒屋もあるはずだったが、当日は、他の時代劇の撮影中で、私たちはそこに近づくことができなかった。その代わり、韓国ドラマの撮影風景や役者を間近から観察することが出来た。撮影していた時代劇の内容はよくわからない。若い女性がパンソリを歌うシーンだった。あの娘は、「チャングム」の主題歌を歌っていた一人ではないかと思うが、確証はない。どうも違うようだ。

 今、この文章を書いている2020年になっても、「宮廷女官チャングムの誓い」は日本のBSテレビ局で再放送(再々、再再々?)され続けている。チャングムを演じたイ・ヨンエさんは、15年経って、母親になってからも、相変わらず美しい。このドラマで、私がチャングムの次に好きだった「ハン尚宮」を演じたヤン・ミギョンさんは、少し年をとられたが、時々、韓国ドラマで顔を見る。見るたびに、懐かしく「チャングム」のことを思い出す。この作品こそ、私の、韓国歴史ドラマ、初恋の作品だった。どこかで血が繋がっているのか、韓国の俳優さんやタレントさんには、日本の俳優・タレントとそっくりな人がいる。ヤン・ミギョンさんは、若い日の三田和代さんにとても似ていた。だからファンになったのか。というのは余談。


 もう夕方だった。テーマパークの売店で、「大長今Tシャツ」などの土産物を買った私たちは、最後の目的地に向かった。ソウル市内の漢江北岸にあるホテル、「シェラトン・ウオーカーヒル」である。そこで、「王宮料理」の夕食を食べるのだ。南へ約1時間半の行程だった。車に乗ると、また雨が降ってきた。「シェラトン・ウオーカーヒル」は、カジノのあるホテルとして、昔から日本人旅行客に知られていたが、その頃、ペ・ヨンジュンが主演したドラマ「ホテリアー」の舞台としても有名になった。「冬ソナ」と「ホテリアー」のDVDを所有している妻は、今年の1月、わざわざここに一泊している。このホテルの地階にあるレストランが夕食の会場だった。高級なイメージの店だが、店のスタッフの応対は気持ちのいいものだった。味付けも量も、料理はとても上品なものだった。食べきれないほど皿が並ぶというものではなかった。(そういうものを期待していなかったわけでもないが、どうせ全部は食べられなかったろう。)我々中年にはちょうど良い料理だった。それでも、十分、お腹はいっぱいになった。(ここで注釈しておくと、韓国料理というと唐辛子の入った、赤くて辛いものというイメージがあるが、唐辛子を朝鮮にもたらしたのは秀吉の侵攻時の日本からだったと言われている。つまり、それ以前である、チャングムの時代の王宮料理には、唐辛子は使われていない。だから、辛くない。)

 食事のあと、ホテル内の免税店を見物した。店の一角に、「大長今コーナー」というのが出来ていて、関連する土産物がおいてあった。私たちは何も買わなかった。(ハン尚宮さまの写真を箱に印刷した石鹸には心惹かれたが。)その後、家内の案内で「ホテリアー」の撮影スポットを探して、ホテルのあちこちを歩き回り、カジノも見物してから、(1万ウオンだけ、スロットマシンをやりました。もちろん負け。)私たちは一日のツアーを終えた。免税店のあるフロアから望む漢江の夕景が素晴らしかった。シルエットになった川向こう、江南の高層ビル群に少しずつ灯りがともり、両岸の道路や、漢江にかかる大橋を行き交う車のランプが小さく暖かく、瞬きながら列をなした。ロッテホテルまでの帰途は、橋を渡って、漢江の南岸を走った。色とりどりにライトアップされた橋々が美しかった。外ではずっと雨が続いていた。

 この日は、ちょうど「チャングム」の放送日だった。ロッテホテルでは、NHKの衛星放送を見ることができたので、私たちは、日本にいる時となんら変わらず、「チャングム」を楽しんだ。昼間にドラマの撮影地を見てきたばかりだから、いつにも増して、ドラマの世界にのめり込んだ。ドラマはシリーズの終盤に近づいている。ずっと前からチャングムは宮廷料理人ではなく、医女になっている。篤い病に倒れた王さまの病因を探れ、さもなければお前の命はないと、皇后さまの厳命を受けた処だ。いつもながら面白い。あと、10回ほどで終わってしまうのがとても惜しい。果たして、ハン尚宮さまの敵討ちはできるのだろうか。ミン・ジョンホとの恋はどうなるのか。(私たちが見ていた衛星放送が終了した後、NHKは地上波での放送を始めた。日本で、本格的な「チャングム・ブーム」が起こったのは、その後である。)

 その翌日、つまり、旅行の最終日のことも、ここで簡単に触れておきたい。翌日は雨だった。自由時間は約半日。午後3時にホテルを出発する予定だった。まず、地下鉄に乗った。せっかくだからソウルの地下鉄を体験しておこうと思ったのだ。12年前の韓国旅行はもちろん、妻が友人たちと行った、1月の「冬ソナ」旅行でも、地下鉄には乗らなかったそうなので、これは夫婦とも初体験だった。ガイドブックに載っていたプリペイドカードが便利そうだと思って、市庁前駅の窓口で買おうとしたのだが、これが、全く通じない。駅員に「プリぺードカード」と何度繰り返してもわからない。英語もだめ。初歩的な韓国語も勉強していなかったこちらが悪いのだが、「プリぺイドカード」ぐらい理解しろよという気持ちにもなった。仕方がないので、普通のチケットを買った。日本のよりも細長い。一人900ウオンだから90円。とても安かった。(今だったら、交通(キョトン)カドという韓国語が使える。)市庁前駅から地下鉄2号線に乗って、次の忠正路駅で5号線に乗り換え、汝矣島駅をめざした。地下鉄の駅も車両もかなり古いものだった。首都ソウルの地下鉄の歴史を感じさせる。ソウルの地下鉄はとても発達していて、路線も複雑に入り組んでいた。東京並みだ。車両は広軌のようで、日本の地下鉄よりも幅広くてゆったりしていた。汝矣島駅で下車した。

 汝矣島(ヨイド)は漢江にある大きな人工島である。国会議事堂や、テレビ局の本社ビルなどが立ち並び、ソウルの副都心のようになっている。テレビドラマのロケ地にもよく利用される地域だった。でも、地上に出た僕たちは、国会議事堂とは逆の方向に歩きはじめた。めざすは、「大韓生命63ビル」、通称ゴールデンタワーである。南山にあるソウルタワーが改修中なので、このビルからソウル市内を一望しようというのが当初の予定だった。しかし、雨である。展望がきくのかどうかは疑問だった。金融機関のビルや、よく整った高層アパート群などを通り過ぎて、やっと「大韓63ビル」についた。この、高さ約250メートルの高層ビルは、1980年に建設されているから、12年前に初めてソウルに来た時にはすでに存在していて、私たちもその姿を見ていた。今回、やっと中に入れる。しかし、雨の中、地下鉄駅からかなりの距離を歩いて、なんとかたどり着いたビルは改修中らしかった。工事用の白い塀の間を縫って、やっと玄関にたどり着いた。インフォメーションで展望フロアへのチケットを買う。先客の中国人の団体についていったら、エレベーターの乗り場だった。その団体と一緒に登る。展望フロアに着くと、恐れた通り、下界の展望はほとんどきかなかった。見えるのは、すぐ足下にあるアパート群だけ。漢江の対岸にあるソウル中心部は、雨にけぶって、まったく見えなかった。それでも、20分ほどは展望フロアにいただろう。百年ほど昔のソウル市内の写真が飾ってあったので、それらを一枚ずつ見て歩いた。ソウルの変貌ぶりがよくわかって、なかなか面白かった。その後、騒がしい中国人の団体を残して、二人は先に下界へ降りた。このビルの地下には大きなショッピングセンターがあると旅行ガイドには書いてあり、家内はショッピングを楽しみにしていたようなのだが、どうやら改修中らしくて入れなかった。

 雨が強くなったので、次の目的地である南大門市場(ナムデムンシジャン)まではタクシーを利用することにした。大韓63ビルの玄関口にちょうどやってきたタクシーに乗り込む。家内は、旅行前に誰かにもらった店の地図を持っていた。その店は南大門市場にあった。でも、その地図に書いてあるC棟という建物がなかなか見つからなかった。雨の中、何人もの客引き達の手をふりほどきながら、賑やかな通りの雑踏を縫って歩いて探したのだが、やっぱり見つからない。地図を確かめ直し、同じところを何度か行き来してやっと見つけた。傘をさしていなければ、もう少し早く見つけることができたかもしれないが、分かりにくいのは確かだった。目当ての店は、C棟の2階の小さな卸売店が闇市のように群居する中にあった。行ってみればただの土産物屋である。どうして、こんな店をわざわざ探してきたのか、私にはよくわからなかった。でも、妻は満足したようである。いくつか土産を買っていた。南大門市場は、600年もの歴史を持つという、ソウルでも一番古い市場だそうである。広いエリアに大小の店が密集していて、実にパワフルだ。日本人観光客がたくさん訪れる観光スポットでもあった。なんでもあって、安い。この日は雨模様でもあり、あまり時間もなかったので、店を覗いて歩くことはしなかった。していたら、たぶん、半日がかりだっただろう。(家内が持っていた地図は、朝日新聞社のソウル支局の記者が送ってくれたものだった。記事で紹介された商品をどこで買えるのかと新聞社に問い合わせたら、親切にも、送ってくれたのだという。その記者の名前は、後にソウル支局長になった市川速水さんである。)

 そろそろ昼だった。本来なら、昼食をとる店を前もって決めておくべきだったのだが、何も決めていなかった。これから歩き回って探す気力は、二人ともなかった。仕方なく、近くにあった新世界デパートの地階食料品売り場へ入った。このデパートの旧館は、植民地時代には三越デパートだったところである。今月10日にオープンしたばかりの新館は、近くのロッテデパートよりもモダンなつくりだった。地階の食料品売り場には、あちこちに飲食コーナーがあった。世界各地の食べ物を味わうことができる。疲れていた僕たちは、手近なところに見つけた中華料理のコーナーに座った。ヌーベル・シノワーズ風の料理が回転寿司のように出てくる店だ。メニューを見ると、かなり高そうだったが、いまさら、他の店に行けなかった。味はまずまずだったが、脂っこいし、高いので、数皿食べただけで店を出た。(その後、ロッテホテル地下のパン屋兼カフェで、空腹を満たした。)

 昼食を食べてからホテルを出発する午後3時まで、われわれはロッテ免税店を覗いたり、ホテルのロビーでお茶を飲んだりして時間をつぶした。出発時間ぎりぎりまで観光するような気力も体力もなかった。韓国はこんなに近いのだから、またいつでも来られるという考えもあった。そして、午後3時。また集団になった我々は、来た時と同じルートを逆行して、貸切りバスで仁川空港に向かった。2001年に開港した仁川空港もまた、今回の旅で、私が見ることを楽しみにしていた場所である。「冬ソナ」はじめ、数々の韓国ドラマのロケ地として登場する、このアジア最大級の24時間運行ハブ空港は、日本の成田や関空のライバルでもある。でも、私が見たところ、少なくとも関空は仁川の敵ではなかった。仁川空港に較べれば、関空などはローカル空港に過ぎない。仁川空港はまことに巨大な空港だった。特に、出国窓口を抜けたあとのそこは、免税店の一大ショッピングセンターなのだった。飛行機の搭乗時間まで、まだ2時間以上もあったのだが、チョコレートや岩のりなど、最後の土産物を買った後は、僕にはもう、この広い構内を歩き回る元気はなかった。(家内はひとりで免税店めぐりをしていた。)ここまで大きな空港が必要なのかということはおいても、私はこの空港の大きさに圧倒された。2泊3日、まことに短い旅であったが、ほぼ12年ぶりのソウルは、とても元気だった。北朝鮮などの問題を抱えながらも、自国の文化や歴史にプライドを持って、前向きに未来をめざしているような印象を受けた。王宮や清渓川の復元はその象徴だ。韓流ドラマの故郷としての自信や魅力にも溢れている。また訪れたい国である。なにしろ近い。今度は、もうすこし韓国語を勉強してから来ることにしよう。私は、そう思った。 

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