破滅のスリル

ギャンブルと絶叫系アトラクションの話。

僕はギャンブルが嫌いで、パチンコとか競馬とかそういうのは一切やらない。逆に絶叫系アトラクションは大好きで、富士急に一人で行ってジェットコースターを周回したりする。

ギャンブルも絶叫系もおおざっぱに言うと「スリルを楽しむもの」と表現できると思うんだけど、上のような好みの差がどうして出るのかなーみたいなことを考えてた。

結論としては、絶叫系アトラクションは「安全が確保されたスリルを楽しむもの」だけど、ギャンブルは「スリルをコントロールすることを楽しむもの」なんじゃないかなーということ。

ジェットコースターは数十m上空から落下するという普通だったら絶対死んじゃうようなことをさせられてるわけだけど、レールとシートベルトによって「普通だったら死んじゃうような体験」を安全に楽しむことができる。安全ではあるけども、体験できるスリルは一定だ。

逆にギャンブルは「安全は誰も保証してくれない」けども、「どれくらいのリスクを負うか」を自分でコントロールできる。何かしらの判断基準によってどれだけのリスクを負うかを自分で判断し、思惑が通ったらめっちゃ楽しい。リスクもリターンも自分次第。体験できるスリルもその時々で不定である。

こう書いてみると、ギャンブルの方が原始的な娯楽だな~と思う。原始的か近代的かというのが物の価値を決めるわけではないけども。

ここまで書いといてあれだが、ギャンブルにも色々種類があることは考慮しておかないと、さすがに「主語がデカい」というものだ。

例えば麻雀、ブラックジャック、ポーカーなんかは目に見える情報を元にした自分の判断の精度によって勝率が決まる。どのくらいリスクを取るかを考えることで有利になるギャンブルだ。

逆にルーレットやバカラはどれだけ考えたって勝率が変化しない。考えるだけ無駄なギャンブルだ。(それっぽい理屈はいくらでもこじつけられるが、期待値は一切変化しない)

僕は前者のギャンブルはそこまで嫌いではない。が、後者のギャンブルは大嫌いだ。自分の判断が結果に結びつかない、というのが性に合わないんだと思う。

その点、ジェットコースターはリスクもリターンも他人によって保証されているので考えるもクソも無いのだが。これはそもそも勝敗が存在しないものなのでスコープ外である。リターンの獲得手法としては、ゲームをするというよりもコンビニで午後ティーを買うに近い。

まとめるとしたら、自分の判断に賭けるスリルか、自分の運に賭けるスリルか、陳列されている安全なスリルを買うか、という分類になるのかな。僕は真ん中のスリルは嫌いだ、という話でしたとさ。

最後に。ジェットコースターの話で言うと、実はこれも運ゲーである。遊園地のスタッフがベストな仕事をしていることを信じてはいるが、トラブルが起こって空中に放り出されるリスクは0ではない。しかも、ギャンブルと違ってそれが起こったら即死亡、である。カジノで有り金が消えたところで即死はしないのだから、相当なリスクだ。

僕が絶叫系アトラクションが好き、という本当の要因は、そういうコントロール不可能かつバカでかいリスクが生み出すスリルを感じているからなのかもしれないな。実は相当なギャンブラーなのかもしれない。くわばらくわばら。

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