食べものと情熱

人が食べものに掛ける情熱は生半可じゃねーな、的な話。

現在、新幹線に乗って実家に帰っている途中。連休だから帰る、というわけではなく、ただの引っ越し手伝いである。

新幹線の中で飲むビールは格別であることが知られている[要出典]のでビールとおつまみセットを貪っているのだが、チータラを見てふと「これ考えたやつ天才じゃね?」って思ったわけだ。

まずチーズと魚を乾物として組み合わせる発想がすごい。次にチーズに鱈を薄切りにして貼り付ける、という工夫がすごい。最後に、それを量産するという情熱がすごい。たかがおつまみのためにどれだけコストを払ってるんだ... 

かのごとく、人が食べ物にかける情熱は半端ではない。チータラはどっちも普通に食える食材だが、人間は食べられないもの or 食べられそうにないものすら食べようとして大量のコストを払い、様々な工夫をしてきた。

まずはフグの捌き方を確立した人。普通に考えて、食ったら死ぬものをなんとかして食おうと思うか? フグのどこが毒でどこが毒じゃないかを多大な犠牲を出して調べたんだろうけど、そこまでコスト払う価値ある? 魚だぞ? 鰯で我慢するとかそういう妥協は無かったのだろうか。

次になまこを最初に食べた人。なまこってどう見ても化物じゃないか。謎の汁を吐くし、見た目からして生き物とは思えない。なんで食べようと思ったんだろう。おいしいけど...

トマトを食べた人もすごい。元々毒があるわけではないのだけど、当時使われていた食器のせいもあって毒があると信じられていたのだが、色んな人の尽力で毒が無いことが証明され、今では様々な料理に欠かせない食材にまで出世している。

そんな感じで、食べられないとされていたり、食べ物だと思えなさそうなものをなんとか食材として扱うことについて、人間は動物の中でダントツのエキスパートである。そこまでしなくても食えるものはたくさんあるのに、なんでそこまでして新しいものを食べようとするんだろう。不思議。

今回は特にオチがない。また明日。


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