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趣味ごとに「しきたり」って必要?

ワシは趣味の一つとしてプラモデル製作を嗜んでいます。
昔はガンプラをはじめとするキャラクターモデルを好んで作っていた事もありますが、ある瞬間にスッと熱が引く時があってそうなると作るのをやめてしまう、というのを定期的に繰り返していました。
2017年の暮れ、突然戦車のプラモデルが作りたいと思い年末休暇に作り始めて以来、今回の模型熱は3年目に突入。
戦車だけではなく時に航空機や自動車など、時間があるときに気の向くまま作っています。

近隣に望ましい形のサークルが存在していないようだったので模型サークルを立ち上げ、現在は暫定代表という立場にありますが、本来代表という柄でも器でもないという自覚がありますので将来メンバーが増えたら代表は退く意向です。
自分が“お山の大将”になりたくてサークルを作ったわけではないので。

さて、それでは表題について。
模型製作に限った話ではないと思いますが、何をするにも「こうでなければならない」とか「こうやるように決まっている」などというしきたりめいたものを持ち出してくる人がいます。
伝統的なセオリーがあること自体は否定しません。それが有効であることも当然あるでしょう。
ただそれは理解しつつ敢えてセオリーから外れたことをしたとき、それをしきたりに背いているかのように否定的に評価する人がいます。
ワシはそういうのを甚だめんどくせえなと感じます。

またその業界で評価されている著名人、実績ある有名人のやること、作ったものを無条件に称賛しなければならないという同調圧力めいたしきたりを強要されることもあります。
例えそれが個人的に趣味に合わないとしても。
趣味に合わないからとそれを頭ごなしに否定するのは論外ですが、趣味に合わないのであれば正直に自分の好みではないと言うことの何が悪いのでしょうか(もちろん“言い方”はあります)
過去にそうした“しきたり”におもねった時期もありますが、結局こちらが疲れてしまうだけで何も良いことがありません。

そもそも趣味って誰のためにやっているのでしょう。
少なくともワシは自分のためにやっているのですが、しきたりめいたものを他人から強要されるよりも、自分の好きなように好きなことをしたいと思います。
それが社会的なルールや規範、あるいは他人の尊厳を犯すようなものでないのであれば自由として認められて良いものであると考えます。

しきたりめいたものを強要する行為に対して、それを言う人に対しては「めんどくせえこと言う人だなぁ」と思いますし、一つの価値観しか認めないと凝り固まってしまうのはなんとも勿体ないことだなと感じるわけです。
この手の話は結構あちこちで、様々な分野で見聞きしますが、そういうことを言う人達はどういうモチベーションでそっちに向かってしまうのでしょうか……

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