「ファーストペンギン!」を見てふと思う。

10月に入りテレビも秋の改編が始まっており、新しい番組もスタートしています。
ドラマ「ファーストペンギン!」もそのひとつですが、なんでも実話をもとにした内容なのだとか。

まあ、史実の話はここでは置いといて、第1話を見て色々と思うところがありました。

日本に不足してるのは「良質な作品」に接する環境か?

率直に言って、登場人物の魅力も演者さんの魅力も全然出せないまま終わったという印象です。
三谷幸喜はそれほど好きじゃないけど、第1話からガッツリとキャラクターの魅力を見せてがっちり視聴者の興味を掴む彼の能力については率直に評価せざるを得ないと思いますが、それと比べるまでもなく「ファーストペンギン!」は掴みが弱すぎた。

もう何年も日テレ系のこの時間帯だけではなく、他局も含めてドラマの不作が続いていると思います。
先日はNHKの朝ドラがあまりにも酷すぎる脚本と散々叩かれていたのが記憶に新しいところです。
TBS系の日曜劇場が概ね好調なのでしょうが、あれも半沢直樹や下町ロケットのフォーマットを使い回しすぎてそろそろ既視感が強すぎるのではないかと。
先日放送を終了した「六本木クラス」はもっとツッコまれるのではと思っていたのですが概ね好評だったようで、韓国の「梨泰院クラス」を忠実にリメイクしたら評価が結構良かったというのはあまりにも皮肉が効きすぎてるのでは。

演者さんの能力に起因するところも一部にはありそうですが、近頃の不作ドラマの特徴として概ね批判されるのは脚本の稚拙さにあるように思います。
その原因を深堀りしていくと、全てではないと思いますが日本人の文化的な体質にあるのではと感じてしまうところがあります。

海外では(あまり“出羽守”発言をするのは本意ではありませんが)舞台観劇や美術館巡りは特に高尚な趣味の持ち主ではない人にとっても身近な習慣だったり、海外の美術館は作品のすぐ目の前まで近づけてしまうのが割と当たり前にあると聞きます。
シェイクスピアの舞台を見たり、美術館の無料で入れるエリアの作品を何時間も模写する人がいたり、という風景も珍しくないのだとか。
伝聞の更に伝聞ですからどこまで本当かは肌体験がありませんけど、こういう話を聞くと確かに日本とは真逆だとは感じます。
落語や歌舞伎はチケットは高いし、ご贔屓筋やファンクラブの会員とかじゃなければチケットを取るのも大変。
映画館は増えてるけど、海外で評価されてる映画は実はシネコンではあまりやってない単館上映の作品も結構あったり。
舞台の観劇や美術鑑賞はまだまだ高尚な趣味と見られているフシもあります。
確かに、良質な作品に触れる機会はないわけではないけど、実際に触れるのが結構大変だなと。

例えば日本にも海外のように「良作」に気軽に接する環境があったら、日本人の創作物も変わるものなのでしょうか。
良質な作品に触れて刺激を受けることで、日本のドラマでも面白い脚本が生み出されると良いなとおもいますが、この話を単純に脚本家の怠慢とか能力が低いとか、そんな言葉で括ってしまうのも少し残酷な気がしてしまいました。

忖度と同調圧力とルール

ファーストペンギン!の作中で、主人公の過去の話としていわゆるブラック校則の話と、それを変えようとしたけど同調圧力に潰された体験が語られました。

ブラック校則の話はかつてニュースになった際に「女子がうなじを見せるのは男子が欲情するから禁止」とか「女子の下着が透けるのは男子が欲情するから(ry」などのトンデモ校則があって失礼ながら笑ってしまったのですが、男子はそんな規制は関係なく勝手に欲情するのでそんな校則作っても無駄です!
……ってそうではなくて、まあ確かに昔は「なんでこんなルールができたのか」と理解に苦しむものがあったのは間違いありません。
今回はルールそのものよりも、理不尽なルールを変えようとした主人公に対して、内申に忖度して同調圧力が生じて誰も賛同せず改革が潰された、という話こそ注目すべきかなと感じました。

ルールを遵守するという点において日本人とドイツ人がよく取り上げられて、日本人とドイツ人は似た者同士のような親近感を覚えている人も少なくないのではないかと思います。
少し前に聞いた興味深い話があって、その一部をかなりかいつまんで要約すると、ドイツ人は真面目にのかもしれないけど解釈がかなりアバウトなので、ルールとして「物差し」を予め用意しておかないと各々が勝手に解釈してとんでもないことになる、という話でした。
物差しさえあればそれに従うということなんでしょうが、日本人とはこの辺は確かに違うなと思いました。

日本のルールって厳密に決まっているように見えて、よく読んでみると色々と違う解釈が出来てしまうものも結構あります。
あるいはいろんな考え方を一つのルールで吸収してしまうために、敢えて玉虫色の文言で仕上げられているものすらあります。
そんなアバウトなルールが機能してるのって、やはり誰かに忖度して問題のないように運用していたり、同調圧力である一定の方向性に固定した運用をしているからなのではないかと。
そういう感じで見てると、日本人とドイツ人のルール観は似て非なるものと言ったほうがいいのかもしれません。

しかし最近の日本はそこらへんが随分と変わってしまったと思います。
忖度も同調圧力も過去の遺物、悪しき風習とみなされるようになりました(実際そうだと思いますが)
そして忖度したり同調圧力で意見を統一しようにも、合意が得られにくくなってきているようになっているように感じます。
というか、各々の解釈するところの幅がどんどん広がってきているような。もう何考えてるのかわからないレベルでハズレてる人を見ることが増えたような。
もうそろそろ忖度と同調圧力でルールを運用するのがきつくなってないでしょうか。
そのうち厳密に「物差し」を作らないとルールを運用することができない時代になるのでしょうか。

で、ドラマの感想は

とりあえず1話見ただけなのでこの評価がひっくり返ることになるかもしれませんが、家族一同「なんか面白くないね」と意見が一致しました。
梅沢富美男が怒鳴り込んで奈緒が啖呵を切ることで掴みにしたかったのかもしれませんが、主人公(奈緒)のバックボーンがなんかよくわからんし、漁協側の背景もあまりはっきり見えてこないのでなんかよくわからんなというのが率直な印象。
堤真一が演じるおじさんキャラはなんかゴニョゴニョ言ってはっきりしないおっさんであることが多いので、今回もそのフォーマット通りかなと。
堤真一の脇を固めるのが吹越満と“アサシン”梶原善ということで、まあ妥当といえば妥当な配役ですが、それ以上ではない。
今回の話では奈緒の改革意見が正しい考え方なのか、それに反発した漁協側の意見がもっともなのかもよくわからない。
この辺は回を重ねて紐解いていくのかもしれないけど、第1話としての掴みがあまりにも弱すぎるので紐解く前に脱落する人が結構出そうな予感。
いよいよ視聴率で困ったら、善児が梅沢富美男を暗●しにいったら話題にはなるでしょうか。

1話と2話くらいは放送時間を拡大して、舞台背景と話の掴みをちゃんと見せようとしてるTBS系の日曜劇場のやり方はなかなかよく考えられてるなと改めて思いました。
こういう背景があって、こういうことをしようとしてる、という話の骨子を序盤で見せるのは大事だなと。
まあ、ファーストペンギン!も「何をしようとしてるか」は見せてたと思いますが、そこに至るまでのステップが駆け足すぎて唐突感が強すぎるというか。
これまでのやり方を守ろうとする人を保守的とか老害とか、紋切型で見せようとしてないかという懸念もありますが、あまりすべてを否定するような流れになってほしくないなという思いもあります。
そこに住んできた人はいろんなしがらみでそうなったということもあるだろうし、そこを無視してヨソモノ(敢えてこう言う)が引っ掻き回すのを由としない考え方を真っ向否定するのは見たくないなと。
ガンダムの連邦とジオンが正義の味方と悪の枢軸ではないように、どちらの立場にもそれぞれの「正義」はあるんだよね……と。

とりあえず次回は見てみることにしようと思いますが、第一印象は必ずしも良くはなかったのでうっかり見忘れたらそのまま見なくなってしまう恐れが。
忘れないように気をつけます。

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