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写真で呼吸する記憶。

日々撮った写真の記録。考えたことの記録。
月に20枚以上の写真群を10本以上掲載します。日々のメモ帳。
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#お前の発見を語れ

上京して、故郷に想うこと。

かつて私が十代だった頃、大阪に暮らしていた。その時はじめてできた恋人は東京に暮らしている人で、1〜2ヶ月に一度行き来して会ったりしていた。 当時の恋人は大阪に来るたびに「大阪は遊ぶところがなくてつまらない」って話してた。 それを聞くたびに"楽しさを見出す力のない人だな、そんなこと言うなら来なくていいのに"と思っていた。私は大阪が大好きだし、楽しいものなんて知り尽くせないくらいある街だと思っていた。 あれから10年、私はその人とはとっくに別れたし、1年半前から東京で暮らして

カメラマンのバイトに落ちた話。

近所にスタジオカメラマンのアルバイトがあったので、週一回くらい働こうかなと思って面接に行ったら、私一人のために2時間面接された上で落ちた😂 スタジオ業務に関わるような全てをやることもなく、14年も写真を撮ってきてしまった。大きな機材は私の身体性に合わないようだった。 自分はカメラマンじゃなくて写真家なんだと思った。 最近元気になってきたからバイトしようと思うくらいの力は湧いてきたのだけど、自分自身の活動のためにその時間や力を割いていこうと腹を括ることができる。自分の人生の

 記憶と記録と

全てを覚えて生きていきたいと願ってきた。 日々を忘れてしまうことが悲しくて、毎日が記憶に残るくらい特別な日になればいいと。 そして願いは叶った。 毎日違う場所で、違う人と過ごせるようになった。心が躍るようなことばかり起きる日々。 特別だと言える毎日は幸福なように思えたが、不思議心がずんずん重くなり、過去に引っ張られるようになった。 記憶で心が飽和してしまったようだ。 いま、全てを忘れて生きていこうと思っている。 忘れることが悲しくなくなった。 いま、この場所を生きていら

エモいってなんだ

ちちという名前で活動している友人を四年間撮り続けて、それらをまとめて個展を開催することになった。 撮り続けたとは言うものの、撮っていた意識なんて時になく友人と遊んでいた時の記録が残っているという感じだ。 そしてたまたまちちはモデルで、私は写真家だった。 私は写真をもう14年ほど撮っており、写真を撮る行為は心の呼吸だと言えるくらいには自然にやっていることなので、日々の写真が残ることはごく自然なことだった。 例えば恋人の写真を撮り続けるような、近い距離の人間を描いた写真表現は

死への憧憬を手放した。死体から始める人生だった。

死にたいとあまり思わなくなった。これは自分にとってとても大きなことなので、そのことについてぼんやり気持ちを巡らせようと思う。ながい独り言をここに記していく。 比較のために、死にたいと疑わなかった時期の記事も貼っておく。3年半ほど前になる。 いちばん死にたかったのは10歳の時だった。家にも学校にも居場所がない心地がしていたし、実際に居場所はなかった。家は荒れていたし、学校では先生からもクラスメイトからもいじめられていた。隣のクラスにたった1人いた友人と、放課後話を聞いて手紙

原点回帰。

去年の個展を終えてから、外でいのちの形を追い求め、撮影したいと思っていた。去年の作品はずっと室内で撮影していたものだから。 こんな写真を展示していた。 生活から街へ飛び出そうと考えて約半年、ようやく外でカメラを持って撮る気になってきた。 夜、ストロボやライトも持たず外で撮影するのは難しい。ましてや接写に向いているマクロレンズでのなんて、ほんの少しズレただけでブレるし、ピントがボケる。夜に撮るもんじゃない。 そのため夜にマクロレンズを抱えて撮影することは避けてきた。 だけど

人生の半分くらいの時間、人を撮り続けて思うこと。

写真を撮り始めて13〜4年ほどになりました。 私の元に写りにくる人は、人生の中で落ち込んでいる時期に来ることが多いです。 そしてそのとき、ヌードを撮ることを頼まれることも多いです。 病んだ時期はずっと続くものでなく、写りに来た人でその時期を抜け出した人もたくさんいると思います。 長く活動するにつれ、その時「写真集に使っていいよ、ネットに載せてもいいよ」と言ってもらったものでも、その時だからいいと思えただけじゃないかと懸念することが増えてきました。 (このことを言葉に残してお

日常をハレにしてまで。

日常をハレの日にしてまで、毎日特別な日を生きたいと願い続けた。 そしてそれは叶った。この春に思うこと。 卒業シーズンと呼ばれる時期。 自分はもう27歳、学生を終えてから丸5年になる。 フリーランス独身であるため、卒業してから特に大きな節目なくやってきた。たとえば就職とか結婚とかの類のものだ。 最近になってようやく、終わりも始まりもないような、息が詰まるような心地を覚え始めた。 いや、それなりに節目はあったと思うんだが、 おそらく自分がちゃんと節目にしてこなかった。 個展を

ティンダーで集めた人と、友人とで篆刻会をした。

年末に都内でティンダーで集めた人と、私の友人とで篆刻会をしたよ。10人集まった! 友達って増やして行かないと、歳を重ねるごとに減っていくんだよね。友達が減る人生、あんま豊かにならない気がする。なので、みんな集めて何かノンバーバルなことがしたいなと思い、ハンコを彫ることにした。言語より、言葉を介さない体験を共有する方が良いかなと。大人数で話す場、人の面白さがとてもとても薄れてしまうので絶対ノンバーバルな方がいい。 なぜハンコかというと、私が個人的にやりたいなと思っていたからです

全て氷の中に閉じ込めて

全て忘れてしまおうと思っている。最近は本当、全て忘れてしまおうと、忘れるために忘れてもいいようにメモを取り写真を撮っている。 二十歳を過ぎたあたりからずっと「忘れられない今日を生きたい」と願ってきた。そして願いは叶った。願いを行動に起こし続けて、ほんとうに毎日が特別になったように思う。 いつも無い物ねだりの今日を想ってしまうよね。というより、現実はなかなかの解像度でこの身にふりかかってくるもんで、結構むごかったりするんだ。 特別な今日というのは情報量が多い。その情報量を全て抱