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とりとめなき51

年度が変わろうとしているが、仕事は落ち着いている。先週あたりから職場に居る時間は増えたもので、それがどうだということでもないけれど、そうだな─ 間抜けな季節に路駐しているとでも。雨の気配はというと相変わらずそこらに居座っているから、天気予報に目を通すことも屡々。パーキングは何処に。

美しい物語。美しいと言っても、それは多々ある類を内包した、詳しくは勁草書房『分析美学入門』を参照されたいところであって、詰まるところ非常にぼんやりとした表現で。そうやって、ある視点から味覚云々の話にまでなってみれば、ほら、貴方も面倒でしょう?審美的相対主義なんて、そんなことに就いて喋っている暇はないんだ。

「読書は食事である」なんてことを、あれは大学の二回生だったろうか、読んだのか聞いたのか。ごもっともですとも、ええ。それとビアーをひとつ、君も一緒でいいかい?そうなんだ、読書も、映画も、絵画も旅も音楽もこの歩みさえ── 全てはただ酔うための、そう、アルコールなのだよ!

旅原理主義者「いいえ違いますとも、アルコールの摂取に伴う酔いの感覚は、ただ旅に内包された一部分に過ぎぬのです。日常からの離脱、貴殿の仰るその陶酔は旅の作用でございまして。単調な楽譜にふと訪れる、謂う所のファールゾーンは旅の領域に内包されているのですよ」

ここ数日で読んだもの、岩波文庫は室生犀星の『或る少女の死まで 他二篇』と萩原朔太郎の『猫町 他一七篇』で。先ずは前者。胸に迫る、なんて表現はありふれているのだが、こんなにさり気なく為されてしまうのか、と。後者に関しては、最後尾収録の『老年と人生』が宜しい。季節は秋を過ぎて、冬であった。旅の好いところは追体験であって、春はもう、すぐそこまで来ているのだろうし、他でもない私の季節は──

それから講談社学術─より上田三四二の『無為について』は読み進めているところ。他部署の上司より半ば強引に渡された『MASTERキートン』の一巻は昼休みに片付ける。実物の漫画本を手に取るのは久方振りか。文字を書いているときを除いて、携帯の液晶を開きたくない。自らに辟易するのはうんざりだ。

ドゥニ・ヴィルヌーヴ『DUNE 砂の惑星』を観たのは大学時代で、その日、普段より映画は観ない友人に、朝から『燃えよ剣』『キャンディマン』を含めた三本に付き合ってもらったのであった。そして今夜、これから『DUNE─』のPart2を観る。旅立つのだ!!!





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