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お題目は何回?

はじめに

信者さんとすこし親しくなってくると、だいたいこれを聞かれます。
「お経は最初と終わりがあるからわかりやすいのですが、お題目は何回となえればよいでしょうか?」
たしかにお題目には回数が書いていません。
今回はそんなお話です。


答えは

回数の問題ではなく、法華経を受持(じゅじ)と言いますが、法華経を知り信仰していく決意、自分の手元にそのお題目が届くまでの歴史や先人への感謝に思いをはせることができれば、それでよいのです。
うちのお寺では、日々のお勤めは13回程度を目安に唱えてください。とお伝えしてます。

少し詳しく

お題目一万遍とよく言います。これを一部とも言います。
一万なのに一部?
一部とは、妙法蓮華経(いわゆる法華経)の最初から最後まで全部という意味です。
つまり、お題目を一万遍唱えると法華経を全部読んだ事と同じだけの功徳を得られるといわれてます。

もう少し詳しく

妙法蓮華経は全28章からできていまして、巻物にして8巻もの量になります。これを文字数にすると、69,384文字になるといわれています。約70,000文字ですね。
お題目は「南無妙法蓮華経」の七文字なので、これを一万回繰り返すと
7文字×1万=7万という文字数になります。
南無は帰依する信仰するということ、妙法蓮華経はお経の題名です。これを組み合わせるので「お題目」と呼ぶのです。

ということは

お題目を一万回唱えると、妙法蓮華経の文字数と同じ数になるので、法華経を全部読んだのと同様の功徳が得られるということです。
法華経は読むだけでも難しく、理解するとなれば時間がいくらあっても足りません。日蓮聖人が我々にわかりやすく法華経の功徳を積めるように意味づけなされたのが「南無妙法蓮華経」のお題目なのです。

おわりに

日々お勤めを朝夕休まずにしていただくのが最善です。でもそんなことはだれでもわかるし、信仰心があればあるほど、できればやりたい。
毎日のお仕事具合や自身の健康状態、そんなことで拝めない日もあるでしょう。あっていいんです。
最初の記事にも書きましたが、大切なのは感謝の心です。
でも雑事にさいなまれて心穏やかに過ごせないのが我々です。
 今日は拝もうと、神仏の前に姿勢を正して手を合わせ、不思議と雑念が消え自分がいま手を合わせていられることに素直に感謝できれば、お題目は自然と口から出てその時に必要な数を唱えるはずです。
 また心が波立ち冷静になれない日もやってきます。そんな日は何も考えられないぐらい一生懸命お題目を唱えて、神仏に心も身体もゆすいでいただきましょう。そんな日に必要な回数は「心が真っ白になるまで」回なのです。
今回はそんなお話でした。

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