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月と六文銭・第八章(7)

 鈴木すずき征四郎せいしろうは翌週の行動計画を調整するため、日曜日の午後は自分の部屋で部下の高田たかだ準一じゅんいち江口えぐち優作ゆうさくの二人と打合せを行っていた。

~それぞれの日曜日~(5)


 鈴木は高田と江口を前に警視庁と外務省から提供を受けた大韓民国大統領訪日警備計画について話し合っていた。いくら警備を完璧にしてもターゲットが動いている限り、狙うことができる。

 自衛隊のレンジャーとして訓練を受けた高田は射殺、爆殺、毒殺の3ケースについてシミュレーションを作成した。

 毒殺については宮中晩さん会以外はホテルで食事を提供することに限定し、ホテルと協力して、食事の安全性を確保した。これは米大統領の訪日でも同じプロセスだったことから、これまで対応してきたホテルオオダテの利用を韓国政府に通知した。

 爆殺については訪問先施設の協力を得て、事前に徹底的に探索を実施することで防ごうとした。鈴木自身丸の内ビル爆破事件で体の1/3に火傷を負い、部下二人を失い、従業員十数名、ビルの訪問客三十名が巻き添えで亡くなった経験から陣頭指揮を執った。

 射殺、つまり狙撃については高田が分析して、訪問先を狙撃しに難い建物とするほか、外出は極力控えてもらうことなどを韓国政府に要請した。

 また、外に出る時は狙撃可能な場所が極力少ないロケーションを割り出して、そこに限るようにした。当然韓国政府からは細かい注文はついたが米国からの助言もあって、今回は日本の警備計画に従うとの譲歩を引き出した。


 打合せがひと通り終わり、高田と江口が帰った後、鈴木はソファに体を預けていた。妻・琴乃の墓参りの帰り、車の横を矢のようなスピードで追い抜いて行ったオートバイに乗っていたのは娘の綾乃だったのだろうと思った。誰に似たのか頑固で、高校生になってから、一度でも自分の言うことを素直に聞いたことがない。

 死と隣り合わせの仕事をしている自分についてきてくれたのは嬉しかったが、どうして普通の幸せを選ぶことができないのか。昔の部下などの結婚式に列席して、花嫁の幸せそうな姿を見ると、何を間違えたのかと悔やんだ。

 そして、自分の精神に宿っている抑えがたい衝動をどう説明したらいいのか。血は繋がっていなくとも、仮にも戸籍上は娘となっている若い女性が大きく年の離れた男性と肌を合わせるのは正常な精神状態ではない。

 娘の責任にしてはいけない。受け入れている自分の方が悪いのだ。しかし、拒否したら、これまで娘が拠り所としてきたものがなくなるのは間違いないだろう。

 娘が父を慕うのはエレクトラ・コンプレックスと説明されるが、その裏には母への対抗意識が存在するはず。綾乃は母・琴乃に対抗して私を独占したいのだろうか。母の存命中は遠慮していたのか?


 娘はきれいな女性に成長した。ポジティブで周りにも気を遣い、職場を明るくする努力を惜しまない。それでいて、鋼のような精神力と固い決意で任務に当たっている。

 今晩、もし綾乃がここに忍び込んできたら、自分は綾乃を拒めないだろう。目を閉じて眠ろうか。いや眠ったらその間に日本のどこかでテロが起こるかもしれない。

 某国日本大使館襲撃事件の際、交代で仮眠を取った時、反政府ゲリラからの銃撃で、その部下の頭部の1/3が吹っ飛んだ。帰国後、彼の奥さんとお子さんの顔を見ることができなかったのを覚えている。

 丸の内ビル爆破の際は、陣頭指揮を執って捜索した結果、テロリストが仕掛けた爆弾を見つけることができたが、避難が間に合わず、部下も従業員も来客も巻き添えになった。

 自分も大やけどを負って半年近くリハビリをして過ごした。琴乃とその娘・綾乃に出会ったのはこの時だった。当時、綾乃は右の前歯が抜けていて、ペコちゃん人形のような髪形をしていた。


 テロリストとの戦いに終わりはない。我々のような人間が頑張らないと1億2千5百万の国民が安心して眠れないのだ。一人でもテロの攻撃で亡くなれば、それは日本の国としての敗北であり、我々が任務に失敗したことを意味し、不安で眠れない国民を生むことになってしまうのだ。

 目の前の窓に一筋の明かりが映った。後ろの扉が開けられたのだ。音もなく自分の背後に迫ることができるのは、娘の綾乃だけだ。。。

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