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月と六文銭・第八章(6)

 日曜日の午後は自分の部屋でストレッチをしながら資料を読んで、翌週取り組むべき事柄を確認するのが、千堂せんどう綾乃あやののルーティーンだった。

~それぞれの日曜日~(4)


 綾乃はヨガマットの上で「片膝曲げ側屈」のポーズを取りながら、スクリーンに映し出される「韓国の百年」の歴史講座を眺めていた。

 元々3つの国に分かれていた時期が長い朝鮮半島は、統一された後は王朝の交代を数度経験したが、今でも3つに分かれていた時代の意識が残っていて、大統領選挙のたびにその色合いの違いが反映されていた。

 特に現大統領のパク・ジウン(朴慈雲)が選ばれた時は、父のパク・ヨンヒ元大統領の出身地域である慶尚北道(慶州を中心とする古代の新羅)と反パクだった旧百済地域、歴史的に両方にくみしない北部の(ソウルや北朝鮮を含む古代の高句麗)での支持率はそれぞれ70%、50%、30%とあまりにも国の分断が明らかで、対北朝鮮政策も一筋縄ではいかない理由の一つにもなっていた。

 その韓国のパク大統領が国連にも出席する米国訪問の帰路、日本に立ち寄るというのだ。日韓関係が戦後最悪と言われる時期に日本を訪問し、親善を示したいとの大統領の強い意志だと言われているが、日本国内の世論が逆風になっている状況下で大統領或いは同行している閣僚などに危害が加えられたらどうするつもりなのだろう。

 政府は万全の警備で臨むと表明しているし、これまで日本国内で元首級の人物の暗殺などは戦後一回もなかったが、北朝鮮との関係が微妙な中、本当に大丈夫だろうかと気持ちが重くなるのを自覚していた。

 最終的には鈴木すずき征四郎せいしろうに総理から直接指示が来て、自分も所属する鈴木が統括する特殊捜索班にどんな危険要素も排除しろという無理難題が課せられることだろう。

 自分の上司、鈴木へは、北からの暗殺者の侵入が考えられる、と米国から警告が寄せられたことから、特殊捜索班は既に動き出していた。


 父・鈴木征四郎は命を懸けて対テロ対策を担ってきた。若い頃は丸の内のビル爆破事件で自ら負傷し、そのリハビリの過程で自分の母と知り合い、母と自分の二人を引き取って、自分を娘同様に育ててくれた。

 地下鉄サリン事件では警察の最前線で対応を指揮したし、オメガ教団の山梨の施設への突入作戦を立案したのも父だった。思わぬ事情で教祖が逮捕できたが、その事情が不自然だったことがここ十数年気になっているらしいと一度聞かされたことがあった。

 新潟の武器密輸事件以来、父とは会っていなかった。正確には作戦会議で会い、言葉は交わしていたが、自分の心を満たす形で父とは逢ってはいなかった。

 母の死後、守護神として自分を守ってくれていた父に対し、逆に自分が父の力になりたい、父と共に戦いたいと思うようになる中で、母に代わって父を愛するようになった。

 学生の頃は一応お付き合いをしている男性がいた。だから、父に対する自分の気持ちは、あくまでも父と娘の親子の愛情だと思っていた。

 しかし、母が亡くなった瞬間、どうにも自分を抑えることができなくなり、父を男として求めた。それ以来、機会があれば父と交わり、彼からの抱擁を喜び、安堵と絶頂で自分を満たしてきた。


 父は父で自分との関係で悩んでいることは分かっていたからこそ、一人暮らしをはじめ、同じ屋根の下で暮らすことをやめた。

 そして、個人的に逢うために警備を掻い潜るなど、あくまでも自分がこれまで身に付けた能力を活用して父に近づくことができるならば、女として父と接しても良いルールを自分に課していた。

 そういった時の最大の障害は、自分のチームメイトであった。頼もしい兄的存在の高田たかだ準一じゅんいち江口えぐち優作ゆうさく水戸黄門みとこうもんすけさんかくさんみたいにいつも父のお供をしていた。宿泊先では幸い別フロアに泊まることが多かったので、父のいるフロアまでたどり着けたら逢うことができた。

 年の近い兄弟の様に過ごしてきた志賀しが直人なおと高坂こうさか健司けんじの手前、同格の捜査員として、捜査活動を行った。父に贔屓をされない代わりに特別厳しい任務を与えられることもなかった。目的に向け一丸となって取り組むことだけが求められた。

 しかし、正直なところ、日本では女性潜入捜査員は極僅かしかいない上、麻薬取締りや風俗産業などで精神的に不安定になりかねない環境で活動を続けることができる者は皆無だった。

 綾乃も肉体を蝕む覚せい剤関連と精神を痛める風俗関連の潜入に従事する時は特に注意していたが、危うい状況と隣り合わせだったことが常だった。それでも最終的には、父が大きな手で受け止め、温かい腕で抱きしめてくれるという救いが待っていたからこそ従事できた。

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