図書館の本質とは

おはようございます。
としょかんで世界を変えます。

 もらった割引券を使える店に持って行って得することが、全然できていないあさひです。

今日は、図書館の本質について考えます。

 結論からいうと、「図書館は過去の人の知恵を最大限活かして、今生きる人の役に立つこと」が本質です。
 巨人の肩に乗る、ことを助けるということです。巨人の肩に乗るとは、今までの人たちが培ってきたことを生かすことは巨人の肩に乗るように遠くまで見通すことができることを比喩したものです。図書館は巨人の肩に乗るための綱、あるいは梯子といったところでしょうか。
 その手段として長い間、紙の書物が重宝されてきました。大量の情報を多くの人に届けることができ、保存も効くからです。16世紀のグーテンベルクの活版印刷術でその動きも加速しました。さらに、20世紀のインターネットの登場により、天文学的にその加速度は高まりました。今や、巨人の肩どころか宇宙から見下ろすこともできるほどに情報の恩恵を受けられるようになったといえます。個人がスマホひとつパソコンひとつ持っているだけで、です。
 図書館に行かずともよくなったのです。一人一人が図書館をポケットに入れている、そんな時代になりました。なんて素晴らしいことでしょう、とは手放しでは喜べません。なぜか。なぜだと思われますか。情報の質が落ちた、不要な情報が多く混ざった、本質に近い知恵に辿り着くことが難しくなった。耳が痛いが、ためになる、そんな情報が見つかりにくくなったのです。役には立つが、使い捨ての、明日には忘れているような情報が多くなってしまっています。
 その根拠は、専門性の低い個人が無責任に発信することが可能になったからです。以前までは、一部の人しか発信できなかった、組織としてでしか発信できなかった。新聞やテレビがそうです。そこには発信の責任が生じ、情報の正確性はそのままそのメディア組織への信頼につながりました。軽はずみなことは言えなかったわけです。

 これは個人の発信を批判しているわけではなく、そういう側面があるよという指摘です。個人の発信量と期間による発信量は2016時点で81対19、2017年度予測で2021年には84対16になっているとした(Cisco Visual Networking Index:予測と方法論、2016~2021年)。全体の情報量が2.6倍になっていることから、その差は開き始めている。
 宇宙まで行けるようになった反面、宇宙まで行くことが難しくなってしまったのです。行ける人と行けない人の差は広まるばかりです。月に行ける人もいるのに、地上でウロウロするだけの人もいます。そして、お気づきでしょうか。この文章も「専門性の低い個人が無責任に発信したもの」です。疑うべきです。もちろん、専門性を高め、責任をもって発信するよう努めます。
 開いた差にまた、梯子をかける、宇宙ターミナルのエレベーターを作るのが図書館の使命かと思います。みんなを救える、とはいえません。正直無理です。ですが、宇宙に行く意思のある人を助けられるようにはなれるのではないかと考えます。
 本日は、図書館の本質「図書館は過去の人の知恵を最大限活かして、今生きる人の役に立つこと」に関してでした。


 最後までお読みいただき、ありがとうございます。すてきな1日を味わってください。


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