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2016/10 第100号「お念仏の声が伝えるもの」

 他県から移住されてこられた、あるご門徒とのお話です。典礼社からのご紹介を経て、今年二月に、九十七歳で亡くなられたお母様のお葬式をお勤めさせていただきました。初めてのご縁ということもありまして、故人のこともご遺族の方々の様子もあまりよくわからないまま、通夜、葬儀とお勤めを終えたような印象でした。
 ただ一つ印象に残ったことが、故人のご主人がお経の最中に、口癖のように「なんまんだぶ」と何度もお念仏を称えていたことでした。続く節目節目のお勤めにもご自宅に伺わせていただくと、「なんまんだぶ」とお勤めの間に常に称えておられました。
 そのご主人も、後を追うように、この八月に百四歳にて亡くなられました。晩年はほとんど車いす生活で支えが必要でしたが、それまでの自分のことは自分でというしっかりした生活が百歳を越える人生を支えていたようです。
 また、お念仏の生活との出会いにも興味がありましたが、聞けず仕舞いになりました。ご実家の生まれ故郷で子どもの頃から培ったものか、それとも人生の中で大きな転機があったのかわかりませんが、何ものにも代えがたいお念仏との出会い話しを伺いたかったものです。もっと早く出逢えていたらと思うところです。
 この度の、ご夫婦の葬儀を通して、喪主の息子さんは、お父様の称えるお念仏の大切さを身をもって知らされたようでした。後世に、仏さまの教えを繋げていくのは、人や環境の問題も大事ですが、「なんまんだぶ」と称えるお念仏の声こそが広まって伝えられていくものであると気付かされた瞬間でした。
 本山ですすめていた基幹運動の時代に「念仏の声を世界に子や孫に」というスローガンがありました。今の実践運動の目指す〝つながる〟〝つたわる〟というテーマにしても、先ずお念仏の声が基になって伝わって実践されていくものだと感じます。
 「なんまんだぶ」と称えるお念仏は、称える者を救わずにはおれないという阿弥陀さまの誓いです。手を合わすことはしても、どうしても周りの目を気にして、称えることに抵抗を感じている方が多いようです。それでは「なんまんだぶ」と称えやすい念仏で届けて下さる阿弥陀さまの願いを、私自身が抑えてしまっているのではないでしょうか。
 お念仏のこころを味わっていきましょう。

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