見出し画像

2015/04 第94号「この上ない『ご利益』」

 長野の善光寺で御開帳が始まりました。新幹線効果や天気にも恵まれて、最高の人出になりそうだという報道もされました。
 この御開帳開幕に先立って、善光寺住職を務める、大勧進の小松玄澄貫主と大本願の鷹司誓玉上人が、それぞれ記者会見をしました。その内容が、三月三十一日付の信濃毎日新聞に掲載されていました。その中でも、鷹司上人のお言葉に共感するところがありました。
 それは、御開帳に来て食べ歩きとかグルメに注目が集まりがちですが、せっかく間近に拝めるように、仏さま(前立本尊)のほうからお出ましいただくのですから、先ずは〝仏さまを拝む〟ことを中心に行動をと仰っています。そして、我先にと争うように回向柱に触れるようなことではなく、出来れば秩序をもって、敬虔な気持ちでお参りしていただきたいとも仰っています。続けて、善光寺に入山されて十回目の御開帳になるそうですが、毎日、お勤めしている日常の中のことで〝平常心〟で勤めたいと、自らの姿勢も述べておられます。
 このように、〝仏さまを拝む〟こと、そして〝平常心〟でといわれるように、先ず仏さまに対する姿勢が大切であるということです。
 一方、何かにすがりたい、助けてほしい、平和であってほしいという私たちの願い事に応え、安堵するなどという人間中心の行いの中に、仏さまからの真の願いなど見えてきません。
 実は、前回、ちょうど六年前の寺報四月号にも、私は当時の同じ会見の内容を取り上げていました。当時も、同じく鷹司上人のお言葉を取り上げ、ともすれば御開帳によって観光化させ、多くの参拝者を呼び込み周りが潤うことを願う言葉もある中で、人間同士、他のあらゆる動植物に対しても優しさを持つなかで本来の「仏教の精神を見直して」と仰るお言葉は光るものがあると書いていました。
 「南無阿弥陀仏をとなうれば この世の利益きわもなし」という親鸞さまのご和讃も取り上げていました。この上ない(きわもない)「ご利益」とは、仏さまからの願い事を依り所として生きようとする生き方が恵まれたということです。御開帳もそうですが、折折に、寺の催し事などがありますが、先ずは仏さまを通して自らの姿勢を正すきっかけをいただくことこそ、この上ない「ご利益」ではないでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?