2018/10 第106号「どう生きるか、そして、どう死ぬか」
この九月に往かれた樹木希林さんです。私の大好きな方のおひとりでした。
これは、十月二十九日付の各紙に掲載された、宝島社という出版社の今年の企業広告です。宝島社ホームページから見ることが出来ます。希林さんの過去の言葉をもとに作られていて、仏さまの見方にもつながるところが多いので抜粋してみようと思います。
先ずは、『サヨナラ、地球さん。』と題して、「いまの世の中って、ひとつ問題が起きると、みんなで徹底的にやっつけるじゃない。だから怖いの。自分が当事者になることなんて、だれも考えていないんでしょうね。/日本には「水に流す」という言葉があるけど、桜の花は「水に流す」といったことを表しているなと思うの。何もなかったように散って、また春が来ると咲き誇る。桜が、毎年咲き誇るうちに、「水に流す」という考え方を、もう一度日本人は見直すべきなんじゃないかしら。」
『あとは、じぶんで考えてよ。』と題して、「絆というものを、あまり信用しないの。期待しすぎると、お互い苦しくなっちゃうから。/死に向かって行う作業は、おわびですね。謝るのはお金がかからないから、ケチな私にピッタリなのよ。謝っちゃったら、すっきりするしね。/このように服を着た樹木希林は、死ねばそれで終わりですが、またいろいろなきっかけや縁があれば、次は山田太郎という人間として現れるかもしれない。」
回り回って自分が当事者になる恐ろしさを考えると、「水に流す」という見方が出来る。家族も、「絆」などというつながりではなく、あらゆるものが何かのきっかけや「縁」でつながっているという見方が、仏教の縁起の教えです。
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