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猫と暮らすということ

猫の日なので、猫の話をしてみたい。

うさぎ👩は猫と幼稚園の頃から一緒に暮らしている
うさぎ👩の人生は猫と共にあったと言っては過言ではない

大石橋のところに越してきたのは学校に通うためであり、結婚前提の同居生活であった
(その前にも✈️移動で短期間の同居はしていた)

しかし、こちらで暮らすことが決定したことで私は頭を抱えることになる

猫が、いない

そう、大石橋の家には猫がいなかった。
彼も実家で猫がいる生活を送っていたが、ペット可の物件にも関わらず、大石橋はペットを、エビとベタしか飼っていなかった。
(しかもベタは大石橋のお母さんが遊びにきた際購入して置いて行ったものだ。愛を込めて育てて、長寿だった)

話は逸れたが、物心ついた時には猫と一緒に寝て、いろいろ過保護な親に心配されるのが嫌で、泣きたい時は誰もいない時に猫のお腹で泣いていた私に、楽しい時も嬉しい時も猫といた私に、猫のいない生活は寂しく辛いものだった。

結果私は、猫カフェに通うようになる。
みるみる貯まるスタンプに、いっそ年間パスポートを買おうかと悩み始めた頃、大石橋が、猫を飼おうかと言ってくれた。

大石橋は前々からたまに預かる兄の飼っている猫に惹かれており、飼いたいねー、などと話していたので、同居決定を機にその気になってくれたのだと思っていた。

つい最近までは

最近知ったことだが、私のあまりの猫カフェの通い具合に、このままではすぐに一年分の猫代が捻出できると思った大石橋がそれならばと、決心してくれたらしい。
一生分の感謝はここで使い果たしたが、あと何回か一生分の感謝を使い果たしているので、まるで私は、一生のお願いを何度も使う小学生のようである。

だが、大石橋は偉かった。
責任感の強い大石橋。
我が家に来たからには責任を持って最後まで育てる大石橋。ちゃんとしつけもする大石橋。
いまいち責任感なくフワフワしていた昔の私が帰省しようが友人と旅行行こうが面倒をみてくれた優しいパートナー🕺

…今考えるとうさぎ👩は思いやりが足りなかった。ごめん、楽しかった。

また話は逸れたが、なぜかなかなか決まらなかった里親猫探しも(結局将来的に二匹飼いたいということで兄の飼ってるロシアンブルーは諦めて里親サイトを巡りに巡っていた)、同居と学校への入学が決まると同時にトントンと出会うことができた。

初代おもちとまつりである

丸ぼうろみたいにとにかく丸かった手触りのいい猫
未だ歳を取らない外見の貴婦人


時はリーマンショック後、生活を続けるためにペットとして飼っていた猫たちをブリーダーさんが手放して、里親になってくれる人を探していたのだ。たまたまそこで、二匹に出会った。一度も今まで現れたことのない、掲示板だった。
そして雄猫はスプレーの問題で嫌だと言っていた大石橋が、おもち♂を、即決した。
名前が降ってきたらしい。
こいつは、もちだと。

運命そのままに、迎えに行った。大雪の日だった。
今日みたいな、大雪の、2月の最後の日曜日だった。

そして我が家にきた二匹の猫と、二人の生活が始まる。
まつり4歳、おもち3歳の時である。

最初は本当に戸惑った。
二人にはいつのまにか自分たちの生活が出来上がっていた。
そこに猫が二匹増えた。
ストレスで鳴くおもちと、前の飼い主を半年玄関で待ち続けたまつり。やっと食べたいだけ美味しいご飯を食べられる二匹と、食べてる最中に食事を狙われてしまう二人。
新しい生活に翻弄される二人と二匹。

あれ、猫って、暮らすのこんなに大変だったっけ?

そんな風にも思った。
実家に来た猫はすぐに家に馴染んでいたからだ。
子猫で、拾い猫だったというのもあるかもしれない。

ここで気づく方もいるかもしれないが、私は幼稚園の頃から猫と暮らしていたので、慣れたもんよ。軽く暮らせると思っていた。

違う、そうじゃない。そんな簡単じゃない。
そう、実家には、母がいた。
飼い猫は飼い主を母猫と思い、一番世話してくれる人に懐きやすい傾向があるという。
つまり、おかあさんだ。

今度は私が、二匹の、おかあさんにならなければならないのだ。

私は、その時、生活と環境が変わるということは、きょうだいのようであった猫との生活が、おやこのような関係に変わるということを知ったのだった。

責任感というものが、喜びと共に、ゆっくりと重くのしかかってきたことを本当に知るのは、それから数年後になる。

長くなったので続く

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