みため

実は自分が1番見た目を気にしていたのかもしれない。

中学の時顔でかいやらなんやらでクラスの男子に言われて、

多分その頃から、思春期だったこともあり、私は自分の見た目に自信をなくした。

それから、いろいろ考えることがあって、なんで人は見た目のことばかりなのかなって真剣に考えた。

だって、私なんかは秘密主義的なところがあって、人に見せない部分をたくさん持ってるんだけど、
見た目だけで私の何が分かるの?って気持ちがあったから。

最近は外見至上主義とか、そういうことばには敏感に反応する気がする。

実際ソーシャルサービスの普及で、そういう風潮はあるんだろうと思う。可愛ければチヤホヤされて、一般的な可愛さと離れている人に対しては、その人を認めない、悪口を言うことが正当化される、と言うような。

だから、わたしは、できる限り人のことを見た目で判断したくないと思っていたと思う。そうありたいっていう価値観だわな。

しかしながら、私もそんなこと言っといてかっこいい人を見ると惹かれる気持ちがあるし、可愛い人を見て、(私のいうかわいいは愛嬌かもしれないけど)こころ穏やかになったり、

私も人の見た目で、少なからず影響を受けていると思う。

それで、最近、私の周りで交際を始めたと言う人が結構な数いて、正直、驚く気持ちがあった。失礼な話だけど本音を言うと、
そんなかっこいいと思えない男子に彼女がいたりしたんだ。

いや本当に失礼。

そんなふうに人を見ていた。外見で人を見ていたのは、他でもなくこの私だったと気づいた。1番、こんな人間にはなりたくないと思っていた自分。そんな自分になっていた。

過去の私には同情心もわく。見た目で悪口言われて悲しい思いしたんだから。でも、今私はそうやって、見た目というものに囚われて判断して。そして自分に卑屈になって。

なんであの人に!?なんておもってその人の良さを見ていなかったのは私じゃないか。

そんな気づきを得た今日この頃である。

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