個人的ドラクエ愛

映画始まったばかりだしネタバレはしたくないし(といってもゲームとしてのストーリーは共有した中で話がしたいし)慎重に…と思ったけどやっぱり言いたいことを言おう。
それくらい、今回の映画はなんか色々アレだった。笑
いや、個人的には一周まわって『アリ』なのだけれども、それをわきに一旦置いて、どうしてもどうしても伝えておきたいわたしなりの愛が在る。笑笑

これから観る予定の方や、ネタバレヤダって方はまた観終わってからご自身のドラクエ愛や映画の感想を抱きながら観ていただけたら嬉しいです。というわけでここからはありのまま想いのまま。













まず最初に、映画であのVの壮大なストーリーが、美しい映像と音楽、声を伴い、よりドラマティックになって、より沢山の人に、そしてあの頃私と同じように冒険に夢中になっていた大人に成ったみんなに届くのだというワクワクがあった訳だ。いつでも、どんなに時代を重ねても色褪せない名作が世の中にはたくさん在る。そして、数あるドラクエのストーリーの中でも、人ひとりの人生そのものであるVが映画になるのだ、もう多少のストーリー展開の辻褄合わせや変更があろうと、配役に多少の不安があろうと、主人公がビアンカとフローラ、どちらを選ぼうと…(←笑 あ、ちなみにですね、ビアンカとフローラについてのこの記事はビアンカ派の女子に一読頂きたく、わたくし定期でリンクを貼らせてもらっております→良記事『ビアンカ or フローラ問題』)満足するに違いないみたいな盲信の中で映画上映初日に行った訳ですね。

まずはじめに思った事。
冒頭からしばらく、おそらくゲームをしていた世代へのピンポイントの回想タイム。
たいして時間も経たないうちに不安になってきた。

えっ…これではドラクエVをプレイしたことの無い人は完全に置き去りではないか…?

いやいやいや、懐かしいよ?なんだか涙腺にも無駄にくるよ??それでもプレイした人達の内輪で盛り上がって終わりでは何の為に映画にしたのか…?完全に針をつくようなピンポイントでターゲットに狙いを定めすぎた作りではないか??

うちの子達ならともかくも、
私はたまたま連れて来られた子供や奥さんなど、その世界をあまり知らないけど観に来たみたいなひと達が置き去りになっていないか、
身内でもないのにハラハラしていた。

そしてだんだんと進むにつれ謎のモヤモヤが積み重なってゆく。そしてなにか、それは怒りにも似た感覚にそろそろ変わりつつあった。

あんなに、あんなに、大事なシーン…

ドット絵だけのシーンでも
声が無くても大泣きした
しばらく立ち直れなかった、

あの、父 パパスが主人公達を守って亡くなるシーン。。。このストーリーの中で いわば最も
コアとなる大事なシーンではないだろうか

想い出に浸るエモーショナルな時間もなく
思ったよりも足早にあらすじをかいつまんで進められるテンポのはやさに正直心が追いついておらず、突然 近所の あまりまだよく知らない
オッサンがなんか子供達を守ってお亡くなりになっちゃったみたいな感覚だった。ドラクエをプレイしてパパスにも主人公にも思い入れがある筈の私が、だ。
泣けるシーンだから泣けよ…では、人間は泣けない。そのシーンに到達するまでに紡いだ、親子の時間が在った筈なのだ。船から降りたあの日から(←笑)サンタローズでの人々との短くとも確かに流れ合った時間が。子供時代の想い出が…(←笑笑)


これは大変なものにお金を払ってしまった…
ドラクエという世界観、ブランドに
まんまと私は踊らされてしまったのだろうか

こんなことなら隣の天気の子に入るべきであったか、そういえばアラジン実写も観たかったのに…なんだかよくわからんモヤモヤがそのシーンの後を境に明確に怒りとなってゆくのが解る。

まず、マリアとマリアの兄が居ない…‼︎** 怒**

待て待て待て待て

すごく大事な人達だろう?

どんなに尺の問題があろうと

そういうところは削ってはならぬだろう???

あれが在ったからこそ、その後のヘンリーとの泥臭くも愛おしい男同士の友情だったり、海辺の修道院に戻る度に(レベル上げとゴールド貯まるまでのしばらくの間、皆通ったんだろう?笑笑)エモくて切なくてなんともいえない愛おしい気持ちに包まれた甘酸っぱい青春時代をスラリンやブラウンと過ごしたんだろう??え???(←コーフンし過ぎやw)

(…そもそも細かいことを言えばヘンリーに敬語の主人公もなんというか個人的には違和感であった。←まぁいいから一度落ち着け、ワイ 笑)

よく考えたら妖精ベラとの想い出もまったく無い‼️

あまりに足早に進んでいった冒頭から中盤までの駆け足の中で気づけなかったが
マリアが居ないショックを皮切りに、
とても大切な想い出達がぽろぽろと溢れ出てくる。もはや怒りから哀しみに変わりつつあった。
この作品は本当にエニックス(あえてスクエニではない)が関わるものなのだろうか、

かつてドラクエキチガイ真っ只中、それをキッカケにガンガンやギャグ王を愛読し、読者ネタのハガキもドラクエVをプレイする中で浮かんだことを送りまくって採用された時には宙を舞うような気持ちで、学校での課題として気になる職業について調べる宿題のときに、エニックス仲間の友達と一緒にドキドキしながら電話をしたエニックス…あの時の感じの好く、とても丁寧に対応してくださったあたたかいエニックスの大人の方、その時から私たちの憧れとなったエニックスという会社は、この作品を通して、ドラクエVのいったいナニを伝えようとしているのか…
よく考えると最近は…いや、目を背けて見ないふりをしてきたけども、いつぞやたまごっちが流行ってからのスライム育成型万歩計(買ったけども)、ポケモン的発想からおそらく生まれたであろうドラクエモンスターズ(テリーの初期のやつ大好きだけども)ポケGOからの明らかポケGOにヒントを得た企画…名前、ブランドにだいぶ頼りきりの展開(なんだかんだ嬉しいんだけども)…

初期衝動とか 熱量を帯びたクリエイティブな作品でみんなを夢中にさせた、あのときの私達のエニックスは、ドラクエは…いったい何処へ行ってしまったのか…変わったのは私なのか…(だいぶ迷走(笑))

ちなみにベビーパンサー(これ以降は愛を籠めてボロンゴと記す※尚、のちの名前の選択肢が増えたリメイク版以降は個人的に主人公→プルコギ、王子→ジンギス、王女→カルピー、キラーパンサー→ビビンバに落ち着くのである。それぐらい個人的にキラーパンサーへの愛は異常な自覚あり(←その情報すごくどうでもよい)笑)とビアンカとのお化け退治の想い出も、とりあえず各々で脳内再生補足しといてもらえます?という雑な仕上がりであったことだけは今でも解せないでいる。私の中の岩下志麻が言うのだ。其処に、愛は 在るんか?

父パパスを失ってから右も左もわからぬままに連れ去られ、奴隷として唇を噛んだあの地獄の日々、其処を共に抜け出した筈のマリアが居ないなんて、いったいどんな風に受け止めたらいいんだよ…その途端になんだかヘンリーまでもが薄っぺらく感じてしまう。ヘンリーはまったくわるくないのに。もう脚本を私に書かせてくれないかと思えてならぬ。いや、むしろゲームのシナリオが最高なのだ、愛とリスペクトで、私達が観たかった映画ドラクエVを これとは別で本気で創ってはくれまいか…

まぁ、とはいえ。
私もそこまで子供ではない。
途中から、『これは別のものである』と認識した上で楽しむこととする。そう、ユアストーリーは、人の数だけ存在するのだから。

中盤にさしかかると、だいぶ観れるようになってきた。さっきまであんなに怒り心頭していた自分の中のドラクエ愛すらもなんだか愛おしくて笑えてきちゃう。(充分にこのブログは笑い者の域であるけどもw)

フローラが思った以上に美しい。

ビアンカが原作よりやんちゃでフランクさがあって、主人公とのやり取りが愛おしい。

息子が天空の剣を使うシーンや
オーブすり替えで過去の自分とパパスに逢うシーンは本当によかった。
(やろうとすればやれるやん。
やれるのに全体通してなんなんや…)

なによりも、

キラーパンサー 、

もふもふしたい。

↑…結局ゲレゲレともボロンゴとすらも呼んでないwww

(多分個人的にはこれが一番最高だった。キラーパンサーをもふもふしたいんだよ、昔からずっと触りたかったんだよ。懐いて欲しかったんだよ。無茶苦茶カッコよくて可愛くて最高だった)

結局、色々あって、ビアンカと結ばれるわけだけども、此処でも少し違和感が。
フローラの素敵なところも、ルドマンさんの懐の広さも、なんにも描けてない…もうほんと、いっぺんV最初からやり直せよスタッフ…(暴言失礼します(笑))
自慢のひとり娘を結局選ばなかっただなんて
父としてショックもあろう、言いたいこともあろう。それでもだ、それでも他所の娘 ビアンカを選んでも心から祝福し、盛大にお祝いをし、
応援してくれたルドマンさんを、あんな風に雑に描かないで欲しかった。そしてフローラも。
とても芯のある、素敵な女性であること、もう少し丁寧に描いて欲しかった。恵まれた美しい女性だからこそ、世のビアンカ派からのやっかみに晒されてきたフローラを、そして表向きやんちゃながらも繊細で可愛くてたまらないビアンカのことも、その間で揺れ動く主人公の結婚前夜の最高にエモくてどきどきするあのときのことも(←落ち着け笑)とにかくいろんなことを、前編後編、なんなら三部作にしてでも、もう少し愛を籠めて丁寧に描いて欲しかった。本当にそれは個人的に哀しかったのだ。

言いそびれたけどもう一つ大事なところ。
フローラに心を寄せていたアンディも居ないんだぞ 涙
もっといえば山奥の村でふんわりとビアンカに心寄せる青年も居なければ、ずっとビアンカの幼少期から面倒をみてきて身体を患ってから山奥の村で看病されてる筈の血の繋がりの無いお父さんからのビアンカを託されるようなエピソードも無いんだぞ 涙

こんなにも描ける要素のあるシナリオの、
本当にいったい、どこのナニを描きたい作品なのか、わからないまま進む…もう、楽しむより他無いので、なんでもござれではあったけども、ビアンカを選ぶにあたり、深層心理に行き着く場面もなんだかドラクエに似つかわしくないサイバーな感触。のちにそれがタネ明かしへと繋がってゆくのだけども。

なんだか…サイバーちっくな演出が
さらざんまい みたい…
アニメオタクの娘と耳打ちが止まらない。
幸い、初日のわりには半端な時間だからか周りにお客さんまったく居ないので冒頭からずっと
韓国ドラマにツッコミ入れてるイキオイで
ことあるごとに隣席の娘と耳打ちしまくっていた。もうツッコミを楽しむstyleが丁度よいくらいだったのである。


そしてようやっと慣れてきて
感情移入し出してた頃、
ガツンときた。それは突然に。

まぁ此処まできてネタバレもなにもアレなので
そのまま書くけども、

要するに、このドラクエの世界は
今の私達世代が 子供時代にプレイした
ドラクエの世界観を体験するカタチの
バーチャルな世界という設定であったということだ。

なんかドラクエというより千と千尋かサマーウォーズのOZの世界で見た気がする感じのつるんとした奴がラスボスらしかった。
なんかスラリンも喋り始めてた気がするけど
もう一連の流れ、正直覚えてないんよね。
多分、観客みんな、アストロンかけられて
石化してたんやと思う!笑
夢を見に行ってザメハをくらった私たちアラサーアラフォー世代は気づけば何故か瀕死状態にあった。

なるほど、短時間で総ては体感出来ない。
そう思えば、あまりに酷かった前半も、
100歩譲って納得するしかない。
限られた時間の中で、
かいつまんで追体験している身なのだから。

こうして文字にしていると、
いかに私の中で納得いってなかったのかが
いまになり浮き彫りになる。

笑うしかなかったから
隣の娘と声を殺して笑ったのだ。

ただ、ああいうのは
深夜帯のヨシヒコや
ちょっと攻めてるところが売りな、
銀魂みたいな番組で充分なのかもしれない。

二度観ることは無い。
もちろん映画観たことは後悔していない。
ある意味、勇気をもって裏切ってきた作品。
その、攻めの姿勢には 拍手を贈りたい。


だがしかし、
そういうの、観たかったんやないで?っていう、ドラクエ心底愛してる人達の想いだけは
忘れないで欲しい。

追記※
後に監督がV未プレイだと知った。
それよりなにより、断り続けていたけど最終的にオファーを受けたと。なるほど、いやいや創ってるんでは、特別な愛もリスペクトも無しに描ける訳がなかったよね。なにがどうなってそうなったのかわからないけど、それを作るのに大きなお金動いたことは事実であって、お金無い中で熱量だけでいいもの創ろうとしてるクリエイターなんてきっと山ほど居る中で
こんな半端な仕事しちゃうんだなぁみたいな哀しさが拭えない。
ある意味ゲームオチでも、魅せ方や作品へのリスペクトがあれば、納得いった筈なんだ。
あれで作品としてOK出してしまう、世の中に出てしまう、そんなことがプロの世界でもあるんやなとか。自分も技量たらずに、もっとやれたんじゃないかって思いながらお金や時間、技量の無さで悔やむことも経験しまくってる。
だからこそ、その時納得いくまで向き合うことを諦めたらあかんなとすごく感じるよ。


P.S. お金払って映画を観に来た
ドラクエVをかつて冒険したであろう大人達に、最後に『もーいい加減大人になりなさい』というあたり、もうほんと、ツボって笑い止まらなくなりましたけど、お金払ってドラクエ邂逅に想い馳せてきた人々に、あまりに酷な仕上がりで、
それが許されるのは多分、銀さん然り、ヨシヒコ(というよりむしろ福田監督)然りなんだとおもうんだよなぁ。わたしはっっ 笑笑

ちょっとだから、そういう風潮にまた乗っかっちゃったパターンなのかなぁとおもうと、
なんだかすこーし、寂しくなるのよね。

かつて、あんなに尊敬の念を抱いたドラクエという、エニックスという概念(身勝手は承知なのですw)が、少女時代の私の中で、確かに揺るがないものであった筈のものが、今はもうなにか違うのかもしれないなって感覚。
かつて偉大に見えた父の弱さや醜さを知った時の寂しさに似てる。

P.S.もひとつ 笑笑
音楽もね、VならVで通して欲しかった。何故なら、その音楽を聴くだけでその情景が浮かぶのよ。それくらい大事なの。ほかのシリーズの音楽ももちろん大好き。大好きだからこそ、VIとか使われると、VIの世界がチラついてしまって、Vの世界観から我に返ってしまうからさ。
世界観に拘るなら、そういうところ、すごくすごく大切なんだとおもうよ。
……これを鏡に、私もクリエイターの端くれとして、プライドと愛とリスペクトをもって、
自分が納得出来るものを丁寧に創っていきたいなぁと改めさせられました。そういう意味では感謝だね☆

#ドラクエ
#ドラクエV
#ユアストーリー
#愛がとまらない
#ネタバレ注意












まだまだ道半ばではございますが。 人生はロールプレイングゲーム。 わちゃわちゃしながらあれこれ綴ります(笑) 以後、よしなに( *´艸`) 唄うたい。たまに絵も。 人を巻き込んでカラフルに。心が動くことを みんなで創造して生きていたいのです 初期衝動と直感と温度を大切に**