苦しまないと、ほんとにダメ?

ひとつのことをずっと忍耐や努力で続けられる人を尊敬していた。
今もそれは凄いことだと想う。
私はどちらかというと瞬発的に動くことや直感的に、よくもわるくも感情優先で同時に色々が頭のなかや現実として進行してるマルチタスク派。
結局のところ、職人気質の人達の前ではすべて、総てが中途半端である。感覚的で感動するものが大好きで、いいものに触れたくなるけれど、たいていそういうのは時間や人生の多くが注ぎ込まれて普通じゃ辿り着けないクオリティだったり世界だったり。それが自分にとって、混ざれない、越えられない壁であり、コンプレックスでもある。それでもやっぱり元々得意とするものや気質的に、どうしても私はマルチタスクの人間で、感覚的に色んなものやひとを組み合わせて大きな夢を創造したいという自身のイメージは、嫌悪感を持たれたとしても軽薄と思われても、わたしにとってのそれはやっぱり正解なんじゃないかと最近想う。ただ、リスペクトが足りないとか独りよがりだとか、きっと焦るからうまくいってないんやなってのは自分でも感じてるから、これからはひとつひとつをひとりひとりと無理せずコツコツ積み上げて行けたらなって想う。当たり前だけど、ひともものもコマじゃないものね。自分の脳内で総てを筋立ててやれるわけない。其処には沢山の想いが在るのだから。ドラクエ進めるみたいにはうまくいかないんだよということをここ数年で学んだ(笑)

ところで。
私はTwitter民なのだけれど、
今回こんなお話が拡散されていた。

『私が倒れたはなし。』

https://twitter.com/gmzw853/status/1072861791267377153?s=19

頭のなかにはついこないだまで観てたドラマ、
『獣になれない私たち』の深海さんを思い出していた。余談であるが、このドラマがたたかれてる記事をいくつか目にした。ついでに前にハマってた『高嶺の花』も。世間で視聴率が思わしくなかったのかぁとビックリしたんだけど、それだけ世の中と私の好きなポイントってやっぱズレてるのねと失笑しております…(笑)でもね、なんでもかんでも顔が見えない処から批評ばかりのネットや週刊誌の風潮そのものに私は疑問というか、モヤモヤするかな。評価って結局大多数で作られた流れでしかなくて、その流れから自分の感じた感覚がズレてたら、怖くて云えないやんね、きっと黙って静観してるけどほんとは好きってひとも居ていいし、そもそも全員に好かれるものなんていうのはなるべく角を丸くしてふんわりさせたものでしかなく、当たり障りがない。当たり障りがないということは、あたりはよくてアンチは少ないけど、本当はそれほど『刺さってない』ひとも沢山居たりすると思うんだ。なんでも大声あげてる大人数が正しいとか正解だとか、世界が望んでいるもんなのだ。。。ではない……と、想いたい(←少数派なの自覚あるから弱気だな~ 笑)←このことについてはここんとこ色々思ってることあるから後程、別記事でしたためようと思う。因みにけもなれの記事で愛ある記事リンク貼っときます→

というわけで話を戻すと、
上にあるように、頑張りすぎて心や身体を壊す前に、本来の自分らしさや好きなことを思い出して、
無理せず生きられるといいね、という想いがこんなにバズるところまで
このせわしい社会の中で追い詰められてしまってる人達が増えているということだ。そして『けもなれ』を観るのも辛い程、リアルに心削られて(都合の)いい人演じてるひとが沢山居るということだと。

これくらい普通だよね、出来て当然だよねって
追い詰められたり追い詰めたり
みんなでそういう空気を創っている。
体調不良や家族、子供のことで早退や遅刻、欠勤をするときの重々しい空気だったり、
『やれて当たり前』が行き過ぎて、みんなどんなに頑張っても褒められず、すきま風で心が荒んで帰りのコンビニや夕飯食べるのに入った店先で自分の満足に満たないサービス受けてモヤモヤしたりピリピリして当たってしまったり。。

その流れをやめる為に、とても大切なことがあるよな、と最近自分を省みて感じた事があるのでシェア。

その日は私が連日体調不良で家事が溜まりまくっていて、ご飯も作る気になれないので、夕方帰宅した家族に外食を提案し、なんだかんだで お寿司屋さんに行くことに。

そもそも午前中から夕方にかけて、私以外の家族は外出先で餅つきなどをし、色々食べており、外食提案したタイミングでは家族は中途半端なお腹の空き具合だった為、ツムツム(ゲーム)片手に曖昧な返事を繰り返す息子とパパ、そして悪意があってもなくてもカウンター攻撃してくる絶賛反抗期真っ只中の娘と、体調が悪くて朝からなにも食べてない空腹の私で、一時間以上ああでもないこうでもないと外食先が決まらずに苛々していた。
ようやく決まったので寿司屋に行ったわけだが、着いた頃にはピークで娘と私がバチバチしていて険悪なムードの中でご飯を食べることに……(笑)
いつだって頭ではわかっている。
そんなくだらない感情はさっさと流して切り換えて、楽しくやってるのがいいにきまっている。
それでも大人に成りきれないうえに体調不良と極限の空腹で触れれば見境なく噛みついてしまいそうな荒々しいバイブレーションを纏った私には容易に気持ちを切り換えることが出来ず、娘と売り言葉に買い言葉を投げつけ合っていた。

そんな荒いバイブレーションの時はだいたいわるいことや自分にとってテンション下がるようなことが芋づる式でコンボしてくる。

余談であるが、私の眼は、『ばんばスコープ※海月姫のばんばさんに因む』搭載で、いわゆる、美味しいものを見分けるセンサーが優れている。お肉でもお魚でも、視るだけでだいたいのそのものの味のクオリティが判るのである(←くだらねぇ…!!! 実にくだらねぇ……(笑々)けど…!!食べること大好きだとめっちゃ大事!!! 笑)

その日は私の感覚はかなりの体調不良で鈍っているとみえ、息子越しに流れてくるネタの鮮度や部位を見切ったつもりで手にとっても、いまいちハズレの続くなか、まだ娘と言葉の投げつけ合いをぼちぼちとやりあっていた。(どうでもいいがかなりの体調不良でも食欲は落ちないっていう処に己の生命力の強さを感じてたよね…(笑))

今日のばんばスコープは不調だなと感じた為、諦めてパネルで注文をする。なにやら新商品でお皿に3貫乗ったものが二種類。鮪トロ三種と、びんちょう鮪三種というふうに分けてあり、写真でみたところ、鮪トロの鮪はとても美味しいところっぽい(ばんばスコープによるw)し、先程一度びんちょう鮪三種は回ってきたものを頂いていて、思った感じではなかったので、鮪トロ三種を注文。

届いたものはびんちょう鮪三種であった。
家族にそれを言っても信じてもらえないけど
どうみてもびんちょう鮪三種盛りであった。
一度食べていまいちだったそれが、間違いで届いた上に、私がこれは『びんちょう鮪でこっちの(食べたかった)鮪トロではない』という主張を旦那には鼻で笑われ、娘にはケンカのあとということもあり、なんだかナニ言われても今は腹が立つしでとてもモヤモヤしていたけど、基本的にわざわざクレームは言わない。言って替えてもらった処で下げられた食べ物が廃棄になるのが一番私にとってイヤなことだからだ。

美味しいときはどんなにカロリー高くても心から嬉しいけど、なにか、あれ?って気持ちで食べてカロリーを摂るのはとても悲しい(←これ茶っピーとはすんごく解り合えた感覚(笑)食べるの大好きなひとにしかわからないこだわりの感情(笑々))
モヤモヤしつつも命頂いてるんだからねって思って2皿目のびんちょう鮪三種をいただく。

その後同じものを娘が時間差で頼んだものが届いた時に明らかに魚の種類がやっぱり違っていたし、そもそも先程乗っていなかった、いくらが鮪トロ三種の上に飾りとして乗っかっている。

やっぱり私が頼んだとき届いたものはびんちょう鮪であった。パパは悪気もないし私がムキになってびんちょう鮪と鮪の違いを説明しても彼にとったら興味の無いことで、本人も言ってたけど仮に牛丼頼んで豚肉で出てきても気づかないひとなので、ムキになる私を眺めて滑稽で楽しそうに笑ってるのはいつものこと。自分の好きな牛丼くらい豚肉で出てきたら気づけよって私は思うけど(←笑)彼にとってビントロだろうが他のマグロだろうが興味がないものは仕方ない。ので解ってもらえなくてもいつものこと。

しかしながら、ケンカ中の娘に『まぁまぁ、いいじゃん』みたいなこと言われておいて、か~ら~の、娘は私の食べたかったものを目の前で超絶美味しい~★(*´ω`*)と感極まりながら食べてるのがとってもとっても腹立たしかった(←このときはとにかく娘にかなりキレてるので大人げないけどほんとムカついていた 笑)

そしてモヤモヤしながらびんちょう鮪三種と鮪トロ三種が流れてくる度に上の飾りや魚の色を観察して、私に届いたものはなんだったのかをずっと精査していた。(←も、もうえぇやん…笑)そしたら流れてくるもの流れてくるもの上の飾りや位置がぜんぜん統一されてなくて、結局なんだか今回厨房の奥に、どうもかなり適当なひとが居るのではないかという結論に至った。
もうこのあたりになると、お腹も各々に満たされてきてケンカもいつしかさりげなく落ち着いて(←結局ケンカ勃発しやすい時ってお腹すいてんだよ 笑)
みんなで今回厨房の奥に居るひとの雑さ加減を流れてくるネタを観察しながら色々とひそやかにツッコミ入れていたのだが、私は結構自分が生真面目な処があるので、慣れてなくてミスをしたならともかくも、気がなくて仕事が雑なひととか、やっつけで仕事に愛がないひととかに出くわすとかなり残念な気持ちになり、対価に見合わない酷いサービスだと感じると本当に悲しい気持ちになる。たいていそういう適当な仕事するひとには説教なんてしてもなんにも響かないのは解ってるんだけど(めんどくせ~っていうカオされるのがオチだよね)それでも、ちょ!待てよ……!!!とキムタクばりに、ひっつかまえて一言物申したくなるのである。(←めんどくさいですね~いや、ほんと 笑)

だが最終的に、
次の瞬間には、そんな生真面目からくるモヤモヤが思い切りぶっ飛ぶこととなる。

なんと、赤貝のプレートを纏ったカプセルに、雲丹の軍艦が乗せられて流れてきたのである。

三度見したよね。。。

いくら牛丼と豚丼の違いや
ビントロと鮪中トロの違いがわからないうちのパパでも

赤貝って主張しながら通っていく雲丹は流石に気づいたよね。。。

そのあと家族みんなで大爆笑。

なんでも、どうでもよくなった。(笑)

むしろインドならこんなこと日常茶飯事かもしれない。

むしろこの世のあらゆるところに平然とすましているツッコミ処に愛とユーモアで立ち向かい、
総てを笑いに昇華出来たなら、もうなにも問題など起こりようが、ない。(笑)

そうか、日本ってとても真面目で一生懸命なひとが沢山居て、普通の基準値が本当に高いんだなって。

普段なにげなく使うコンビニも薬局もスーパーも、感じがよかったり、小さな気遣いを感じて嬉しくなる処や、楽しそうにスタッフさんが働く処に行きたくなる。

そのクオリティが当たり前になって、たまにこういうことがあると、どうしたの?新人さんなの?ミスならともかくやる気あるの??とか思っちゃった私も相当、この世界を住みにくくしているひとりだなぁと改めてハッとさせられました。(そうだよ、オマエだよって声があちこちからテレパシーで聴こえてくる~(/´△`\)(笑))

けして適当でゆるゆるばかりがいいとは思わないけど、
少なくともピリピリしてまでそのクオリティを保たねばならないってなってしまうと、やっぱり違うよねぇ。。

理想は心からしてあげたいって気持ちが誰かの喜びへと繋がっていくこと。それがあれば、サービスに基準もルールも要らない。されたら嬉しいという素直な感謝が産まれ、喜んでもらえると嬉しいから色々工夫してまた提供したくなる。結局サービスする側もされる側もひととひと。

どちらがいいとかわるいとか、
ちゃんとしないとだとか、
自分が色々なところでサービスに対して求めるものがクオリティ高ければ高いほど、

仕事をして社会に還元していく自分の在り方やクオリティもそれ相応に求められるということ。

人間は不完全だ、頑張りすぎて壊れそうだ
酷い扱いだと会社にばかり文句いいながら、
自分がいざ、サービスを受ける側として
完璧を求めすぎてはいないか、
クレーマーの類いと同じ意識になって
攻撃をしていないかってのは
常に気をつけていたいなぁと想いました。

追伸 コンビニは本当に凄い仕事だとおもう。
年中無休で朝なんて時間勝負で、便利が最大の武器故に、なんでも屋さんになっている上、競争率も激しいからハイクオリティを常に求められる。
覚えることも本当に沢山あるだろうなと想うと本当に頭がさがります。。いつでもなんでも揃っていて本当に何度助けられているか。。昔と比べると何時でも何処かしら何かしらで調達出来るのは当たり前になっていたりするけど、それでもその裏返しをみてみれば、みんながくつろぐときにさえ、休みが無い ということだったりすることを、忘れちゃいけないな。ちゃんともっと、求めるよりも与えられてることに感謝を感じてられるように。

そして総てが行き過ぎてみんなで病んでしまわないように
今一度、普段の中で心の在り方や過ごし方、見直してみたい。

まだまだ道半ばではございますが。 人生はロールプレイングゲーム。 わちゃわちゃしながらあれこれ綴ります(笑) 以後、よしなに( *´艸`) 唄うたい。たまに絵も。 人を巻き込んでカラフルに。心が動くことを みんなで創造して生きていたいのです 初期衝動と直感と温度を大切に**