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他人がいるということ

当直が好きな人っているのか?

免許貰ってからひどい恐怖に襲われ続けている。

勉強した知識が紋切り型で実はもっとバリエーションがあるだの、これから病状が悪化しそうな患者さんにはなにか感じるところがあるだの……サイキックか?と学生の頃からギワクの目で当時のオーベンを見ていた。そんなものあるのか?本当に?

本当にあった。

夜間の病棟に時間が移る前に、カルテでバイタルサインを見返したり、検査を見返したり、患者さんの様子を見ていたり……長時間患者さんを見ていた指導医がやはり真っ先に異変に気づく。

においというより、研ぎ澄まされた「予想」なんだな。その予想を立てられるようになるまでどれだけかかったんだろう。ひんやりする。

そんなぺーぺーの私が夜間当直となると、やっぱり怖い。自分の嗅覚のまだよわっちいのを自覚する。知識もまだ足りない。でも患者さんは不安のなか来る。……まあ本当に救急車が要らないような症状で来る人もいるけど、怖いのはその中間だ。

検査ひとつ、診察ひとつおろそかにすればただでさえ足りない情報のうちひとつを自分で無くしてしまう。それはまずい。しかし一人だと本当に怖いのだ。

そんなときに、人のありがたさが身に染みる。どれだけ怖いと噂されてる看護師さんでも、となりで発破をかけてくれるだけでなにかが奮い立つ。

ああやるしかないんだな、と。

まだ思考のルーチンも、検査のルーチンも流れるようには組めない、出来ないけど、そこで怯えて止まるかもしれない思考を、他者が動かしてくれるありがたさが泣きたくなるほど身に染みた。

全身にのしかかる、私が見逃すことで人ひとりが死ぬかもしれない恐怖、外面と内臓の食い違いを開けることなく見極める重さは今思い返しても背筋が凍る。

ひとりで生きていけるなんてない。

かならず他者が居てくれることで生じるありがたさがある。

あまり言葉を話すことに得意さを感じない私も、ひとりで生きていこうかなんて思っていた時期があったけど、そうじゃないな……なんて思う。

皆になにかしら、居てくれることの意味があって、それは知り合いかどうかなんて関係なくて、

みんななにかしら、もちろん究極的には自分のために居るのだけど、程度の差こそあれその存在そのものが本当に困ったときのふとした助けになるんだなぁと思う。し、そうであって欲しい。


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