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小説漫画空間物語「漫画びとたちの詩」第5話

第5話 50年描き続けています

※この小説はフィクションです。 漫画空間以外は実在の人物、団体等とは一切関係ありません。

 10年くらい前のある夏の暑い日だった。チリリンとドアが開いてお客さんが入ってきた。
「いらっしゃ…」と言おうとしたら
「はぁ~、やっと着いた。あ~涼しい!途中道に迷っちゃってね。大須って同じような道がたくさんあるでしょう!だからわかりにくいんですよね~。何度か大須には来たことあるんだけど、いつもお父ちゃんに連れて来られるだけで一人で来たことないものですからわからなくって…」
一気に話し出したので「いらっしゃいませ」を言いそびれてしまった。
 「ああ、そうですか。大変でしたね。こちらで受付を…」と言おうとすると遮って「それでね、何人か歩いてる人に漫画空間ってどこですか?って聞いてもみんな知らなくてね。そしたら一人の方があっちの方ですよ!って言うものですからそっちに行ったら違ってて、あちこち歩いているうちにたまたま大須観音の前に出てしまって、そしたら丁度交番があったものですからそこで教えてもらって、やっとたどり着いたんですよ。あー疲れた!あ、そうそう、下の看板で見たんですけど3時間パックってあるんですね。それでお願いしようかしら。」汗を拭きながら早口で喋る。
「あ、あ、はい。ありがとうございます。3時間パックですね。お飲み物は何になさ…」と言ってる途中でまた「そういえば、ここは私みたいなおばちゃんでも描いていいのかしら?漫画を描く人たちって若い人ばっかりでしょう?こんなおばちゃんが混じって描いていいのか心配で。」
「あ、はい、大丈夫ですよ。」
「あ、よかった。それなら安心して描けるわね。席はどこでもいいのかしら?」とにかくよくしゃべるおばさんだ。こっちが喋ってる途中で遮って話し出すから少しイラっとするが抑えて「こちらへどうぞ。」と案内すると「あ、でもこっちよりあっちにしようかしら?あー!やっと座れたわ!着くまでにくたくたになったわ。」とようやく描き始めた。描いている途中でもいろいろ喋りかけてくるが全部書くと長くなるので割愛する。
 要約すると、彼女はYさんというのだが、推定年齢60歳。T市に住んでいて今日は来るのに2時間くらいかかったらしい。専業主婦、旦那さんと2人で年金暮らしで犬を1匹飼っている。子どもは娘がいるが嫁いでいて孫が1人いる。旦那さんは漫画を描くことにあまりいい顔してないみたいで、旦那さんが昼間パチンコに行ってるときに家でこっそりと描いているが、いつ帰ってくるか気が気じゃないので、ここなら旦那さんのことを気にせず描けるんじゃないかと思って来たみたいだ。
 Yさんは3時間描きながら自分のことをずーっと喋り続けて帰って行った。相槌打ちながら話を聞くだけなのだが結構疲れる。かなり強烈なおばさんだ。

 しばらくしてまたYさんが来た。
 入ってくるなり「歳だから階段を上がるのがきつい。」だの「大須は人が多くて歩くだけで疲れる。」だのマシンガンみたいに喋りながら今日も3時間パックだ。
 Yさんの話に適当に相槌を打ちながら聞いていたのだが、ついいつもの習慣で「どんなのを描いているんですか?」と聞いてしまった。すると一段とギアが上がり、描いている漫画の設定からストーリーからキャラのこととか延々と話し出した。
「しまった」と思ったがあとの祭り、Yさんの描く漫画の話を聞かされる羽目になってしまった。これも書くと長くなるので要約すると、描いている作品は壮大な宇宙を舞台としたスペースファンタジー大スペクタクルラブロマンスだ。ある星のプリンスとある星の王子様との恋愛ものだが、戦争している惑星同士なのでなかなか結ばれないという話だ。なんと40年以上ずーっと同じ作品を描いているらしい。40年描いているがまだまだ終わらないそうで、今描いてるのは第3部らしい。総ページ数が1000ページを超えているとのことだ。若いころは同人誌サークルを作っていて10数名の仲間がいたが、結婚や出産でだんだんメンバーが減り、今はYさんだけしか描いてないらしい。Yさんも途中結婚や出産で描けない時期はあったみたいだが、しかし、40年ずっと一つの作品を描き続けているのにはびっくりする。いや称賛に値いする。どんな漫画なのか興味も出てきて帰りがけに、つい「今度見せてくださいよ。」って言ってしまった。すると目が輝いて「え!読んでくれるんですか?嬉しい!今度持って来ます。」と帰って行ったが嫌な予感がした。

 数日後、嫌な予感どおり、Yさんがフーフー言いながらキャリーケースを持って上がってきた。中には4~50冊のコピー誌の同人誌がぎっしりと詰まっていた。「えー!全部持って来たんかい!」と思ったが、さすがにこれだけあると圧巻だ。バックナンバーの古いのは奥付に昭和47年とある。40年という時間をかけて描き続けた作品だと思うと感動さえ覚える。「ゴルゴ」や「両さん」のように商業で40年以上続いている漫画はあるが、同人誌でお金になるわけでもなく、誰に見てもらえるわけでもなく、ただ描きたいから描く!描き続けて40年!胸アツだ。

 絵は「アタックNo1」の浦野千賀子や「金メダルへのターン」の細野みち子みたいな70年代の少女漫画の少々古いタッチだが上手い。読ませてもらったが昔の岸恵子と佐田啓二の映画「君の名は」のスペースファンタジー版みたいな漫画だ。こっちの宇宙船に王子が乗ってると思って追いかけたらあっちの宇宙船だったみたいな、会えそうで会えないすれ違いにやきもきするよく描けている作品だった。
原本は家にあるからというので持って来たコピー誌を漫空のお客様の作品コーナーに展示することになった。

 それからしばらくはYさんはちょこちょこ描きに来ていたのだが、パタッと来なくなった。

 1年後くらいに、久し振りにYさんが描きに来た。「お久しぶりですね。」というと「去年、うちのワンちゃんが亡くなってねウンタラカンタラ」割愛。要約すると長年飼って子どものように育てていたワンちゃんが亡くなり、悲しみに打ちひしがれ、何もする気にもならなくなっていたが、このままじゃいけないと思い、ようやく続きを描く気になり漫空に来てみたそうだ。ワンちゃんの生い立ちから思い出話を延々と聞かされた。

 それからまたチョコチョコ来ていたのだが、また突然来なくなった。

 5,6年前だったか数年振りにYさんが来た。「お久しぶりでしたね。お元気でしたか?」と聞くと以前のようなマシンガントークではなく、弱々しい話し方で語りだした。
「実は去年、癌になってしまいましてね…」
「えー!癌!大丈夫でしたか?」というと
「大腸癌になって手術して入院してたのよ。ウンタラカンタラ」声は弱々しいが話し出すと饒舌なのは相変わらずだった。要約すると、健康診断の検便で再検査が出たので大腸の内視鏡検査をしたら癌が見つかり、幸いまだステージ1だったので内視鏡手術で取ったらしい。5年再発しないとほぼ大丈夫らしいが、本人は手術中も入院中も「まだ死ねない!まだ死ねない!神様、あの子を完成させるまでは生かしといてください!でないと死に切れません!」とずっと祈っていたそうだ。いや、ステージ1ではすぐ死ぬようなことはないだろうと内心思ったが「そうですよ!頑張って描いてください!」としか言えなかった。

その後は滅多に来なくなったが、去年久し振りに来た時には「もう70歳のおばあちゃんになったのよ」と言ってた。癌も5年経ったから大丈夫じゃないかって。「その後漫画はどうですか?」と聞くと「それがまだまだなのよ。完成まであと何年かかるのかしら?私のライフワークなの。死ぬまで描き続けるわ!」と言ってた。「すごいですね。50年描き続けてますね。」というと「もうこうなったら100歳まででも描いて完成させてやるわ!」と言ってた。
ここまで来たらなんとか頑張って完成させるまで長生きしてほしいものだ…。ん?100歳まであと30年!となると80年同じ作品を描き続けるわけか!ひゃー!ギネス物だな。世の中すごい人がいるもんだ。

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