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独断的聖書解説:聖木曜日「入信確認」

さて皆様、今日は聖木曜日(Holy Thursday)。本日より聖週間の典礼が始まります。

ミサ(聖餐式=エウカリスト祭儀)の原型となる主イエズスとの最後の食事、いわゆる「最後の晩餐」を記念する日です。そして、この日のミサの最後に聖堂に普段安置されている様々な祭具が片付けられ、十字架のイエズス像には布がかけられ、常に教会にキリストがいらっしゃることを表す「聖体ランプ」といわれる明かりが消され、世界は復活の光に照らされるまでのあいだ闇に閉ざされます。

ちなみに、カトリックにおいて聖餐式は「秘跡によってパンと葡萄酒を人類の罪を贖うキリストの御体と御血とし、それを分けていただくことで共同体と信者自身に宿る信仰の火を強める」もの、最も重要な秘跡であり信仰の根幹といえるものです。

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我は信ず、唯一の神を。
全能の父にして、天地とすべての見える物見えざる物の造り主を。
また唯一の主、イエズスキリスト、神のおん一人子。
そは世々に先立ちて父より生まれ、神よりの神、光よりの光。まことの神よりのまことの神。
造られずして生まれ、父と一つにして、すべての物は主によりて造られたり。
主は、人なる我らの為。我らの救いの為に天より降りたまえり。
聖霊によりて童貞マリアより生まれ、人となりたまえり。
我らの為に十字架に付けられ、ポンシオ・ピラトの元にて苦しみを受け、葬られたまえり。
聖書に在りし如く、三日目によみがえり、天に昇りて父の右に座したもう。
生ける人と死せる人とを裁かん為に、栄光のうちに再び来たり、その国は終わりなし。
我はまた、聖霊を信ず。
即ち主にしていのちを与える者。
父と子より出で、父と子と共に、等しく礼拝と光栄とを受け、
また、その語りたまいしは預言者によりてなり。
また、一・聖・公・使徒継承なる教会を信ず。
我は罪のゆるしの為なる唯一の洗礼を宣言し、
死者のよみがえり、のちの世のいのちを待ち望む。
アーメン
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また、この日のミサにおいてはこの食事の際に主ご自身が弟子たちの足を洗ったという姿に習い、司祭が教会の主だった信徒の足を洗う洗足式という儀式があります。常に従うものとしてある、信者の生き方を表すものとされています。

じつはこのエピソードはヨハネ福音書13章だけにあるんですが、最初は「私の汚れた足なんて!」って言ってたペトロさんが「清めるなら足だけじゃなくて全身オナシャース!」って暴走したり、ひっそりユダの裏切りが予告されたりと弟子たちのキャラクター化が進んでる気がします。このへんヨハネっぽいなあっていつも思うのよね。
…あとさ、この話とは関係ないけどさ。イエスの足を涙で洗い髪で拭いた女性のエピソードってなんかフェチっぽいよね。あと、乾いた後の足が痒そうだよね(色々台無しだなオイw

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